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漆黒の笹子峠を走る

諏訪湖~日本橋・甲州夢街道215キロ伴走記

KOSHU


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KOSHU いよいよ 峠への登りが始まった。一宮、勝沼の町の灯りがかすかな残照の中に星を散りばめた様に美しい。ここは国道20号線 スタートの諏訪湖からほぼ70キロ、86キロの第2ステーシヨンまで後16キロ、かなりの勾配で道は夕闇の中に消えていく。
KOSHU 辺りがすっかり闇に包まれた頃漸く第2ステーシヨン到着、軒下の裸電球がボランティアの方々の暖かいもてなしを照らしている。既に80キロを走り終えた彼女だけど、この先の気の遠くなるような道のりに思いを馳せてか気丈にも疲れた顔も見せず、あれこれ補給をしている。この間にいよいよ迎える’魔の笹子峠越え”の情報を集める。
 この先甲斐大和から国道20号を分岐して旧甲州街道212号線に入る。此の山道は再び20号線に合流するまで全長20キロ、分岐後1キロぐらいは少し人家があるがその先は先の台風で路肩が崩壊したため車両通行止め、行き交う車もない文字通り無人の山道。
峠まで13キロ、トンネルを越えて人里迄7キロ 何とか10時には第3ステーシヨンに着きたい! と皆さんの励ましを受けながら出発。既に7時を過ぎている。 分岐点から少しの間は僅かな人家があり、窓の明かりが山深い里の暖かみを与えて呉れる。
 その人家も絶えてやがて車1台がやっと通れる様な山合いの道に入る。両側は一抱えもあるような鬱蒼たる杉の大木、その梢のその先に僅かな青白い空が見える。 足下を照らすヘッドランプの光が弱々しい、彼女も不安げな足取りで懸命に歩いている。足下がよく見えないのでとても走れない。時間が進むに従い闇は一層深まり漆黒の夜道となる。つづれ折りに続く山道、路肩の反射鏡が遠くでキラッと光る。一瞬体が強張る”高橋先生の二の舞か?”恐怖が身をよぎる。でも彼女には知られないように わざと大きな声で話しかけるが彼女は既に疲労が極に達しており、返す言葉も力がない。

突然、彼女が ”何か いたー!”と腕にしがみついてきた。右手の林の中に何か大きな動物がいて我々に驚いて闇の中に消えていった・・・と言う。狸かイノシシか はたまた 熊か? 2人とも恐怖心を押し殺してひたすら夜道を駆け登った。  ”僕が彼女を護らなければ・・・・”と言う緊張感、苦しさに耐えながらも懸命に先を急ぐ彼女が無性に愛おしく思われる。 峠までの遠いこと・・・ 遠くで梟が ”ホーッ、ホーッ”と寂しげに鳴いている。暫くいくと”フイーッ、フイーッ”と鹿の危険を知らせる鳴き声が聞こえる。そう ここは野生の真っ只中、ランパン1枚のランナーの何と無防備なこと! ここまで1人のランナーにも追いつけず、追いつかれず.此の深山に我々2人だけ、早く抜け出したい! もう少し 頑張ろう! 組んだ腕に思わず力が入る。
 やがて稜線が見えてきた。頂上が近い。トンネルの近くにあずま屋やがあると言う。そして暗闇の中にボーッとあずま屋が見えてきた。闇夜の中に見える古びたあずま屋はここまでの夜道の怖さを倍加させるほどに、ひんやりとした得体の知れない不気味さで我々を迎えていた。 そして、彼女の恐怖心はここで最高潮に達した。

KOSHU 何と、此のトンネルには武田家の家臣の亡霊が出る!という噂があるという。これまでの山道の怖さの果てにまたしても亡霊の恐怖が待っていようとは! とその時、前方100m位のところにヘッドランプをつけたランナーがたった1人で走っているのが見えた。トンネルの直前で漸く追いついたその時 ”一緒に行きましよーッ”彼女の悲痛な叫びが漆黒の闇に吸い込まれていった。聞けば、あの山道をたった1人で登ってきたという。その怖さはとても想像すら出来ない。
 漸く3人になった安堵感で本当に生き返った思いがした。彼女を真ん中にしていよいよトンネルへ入る。亡霊が出るからには、もっと掘りっぱなしの荒々しい岩肌のトンネルを想像していたが,意外にも立派なトンネルでこれでは亡霊も一寸出にくいのではないか・・・。仲間が1人増えたので彼女も漸く元気を取り戻し、久しぶりに平らな道を出口目指して走った。小さな点でしか見えなかった出口が次第に大きな円になり遂に視界が開けてトンネルを抜け出た。やったー!

