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【サロマ湖100キロに挑む  1999~2008年】


SAROMA


その1 初挑戦

期日:1999.6.20
走友:藤岡哲雄
   岡順二


SAROMA



SAROMA 初夏を迎えた北の大地に今年も過酷な100キロ・レースに己の青春を懸けるランナー達が全国から集まって来た。

走り始めて50年、己の走りの集大成として気力と体力に今年が最後のチャンスと直感し、無謀とも思える参加申し込書を投函してしまった。
City Runnerとして走り続けてきた自分の走りに対する一つの結論を探りたくてこれまで伊豆半島、箱根駅伝コース、房総半島など、一日の距離50キロまでは幾度か体験を重ねてきたが、その先の50キロは想像さえも出来ない未知の世界であった。参加を決めるまでは自分のこれまでの走りに耐えられるか否か確認も出来ず、只、今年やらなければ次の機会は無いだろうと言う切羽詰まった思い込みが65歳を後10日で終わる自分への宿命として北の大地に立たせた。
これまでウルトラ・マラソンは遠い彼方のものと思っていたが、自分の周りに〝完走“ の声が聞こえる様になって100キロが僅かにも身近なものに思えてきた。しかし、自分の年齢を考えると100キロは依然遠い彼方に姿を消してしまう無常を感じていた。このまま自分の走りが終わってしまってもいいのか? この50年に流した汗は何だったのか? 生涯に再び出会うことの無いたった一度のチャンスに挑むこともなく見過ごしてしまってもいいのか・・・? 後からあとから降りかかってくる自問に65歳と言う年齢と100キロと言う絶望的な距離をどのように結び付けるか?


藤岡さんから送られてきた申込書を見つめ、締切を気にしながらの呻吟する日々が続いた。
そして、遠い昔のあることを思い出していた。

敗戦から10年ほど過ぎ、国中が復興の糸口を見つけようと懸命になっていたころ、不幸にも大学の卒業を迎えてしまった。めぼしい就職先もない中、不本意ながら仕事を決めていく仲間達をみて、大学の4年間はそんなに軽いものではない・・、よし、俺はアメリカに行こう! 昭和32年のことです。その頃、北海道に割り当てられた留学生の枠は僅か5名で、しかも私費留学に対しては僅か500ドルが支給されるだけでした。当然、飛行機には乗れず太平洋航路の貨物船に乗せてもらって2週間懸けて太平洋を渡りました。その頃の日本には今のように瞬時に世界中の情報が入ってくる状況ではなく、まして北海道では殊更アメリカのことについての情報が入ってきませんでした。 そのことを考えると、未知の国への恐怖感と不安感はサロマ湖100キロを遥かに超えるものであった筈です。しかし、自分の夢を叶えることの歓びが全てに勝って未知なる国に降り立ちました。昭和33年2月20日でした。

あの時のことを考えると、サロマを避けて通る理由が無くなり、走友 岡さんを仲間に引き込んで申込書を埋めていきました。

さあ、いよいよ100キロ対策を考えることになりましたが、何をどうすればいいのか見当もつかず、只気持ちだけがはやる思いでした。50キロの練習では当然足りないし、とは言え70,80キロの練習などは簡単に出来ないし、結局、距離への不安は最後まで解くことは出来ませんでした。
この時、藤岡さんから貰った彼の初回、2回目のラップタイムの記録でした。それによると、初回は前半飛ばし過ぎて後半自滅、2回目は周到なペース配分による成功と明暗がはっきりと判りました。このことが判ったので、残された時間の中でキロ6分にどれだけ自分をコントロール出来るか・・が大きなテーマになりました。


目標は判ったけど、さて どういう練習をすればいいのか?

