TITLE

横浜マラソン2015 レポート

●選手レポート

【権守 哲郎】
repo走友の皆様、応援ありがとうございました。運良く南区枠で参加させて頂きました。
 まず、地元という事で沿道に顔見知りが多く、中には数年ご無沙汰の方の元気そうな姿に接することができました。稀にしかない家族の応援も今回はありました(なんとかこちらから発見してハイタッチ成功)。
 個人的には、思うように走り込み出来ずに臨んでしまい、折り返しの首都高入り口あたりまでしか脚がもたず、首都高ゾーン11キロが路面の傾き等、思った以上にハードだった事もあり、気が遠くなってしまう体たらく。
 辛く長い後半ロードをなんとか歩かずに走りきった後の着替え会場に戻る道すがら、大勢のスタッフさんが拍手で出迎えてくれる演出にすっかりやられて涙腺崩壊寸前に。。。
 第1回大会として大きな混乱もなく十分満足のいく運営だったと思いますが、まだまだ進化できそうな大会です。コースも定着させるまでに数年は試行錯誤してもいいのでは?
あと、より地元にお金を落としてもらう工夫もあっていいかと(安直ですが出店とか)。
是非また参加したいですが、その時はマラソンの神様に失礼の無いよう、しっかり準備して臨みます!


【水口 美佳】
repo「楽しすぎる」
走り出して5秒でそう思った。
2015年3月15日8時30分。第一回横浜マラソン、とうとうスタートの時が来た。

思えば、はじまる前から色々と賛否というかマイナスの話が多い大会だった。エントリー費が高い、途中のコースがつまらない、高速道路を走るというがアップダウンがきつそう等々。
極めつけは公認コースの申請が間に合わず、よって、マラソン一歳刻みのランキング対象外であるということが1ヶ月前にわかったこと。それに加え第一回大会にありがちなバタバタが何かしら生じるのでないかという心配。他の大会であれば勝手に評価だけしてればいいのだがそこは「地元 横浜」で行われる初めてのフルマラソン。いい大会であってほしい、多くの人に評価される大会であってほしいという渇望に似た思いがあった。

雨の予報の中、少し重ためではあるが曇り。コンディションは絶好。45分前にはスタート位置につき、寒さで身もだえしながら待つ。様々な関係者挨拶。車椅子の部のスタート。
「10秒前」というコールのあと、カウントダウンもなく号砲がなる。始まった。
金港町あたりは人だかりというほどではなかったが、それでもこの町を主役としてランナーが闊歩する。たのしくってしょうがない。角をいくつか曲がり、関内駅前へ。ここにチームの応援があるはず・・・・・・。あるはず・・・・・。あれ、いない。と、おもいながら関内駅を右手に横浜スタジアムを回りこむように左折したらそこにいた。なーんだと思いながら皆様とハイタッチ!!山下公園へ向かう直線が意外に緩やかな登りだった。
 山下公園を抜けると予想通り応援はまばらになっていく。コースもまっすぐになってきたのでリズムを崩さないように進む。しばらくするとまるで湧いてきたかのような応援の人々。まっすぐな通りに切れ目なく声援が飛ぶ。びっくりして交差点の地名を確認すると根岸とあった。そうか、根岸駅前だ。(余談ですが、私は生れたところは根岸なので余計感慨深かった)。そのあとも、途中高速道路下などさみしいところもあったが、磯子駅、そして南部市場前など予想をはるかに超えるたくさんの応援の人がいてなんだかウキウキしてしょうがなかった。
 この大会ではスペシャル給食を売りにしていたが、レース中あまり固形物を食べる元気はなく、とってなかった。南部市場ではイチゴを配ってたのでこれは食べといた。甘くておいしい。ハーフを過ぎ、懸念の高速道路まであと少しという頃で声をかけられた。見ると、伴さんご主人。追いかけてくださーいといいながら追い抜いていく。追いかけられませーんと心の中で答える。
 微妙な長さの坂道を上り、首都高へ。確かにみはらしはいい。しかし、走りにくい。なぜなら、道が斜めに傾いてバンになっているから。これには参った。ある程度のアップダウンは覚悟していたが、なかなかの走りづらさ。しかもこれが10km続く。この区間、応援パフォーマンスには本当に助けられた。高いところにのぼったからこそ見える上からの本牧プール、ある意味横浜名物「崖」、磯子プリンス跡地にたつ巨大マンション。横浜あるあるの風景にも助けられた。が、高速道路をおりてチームの幟を見た時には本当にほっとした。32km地点。さあ、あと10kmだ。
repo  本牧埠頭をすすみ、シンボルタワーを目指す。この辺りは試走でも走ったので安心して走れる。視線の先にものすごい巨大な旗がゆれてる。たぶん、4m位の長さがありそうだ。わくわくして近づいていたらハマコイの大集団。ものすごい迫力と活気。数あるパフォーマンスの中でも一番だった。走りながら泣きそうになる。立ち止まってずっと見てたいくらい。気分が上がって足が軽くなった気分で、実際には1kmだけ5分10まで上がったが、さすがにそこまでだった。やはり高速で足は使い切ってしまったみたいで体が重い。ひとまず36km地点にチームの人たちがいるからそこまで頑張ろう。応援団がいた。みんなにハイタッチした。(あとで聞いたらカーブのため走路と応援団が離れていたためハイタッチをわざわざしに来たのは私くらいだったらしい)。
 さあ、ラストと思いながらどうにかゴールを目指す。山下ふ頭の前を通り、山下公園前に戻ってきた。この日一番の感動ポイントはここだった。両脇の応援、全車線が走路。ものすごく気持ちがいい。まるで幻の横浜国際女子を今、走っているかのような昂揚感(単なる妄想ですが・・・・)枝しかないイチョウも黄金に輝いているよう。テンションも上がり、よく知っている道だということもあって自然とペースもあがっている(・・・つもり)
 パシフィコで素敵なタオルとメダルをもらって、結果は3時間47分。平凡なタイムだが一応、セカンドベストで終えられた。賛否両論もあったし最終的には何mだったか短かったからなんだかなあというところもあったが、楽しかった。ひたすらに楽しかった。
 コースも同じコースでいくのか、公認にはなるのか。色々な課題があると思うけどこのレースがこの町に根付いてほしいと思う。先日、出た青梅マラソンのように私設エイドがたくさん出たり、走る人、応援する人、住む人みんな楽しみにする大会になってほしい。来年もまた、エントリーしよう。