KOSHU とその時、そこには何と我が走友会のサポーター粂さんと沢田さんが車のライトを照らして待っていて呉れたではないか!車両進入禁止なのでここまで来ているとは考えてもいなかったので2人の懸命なサービスに仲間の有り難さを痛感した。お二人さん本当にありがとうございました。少し休んでいる間にポツ、ポツとランナーがトンネルを抜け出してきて、疲労と恐怖心から解放してくれる闇夜のオアシスに一瞬の休息を楽しんでいた。文字通り深山の真っ只中に現れたオアシスそのものであった。

あれこれ補給を済ませいよいよ第3ステーシヨンへの下りに入る。予想以上に急な坂道を取り敢えず元気にスタート、店終いを終えた粂さんの車が短い警笛を鳴らして横を走り去って行った。さあ また2人だけの世界 彼女は既に100キロを越えている、疲れた脚にむち打って懸命に暗闇の山道を急ぐ。下るに従い周りの山々が次第に高くなり稜線の明るさが消えて闇が一層深くなる。ヘッドランプの電池が限界らしく足下に描く光の輪がぼんやりしか見えなくなった。峠を越えた安堵感か気持ちは少し余裕が出てきたが疲労の積み重ねはその重みを増すばかり。支え合うように腕を組んでとぼとぼと下る。
 突然彼女が前を指さして”誰か人がいるー!”頂上を出発したときの状況から、この辺で追いつけるランナーは居ない筈と思いながらも、指さした辺りに近づいたが何も見えない。そこには立ち枯れた杉の古木がひっそりと立っていた。疲労の限界で幻覚を見ているのだろうか どんなにか辛いんだろう。可哀想で涙が出そうになるのをこらえて〝もう少し!頑張ろう!”励ます言葉も弱々しい。

KOSHU やがて 遙か下の方に人家の明かりが見えてきた。その数が少しずつ増えて その向こうに20号線を走る車のライトがまぶしく周りを照らして走り去るのが見えた。出発点から108キロ、全行程の丁度半分 第3ステーシヨンに到着 ほぼ予定通りの午後10時であった。
 テントの中は本部の人とランナーとが入り交じってワイワイ、ガヤガヤ、僕のような伴走にまで労ってくれて恐縮。2人でお粥を頂く。ウマイ! 彼女は胃を傷めていたのでお粥が有り難かった。日頃お米のものを殆ど食べないのに ”お粥がこんなに美味しい物だったんだ” と再確認した。


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KOSHU あれこれ 沢山詰め込み、電池を交換していよいよ後半のスタート。 大勢の人たちの声援を受けて久しぶりの国道20号線を次の目的地大月を目指して走り始める。
距離約15キロ 寝静まった家並みに沿って狭い歩道を走る。その横を大型トラックが轟音を残して走り去る。闇夜の森の恐怖とは異質の恐怖が疲れた神経に覆い被さる。彼女は既に18時間も走り続けている。少し眠らせてやりたいが待機している筈の車が見つからない。仕方なく24時間オープンのコンビニの軒下に腰掛けて蹲るようにつかの間の休息をとる。どれほどの休みになっただろうか、声もなく立ち上がり再び真夜中の街道を走り始める。街角のあちこちに疲れたランナーが1人、2人と蹲って休息しているのが痛々しい。
 歩道の凹凸が走りづらい。その為彼女は車道に残されている僅かな歩道部分を走るようになった。歩道部分とは言え幅僅か50センチ位疲れと睡魔で足元がおぼつかない。よろよろっと車道の中に踏み込んでいく。これは危険だ! 全神経を集中して横に並び、後に付いてガードする。とても自分が疲れている場合じゃない。車は まさかこの真夜中に人がふらふら走っているとは夢にも思わないだろう。ものすごいスピードで直ぐ脇を走りすぎていく。 粂さんも何処かで仮眠してるのだろうか もう2時間ぐらい姿が見えない。

KOSHU 走るが如く、歩くが如く、ひたすら日本橋を目指して真夜中の街道を急ぐ。やがて大月の大橋をわたって次の目的地上野原を目指す。距離約20キロ、なかなか空が明るくならない。大きな町を過ぎると途端にコンビニが姿を消した。彼女に何か補給をさせなくては・・・と気持ちが焦る。猿橋、鳥沢、梁川、四方津、小さな町をどのように 走り抜けてきたのか今どうしても思い出せない。 ”どうしても彼女を日本橋まで連れて行きたい・・・” と思いつつも、我が身もまた夢遊病者の如く夜更けの甲州路を彷徨っていたのだろうか。
 漸く車に会えた。彼女を少しでも寝かせようと後部座席に押し込んで自分も荷物室に潜り込むが荷物が一杯でとても眠れる姿勢がとれない。 彼女は泥の様に眠っている。夢を見る元気があるだろうか・・・。10分?、20分? 粂さんが小さな声で彼女に声をかける ”そろそろ行こうか・・” 無情なささやきが気丈な彼女を再び走りの世界に引き戻してしまった。少しは眠れただろうか? 屈伸運動、ふくらはぎをマッサージして ”さー行こう・・・”、 やがて東の空が薄水色に変わってヘッドランプがお役ご免となった。走り始めてやがて24時間、遥けくも来し哉。