取敢えず、身近な処で環状2号線 新横浜~磯子往復38キロをキロ6分に無理矢理合わせて走ってみましたが、これが意外に難しくはやる気持ちを抑えられず初回のペース走は失敗に終わりました。 この練習を日曜ごとに2,3回繰り返し少し要領が判って来た頃、かねて続けていた房総半島一周の最終区間、勝浦~銚子100キロを走ろう・・・と言う案がでてゴールデンウイークの直後に決行しました。メンバーは、サロマの先輩・藤岡さんに、岡、高嶋、卓 の4人。
SAROMA 目指すは一日目の目的地九十九里町までの50キロ。海辺の平坦な道をキロ6分で順調に走り5時間で民宿清水荘に到着。単独走ではペースを守る事が難しいことを実感した。
 この日の実績で10キロ1時間X5時間 がどのような事なのか少し判ったような気がする。風呂で汗を流し待望の冷たいビールで不足した水分を十分に補給し、岡さん推薦のAmino Vitalを飲んで疲労回復を図った。全員何処にも異常が無く50キロを走った体とは思えない体調で1日目を終えた。
2日目、朝7時出発。銚子までの50キロ、海岸線に沿って北上し予定通り10キロ1時間で12時銚子駅ゴール。二日間で100キロを予定の時間で走り切れたのは大きな収穫であったが、所詮50キロX2回には変わらず、100キロx1回に対する不安は依然として大きな重みとなって残った。
しかし、自分に出来る練習はこの位が限度だろうと自分を納得させてサロマ対策を終えた。後は体調の維持と未知への挑戦と言う気の狂いそうな緊張感におし潰されない強さを維持ことに身を委ねてレースを待った。


1999年6月20日。1900年代最後の年、65歳を後10日で終わろうと言うこの日は自分の生涯最も記憶すべき年になった。

高度一万メートル、まだ山頂に雪を残している大雪山を見下ろしながら勇躍女満別空港に降り立った。岡さんも少々緊張気味。降り立つ乗客のほとんどがサロマに青春を懸ける誇り高き若者達、しかし彼らも未知への不安を一杯に詰め込んだ大きなザックを肩に黙々と迎えのバスに乗り込んでいった。
バスは明日の舞台となる湖畔の道を一路主会場になる湧別町へ向かう。車中、前年の体験者がコースの解説するのを窓に顔を押し付けて聞きながら午後3時会場着。緊張の中で受付を済ませ、もう後には引けないと自分を納得させる。  後はやるっきゃない!
そうと決まれば後はリラックスするだけ。岡さんと早速ホタテ焼きの屋台で食べ放題。美味かった~! これでレースが無ければ天国だな~。 岡さんは屋台のお兄ちゃんとすっかり仲良くなって、リスの様にほっぺた一杯にホタテを詰め込んでいた。 折角だから、と記念の小物を買い集めて再びバスで今夜の宿ホテル緑館へ向かう。サロマ湖は嵐の前の静けさの如く既に夕闇の中に沈んでいた。同室者はサロマ3回目が2名、2回目が2名、初めてが我々2名の計6名。湖面を見下ろす展望風呂で〝明日の今頃はどうしてるだろう・・・“ さて、夕食はあれこれのバイキング。北の幸が山ほど。何しろ明日のガス欠対策なので皆黙々と詰め込んでいる。

部屋に戻り明日の準備、先輩達の話を聞きながら 何を着よう、何を穿こう・・ いろいろ考えているうちに消灯時間。明日は1時起床、3時出発、あれこれ考えると益々気が高ぶって寝付かれず、先輩達の自信に満ちた寝息を羨ましく聞きながら無情にも仕掛けた目覚時計に起こされてしまった。
無情にも外は雨、しかも寒い。6月とは言え、オホーツクを渡る寒気はあくまでも強気である。気温6度、迷うことなくロングタイツと長袖、上に走友会のランシャッツ、さらに雨除けのビニール袋を被って準備万全。午前3時、暗闇の中を出発。眠り足りないのか、緊張しているのか、誰も何も言わず窓に映る自分の顔を見つめている。

湧別町体育館は既にランナー達の熱気で溢れている。漸く見つけた隙間に腰を落ち着け、いよいよ本番にむけて最後の準備。流石にウオーミングアップに出掛ける人もなく狭い室内でストレッチをするのが精一杯であった。どの顔もこれから始まる100キロの死闘に緊張と不安の色を漂わせながら、徒にうろうろ動き回っているだけ。中間地点(緑館)とゴールへ運んでもらう荷物を自衛隊のトラックに預けて、〝もう、行くっきゃない!“
岡さんと取敢えず力なく握手などして小雨の中をスタート地点に向かう。ここで漸く藤岡さんと会う。彼は3度目、ニコニコの余裕たっぷり。