【岡 順二】「横浜マラソン2015」顛末記
 顛末とは物事の初めから終わりまでの事情の事です。人はそれぞれ様々な都合があるもの。2011年3月11日に発生した自然現象と福島第一原発の気の遠くなる様な事故のみが唯一の原因ではありませんが、フルは2009年3月の東京・荒川が、ハーフは2011年3月の三浦を走って以降、レースはほぼ開店休業の状態となりました。そんな私が横浜のフルにこだわってエントリーしようと思った理由は単純でした。1980年頃から三島さんご夫婦を中心に横浜中央走友会の大先輩の方々が地元でのフル開催の実現に向け10万筆を越える署名集めや行政との厳しい交渉など気の遠くなる様な努力をされていた事を聞いておりました。種が蒔かれてからいつしか30年以上の時が流れました。積年の夢が叶ったお祝いをこのフルを走る事で表敬したいと思い立ったからです。
repo  エントリーの動機は単純でしたが三つのハードルがありました。
①フルのエントリー料は1万5千円でありこんなに高額なレースは市民に広く開放されたレースとは言えないのではないかとの思い②面倒な申込みと抽選③2014年6月より左ヒザ故障。
①はお祝いという事で、また②も呆気なく乗り越えられましたが③は12月までかかりました。ヒザが完治した嬉しさでイロハを忘れて距離を増やしていたら、地震の後にはしばしば津浪が発生する様に今度は左かかとの周辺を患い再び走れなくなりました。運動はほとんど筋トレだけになり走行距離は1月97km、2月85kmという有様でした。筋トレに関しては消化メニューを作り大腿4頭筋、ハムストリング、腹筋、背筋をメインにして全身を鍛えましたが左かかとの痛みは消えてくれませんでした。
 レースの一週間前に体調を考慮して作戦を練り直し①完走を唯一無二の目標としタイムは望まない。②サロマペースの7分/kmを中心としゴールタイムは4時間55分前後。③両足底、両ヒザの初めてのテーピング及び新たなウエアーの装着実験と評価・・・とする事にしました。

3月15日はスタートしてしばらく5分/kmペースで走行し徐々に7分/kmに落としていきました。本牧あたりでシューズの紐がほどけて結びなおしたり磯子でトイレの長い行列に並んだりの初体験でロスタイムがありました。紐がほどけた理由は蝶結びのループを紐に挟み忘れたためであり、トイレはモーニングコーヒーの飲みすぎによる利尿作用に起因するものと思います。折り返しの南部市場に着く前あたりで右足底前部に小石が入った様な痛みがあり犯人探しでシューズを脱ぎ靴下も脱いで足裏を点検しましたが何も見あたりませんでした。
 折り返しても疲労感は無かったのですが高速道路に入ってから再び右足底前部の痛みが激しくなりその度にシューズや靴下を脱いで点検したり足底のテーピングをはがしたりで結局、シューズの紐ほどけから7回の停止を繰り返して189回目のレースを終えました。ネットは5時間8分で自己最低の珍記録ではありましたが初志は貫徹。ゴール後にもあまり疲労感が無かったのは筋トレ効果と遅いペースによるものと思われます。心配した左かかとはほとんど痛みが無く、また不思議にも右足底前部の痛みも消えたのでアンパンとチーズをかじりながら横浜駅まで歩きました。18日に児童公園まで走った時、右足底前部にレース時と同じ現象が発現し指で押さえたら魚の目らしきものがありました。左かかとに気を取られていたら思わぬところに伏兵がいました。原因が判明し皮膚科で治療を開始しています。