9月30日 日曜日の朝を迎えた。風もなく、暖かな夜だったのが幸運だった。明るい道の何と快適なことか・・。漸く上野原を過ぎて次の目標は相模湖、距離約10キロ、この辺りから再び山道が多くなる。眼下に朝靄に霞む相模湖を見下ろし、見上げれば高速道路の真っ赤なアーチ橋が夜明けの緑の中に美しい。地元のフアン?の方がオートバイに飲み物やら自家製の梅干しやらを積んで道ばたで俄かエイドステーシヨンを開いてくれる。水分を沢山補給し、塩のたっぷり利いた梅干しを頂く。塩分の枯れた体には何よりの贈り物。前を行くランナーにもあげるんだ とあたふたと店じまいをしてバイクは山道のカーブの向こうに消えて行った。
 夜明けとともに彼女の体調も少し落ち着いたのか、辛い中にも淡々と小さな登り下りをこなして行く。 この辺りから道路標識に八王子、東京、の文字が見られるようになった。待ち焦がれていた文字だ! しかし標識は無情にも 東京60キロ と示している。まだ60キロもある、彼女は見ないで欲しい・・!と願う。

KOSHU 相模湖を過ぎいよいよ八王子まで 距離約20キロ、途中最後の難関 大垂水峠が待っている。つづれ折りに登る峠道が彼女の挑戦をあざ笑うようにどこまでも続いている。 前夜の峠道は暗闇の中で標高差を感じる事がなかったが、明るくなってから見る峠は ランナーを絶望的な淵に落とし込むに十分な壁に見える。既に150キロを走り続けてきた彼女はどんな思いで此の峠道を登ってるのだろうか。頑張れ!最後の登りだ!

峠への途中でサポーター第2陣 高嶋さん、黒木さんが迎えに来てくれた。頼もしい援軍に力を得て懸命に峠を目指す。高嶋さんには 彼女のペースを乱さないために、叱咤激励をせずに、横か後に付いて走って貰うよう頼んで彼女をひとまず預けた。彼女の無事な走りをサポートすると言う緊張感に後押しされ、考えても見なかった距離を一緒に苦しんで来た自分にとって、ひとときとは言え彼女を預ける時が来たことを知った時これまでの張りつめた緊張感が途切れて、新たなサポーターを得た彼女がつづれ折りの山道の陰に消えてゆくのを見送った。
 この時、道ばたのドライブインから朝食を済ませてきた粂さんたちが、”ここのカレーライスは旨いよ・・”。昨夜から殆ど、それらしい物を食べていない我が身は此の一声の魔力には勝てなかった。何しろ、財布は車の中に預けたままの一文無し、彼女が懸命に走ってるのに伴走の僕が ”お腹すいたー” などとはとても言い出せず、それを知ってか夜中のコンビニでオデンをご馳走になってしまったと言う悲しい物語。さて、ドライブイン お客は中年の夫婦一組、朝から変な格好の我々を怪訝そうに見ていたが粂さんが事情を説明、”諏訪湖から日本橋まで215キロ走るんです・・”、お客 ”215キロ ???・・”最後まで思考が噛み合っていなかった。思わぬ途中下車でだいぶ離されてしまった。カレーの魔力か頂上への峠道を一気に駈け登り約3キロ先で追いつく。此の先はのんびりと高尾までの下り坂、都心に近づいている筈なのに意外にも道幅は狭くここまでの中で一番田舎っぽ い感じ。


KOSHU KOSHU やがて 遙か遠くに高尾の街並みが見える。久しぶりの都会の雰囲気を感じながら最後の補給休み。取り囲む仲間が増えて、これまで張り詰めていた糸も何時しか緩みがち 彼女の状態判断が散漫になってきた。 気を引き締めて次の目的地八王子まで頑張ろう! 自分に言い聞かせて一直線に延びる欅並木を八王子へと急ぐ。
午後2時八王子到着! 東京まで残り40キロ、此の先 日本橋までを高嶋さんに託して自分の予定を終えた。 ここまで頑張ってきた彼女を抱きしめてやりたい気持ちを抑えて、遙かなる日本橋のゴールを目指す二人をいつしか降り出した霧雨の中に見送った。


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「甲州夢街道215」は アメリカ大陸横断(Trans America) 4600Kを2度完走した 海宝道義さんが主宰する「海宝ロードランニングクラブ」が2000年から始めた 「下諏訪~日本橋 215キロ・制限時間36時間」のウルトラマラソンです。 第1回目は「甲州夢街道シルクロード208kmラン・ウォーク遠足」として開催され、第2回目から215Kに変更となり現在に至っている。
 この企画に 我が走友 橋本玲子さんが挑戦するのを応援するため、粂、澤田、卓が甲府駅から伴走した時のレポートです。応援団は当初5名でしたが、2名が都合によりキャンセル、3名での応援となり、粂さんが車の運転・結局僕が伴走専任となった厳しいランでした。 この時125キロを伴走した自信が、僕のその後の サロマ100kに再登場するきっかけになりました。


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平成13年9月29、30日   横浜中央走友会・山本 卓

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