漸く明るくなりかけたサロマの5時、無情にも鳴り響くピストルの音に鈍く反応してだらだらと動き出した。
いつも見なれた脱兎のごとく飛び出すレースとは全く違う風景に、一瞬戸惑いながらも、〝ああ、これがサロマか・・・“ と納得。  体が少し動くようになっても、その先を思うと誰も飛び出す勇気もなく大きな集団がぞろぞろ移動するだけ。 漸く明るくなりかけたサロマ湖を右に見て最初の折り返し点竜宮台へ向かう。折り返し地点が15キロ、湖畔の家々からもう沢山の人が応援に出ていてくれる。最初のSlow Paceのお陰で体調もバッチリ。藤岡さんと並走して、キロ6分のペースをまもる。25キロ付近からコースは内陸に入り広大な牧場地帯に入る。5キロぐらいも続く大平原の一本道、赤い屋根の牛舎と青いサイロ、如何にも北海道らしい風景の中が30キロ(2時間58分41秒) 予定通りキロ6分。

やがて40キロ(4:01:14) 予定通りのペース。再び湖畔の道に出てやがてフルマラソンの42.195キロ(4:13:13)  フルマラソンの距離をこんなに簡単に走り切れたのが不思議な思いがする。 とは言え、この先まだ60キロを思うとフルマラソンはまだ序盤戦。この付近からコースは緩やかな丘陵地帯に入る。新緑の唐松がうねる様に続く一本道をひたすら中間点を目指す。登りがきつい。
やがて50キロ(5:01:18) まだキロ6分、すごい。藤岡さんの前後を走っていたのが良かったのか。 この付近で先行していた岡さんに追いついた。流石に疲れていて、いつもの岡流の駄洒落も聞けず、〝もう直ぐRest Station だから頑張ろう!“と声を懸けて先に出る。

SAROMA 緑館直前でゼッケン番号2206、同じクラスのランナーに追いつかれた。自分と一番違いの仲間と言う偶然もあって、いろいろお喋りをしながら55キロのRest Station (緑館)に到着、彼の奥さんがカメラを構えているはずだから一緒に入りましょう! ということで2206番と2205番が仲良く手を繋いで漸く緑館着。後日送られてきた写真は、彼が大会事務局にゼッケン番号を照会して住所を確認してわざわざ送ってくれたもの。ランナーの心優しさに感動した。井上 淑さん、名古屋の人、元高校教師でサロマは3回目とのこと。サロマ10回完走者に与えられる称号「サロマンブルー」を目指して いる・・・と元気な暑中見舞いを頂いた。

Rest stationでは地元高校生が次々到着するランナーに出発時預けた着替え用の袋を手際よく手渡してくれる。ここで、ゆっくり着替えを済ませ、あれこれ補給をして再びコースに戻る。この間、20分位、井上さんは着替えもそこそこに出発していったのが不思議だったが、ゴールでは彼が3位、僕が4位。 休憩した20分が3位の賞状と抱えきれないほどの賞品を逃した結果になった。

いよいよ後半、緩やかにつらなる丘陵地帯。このコース一番の登りに入ったが、横浜の山坂で鍛えた脚には怖れるに足らず、頂上から遥か彼方 湖の対岸に長く延びるワッカの半島が見える。気の遠くなるようなその遠さに果たして本当に走り切れるのだろうか・・・? 一瞬身ぶるいするような不安感と、どうしても辿り着かなければ・・・と言う緊張感に襲われながら前後の人影が疎らになった一本道をひたすらゴールを目指した。コースは何時の間にか再び湖畔の林間コースに替った。

やがて60キロ(6:06:54) まだキロ6分が維持できてる。 よし、この調子で行こう! 湖岸の道はゆっくり蛇行して緑のトンネルをプレゼントしてくれる。この付近が一番気持ちよく走れた所謂Running High の状態で、まさに天国に続く道に思える快適なランである。

しかし、魔の70キロ、Running Highの快感に浸っている間に、ついOver Paceの罠にはまって所要時間は(7:19:08) 遂にキロ6分のペースが崩れてきた。やがて75キロ、東急ホテルのRest Station。しばし休足。沢山食べ、飲んで、マッサージをしているうちに藤岡さんが追いついてきて、補給もせずに走り去って行った。これが藤岡流のサロマか? 束の間の元気を取り戻して再び走り始める。マッサージのお陰で少し軽くなった足に残り25キロの夢を懸けて先を急ぐ。気持ちとは裏腹に、足はとぼとぼ、首はうな垂れてつま先を力なく見つめているだけ。