 横浜マラソンにフルが加わった事は嬉しく思います。しかし慌てて産声をあげた様で高額なエントリー料にも拘らず未公認コースだったりトイレが少なすぎたり有料記録証だったりで東京を越えて世界に誇れる先進的な大会に育てていくには改善すべき事が多くありそうです。この点の提言については地元ランナーの責務であることは言うまでもありません。私の希望としては①チャリティーを選択肢の一つにする(エントリーの動機付け)②検診義務付けで65歳以上は無抽選かつ無料とする(医療費の削減)③参加者は倍増する(規模拡大による抽選倍率低減)④参加人数当たりのトイレ増⑤記録証の即日配布⑥ボランティアに参加した人は申請すれば次年度は無抽選などが挙げられますがぜひ議論して頂きたいと思います。

 今後の事ですが
①一旦手離した筋肉はすぐに取り戻すことは難しいものの、初心に帰って走る意味を問い直しながら走り続けたい②鎌倉まで走って行き海で汗を流して帰って来たい③健康寿命の延伸と健康格差の縮小を目指していずれ一般的になるであろう80歳越えのフルの安全な走り方を試行錯誤しながら考えてみたいと本能的に思っています。
 最後になりましたが沿道でご声援頂いた皆様や、ボランティアで貴重な汗を流された皆様に心より感謝いたします。


●ボランティアレポート

【金井 慎一郎】
repo横浜マラソンに関して、今回、ボランティアスタッフとして参加しました。今まで、神奈川マラソンの受付をお手伝いした事はありましたが、東京マラソンにも劣らない規模の参加者である横浜マラソンのサポートは、ちょっと次元が違っていたというのが正直なところです。

参加者の多さ=預かる物量の多さという事になりますが、横浜中央走友会が受け持ったランナーが預けた荷物の返却エリアに行ってみると・・・・。恐らく、早朝より荷物預かりをした担当者が、受付したものの番号順に整理しきれず積み上がった荷物の山。それを仕分けして番号順に並べて整理するという作業に取り掛かりました。余りに雑然と積みあがった荷物の山に、一瞬、ランナーが帰って来るまでにちゃんと整理出来るのか?と不安になりましたが、冷静に考えれば、3時間で帰って来れるランナーなんて1割も居ない訳で、何とか、整理をしてランナーの帰りを待つことが出来ました。

今回、帰ってくるランナーを荷物返却場所で待っていると、横浜中央走友会メンバーの走力の高さを改めて発見出来たのが、新鮮でした!サブスリー組の筆頭が小島さんでしたが、ほぼ4時間以内でゴールしている走友会メンバーの後に、はるかに多くのランナーが寄せる波のようにゴールします。最後は、収容バスで戻って来て、ようやく15時過ぎに、荷物受取に来る方も居るなどで、やっぱり日頃から目標を持って練習している走友会メンバーの走力は違うんだなぁ。と改めて、実感しました!

来年以降も、この大会がより一層盛り上がっていくよう、ランニングの楽しさを伝えていく役割を、横浜中央走友会が担って行きたいですね。皆さん、お疲れ様でした。


●応援団レポート

【古上 昌幸】

repo

大会前に参加選手といっしょにコースの試走を兼ねて応援場所のチェックしたおかげでベスト応援場所を確保できました。応援団は事前に連絡あった6名と、当日サプライズ参加の大島君、神崎君、うちのカミさん、そして福さん夫婦と七輝チャンの合計11名。 

第一応援ポイントは 集合場所のJR関内駅から近い横浜スタジアムの高速道路側のスタート地点から5km手前の場所。8時過ぎにもかかわらず、応援の人が少なくて東京マラソンに比べて寂しいなと思いました。ここは道幅がせまくて、選手との距離感もなく応援にはよい場所です。

第二ポイントは横浜スタジアムから徒歩でマラソンコースを逆走して高速道路本牧ふ頭降口の約32km地点と、ここから横浜シンボルタワーからの復路と交差する場所37km地点のふたつのコースが交わる「黄金の三角地帯」です。一度で2回おいしいところです。
到着したときは 他の応援団も多くてのぼり旗が多く立ててありまし。 わが横浜中央走友会も負けじとのぼり旗を3本たて、選手からも良く見える場所で応援。ここも選手たちとの距離も近くハイタッチできたところです。

反省するところは、事前に参加選手たちを把握すればもう少し応援できたはずです。通り過ぎてから、今の誰誰さんじゃないのという感じでした。次回は磯子駅付近にも応援したいものです。


HOME