いよいよ地獄のワッカへの入口、ここでとんだHappening、 疲れて俯いていたため、ワッカへの左折を見落として交差点を直進、渡り切った時ふっと目を上げると前方を走っていたランナーが誰も居ない! 振り向くとランナーは皆交差点を左折して行くではないか! それにしても、コース監察の係さん、びっくりしただろうな~!。(だから、ウルトラマラソンは面白いのだ!)

さあ、80キロ(8:35:14) 遂にキロ7分を越えてしまった。苦しい! 残り20キロ、絶対完走するぞ~! コースは此処から国道を離れて魔物が棲むと言うワッカの原生花園の砂丘地帯に入る。細い道が小さく起伏しながら砂丘の彼方に延々と続いている。 白いランナーの点が10キロ先の折り返し点まで続いている最後の難所である。  砂丘にはハマナスやエゾスカシユリが咲いている筈なのに、とても花を楽しむ余裕が無くなっている。この辺りで50キロコースのランナーが次々追い越して行く。元気なおばさま達に何人抜かれただろうか。 でも、俺は君より50キロ先から走って来たんだぞ~!
こんな気負いだけに支えられて夢遊病者の様にひたすら折り返し点を目指す。折り返してくるランナーは皆残り10キロを楽しんでいるように見えて悔しい。小さな橋を渡って最後の折り返し。この付近で藤岡さんとすれ違ったらしいけど全く気がつかなかった。

やがて90キロ(9:59:03) もう時間の事は考えたくない。早く終わりたい!と思うばかり。スタートして既に10時間、よくぞここまで来たものだ! お前はすごい! 自分を鼓舞しながらも、足はもう限界に近い。でもここで歩いたら制限時間の13時間内にゴール出来ないかもしれない。懸命に脚を動かすが、前を歩いているランナーに追い付かないのが悔しい。走ることへの執念が消えた時全てが終わる。これまでの90キロの苦しさを無にしないためにも走っている意識を持ち続けよう。 もがき苦しんでいる時95キロの標識! さあ、どんなに苦しんでも後5キロ。砂丘の道に夕暮れが近づいてきた。

SAROMA 折り返した道はゴールに続く一本道。これから折り返し点に向かうランナーに〝頑張れ! もう少しだぞ“ 自分が貰った言葉を誰かれなく叫んでいる自分がいた。苦しい中で仲間に声をかけられる気持ちの余裕があることに気がついたとき、不思議にもあの苦しかったことは何だったのだろう?と思えるほど体が軽いことに気がついた。  やがて、文字通り“地獄のワッカ”から再び国道に戻って最後の3キロ。 キロ表示が一つずつ減って行くのが嬉しい。国道に出て、ここまで抜かれたランナーを全部抜き返したと思うほど快心の走りに酔い、広々とした国道の真ん中を胸を張って100キロを走り切った誇りと満足感を体の芯まで感じながら大声援の中を残り300m。夕暮れの迫る北の大地の気の遠くなるような距離を走って来た65歳の脚が最後の力を振り絞ってゴールを駆け抜けた。

記録:11時間44分48秒

制限時間を1時間半も残してのゴールは65歳以上のクラス27名の4位だった。

SAROMA 50キロから先の50キロってどんなものなのだろう? サロマを走ろうと決めてから、未知の距離への不安感と恐怖感を克服する術も知らぬ間に、満面の笑みでゴールテープを切ったのは紛れもなく 感動そのものであった。

スプリットとラップタイム(ネット)
10Km 20Km 30Km 40Km 50Km 60Km 70Km 80Km 90Km 100Km
0:57:33 1:56:18 2:58:41 4:01:14 5:01:18 6:06:54 7:19:08 8:35:14 9:59:03 11:19:30
0:57:33 0:58:45 1:02:23 1:02:33 1:00:04 1:05:36 1:12:14 1:16:06 1:23:49 1:20:27


SAROMA
1999.7.1    
横浜中央走友会 山本 卓


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