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【北海道横断走】  知床~函館  735Km  2007~8年


HOKKAIDO

第1ステージ

   『北の大地を走る』


期日:2007.6.26~30
走区:知床~層雲峡
距離:246Km
走友:二宮徳長



氷雨の中、次々ゴールして来る走友の歓喜にあふれた笑顔を無念の思いでひたすら待ち続けて今年のサロマ100キロは終わった。
HOKKAIDO 勇気ある撤退 と決意しての途中リタイアと思いつつも、完走を果たした走友の晴れがましい姿を見るとき、果たして 勇気ある撤退 だったのだろうか? 横断ランを口実にした自己逃避ではなかったのか? 次々襲いかかる自己嫌悪の念にさいなまれて早くこの場を抜け出したい! と願っている自分が居た。
いつもの様に、スタート前はほとんどアップらしい事もせず、未だ眠っている体のままスタート直後からのハイスピードで筋肉への急激な衝撃が原因だったのだろう。
6回目の参加で、レースペースを解っていたつもりの奢りだった。収容車の窓から黙々と走るランナーの背中を見るのは身を削られるように辛い光景だった。 早く気持ちを切り替えよう といつもの様に完走パーテーの沢山のご馳走を抱えて氷雨の中の冷たい帰還であった。宿の大きな湯船に身を沈め、悪夢のような一日をさっぱりと洗い流して、明日から始まる北海道横断走にモードを切り替えて荷物の整理をする。


翌朝、今回は、札幌発14時の飛行機に乗る 宮崎、吉田、藤岡、芥川、札幌へ帰る永野の早朝組が別れの言葉もそこそこに、早朝6時早々に出発して行った。
残った山本稔さん、小沢組は午後7時旭川発と言うことで、たっぷりある時間を利用して横断ランに挑戦する二宮、卓 を知床ウトロのスタート地点まで送ってもらうことに した。 昨日の雨が嘘のように晴れて快晴の朝、不安と昂ぶる思いを乗せた車は、明日からの試練の場となる知床街道を一路『地の果て』(知床のアイヌ語意)を目指して広大な緑の海原を走る。
HOKKAIDO今回、熊との遭遇が懸念される区間の一つ、斜里~ ウトロ間の道筋にその危険性を探ろうと全神経を集中して、ようやく迎えた新緑の海岸を走る。幸い、予想以上に車の往来が多いので少し安心。途中15キロぐらいは全くの無人地帯があるのと、歩道に草が覆い被さって車道を走らなければならない区間が5キロ位あること等走路の概況が判ったのはありがたかった。 朝9時半 今夜の宿 民宿石山に到着。 さあ、いよいよ未知への挑戦の場、流石に身の引き締まる思いがする。宿の主人の車で山の秘湯に案内され、誰も居ない湯船から北の果ての紺碧の海を見下ろして、明日からの無事のランを願った。



【6月26日】 快晴 知床・ウトロ~斜里  43キロ
HOKKAIDO 昨夜、18品もの豪華な夕食と、山奥の秘湯に癒されて、心配だった腰の痛みが嘘の様に消えて体調万全の朝を迎えた。 あの痛みは “サロマを捨てて北海道横断に備えろ“ と言う警鐘だったのか。  体調checkと朝の散歩で外に出る。知床の山々も半島の先に続く断崖絶壁も朝もやの中に沈んで『地の果て』の様相満点である。
午前8時30分: いよいよ遥か函館まで800キロ走破の第一歩を踏み出す。 快晴無風、気温15度。 絶好のラン日和。 ぺットボトル3本を詰め込んだザックは 流石に重い。 柔らかな陽を受けて知床の海は穏やかに波打っている。 緩やかに 曲がりくねる海岸の道には我々ランナーのためと思いたくなる立派な歩道が完備して 初日、気持ちのいいスタートとなった。 水の補給は7キロ先のオシンコシンの滝。
岸から10mぐらいのところで漁師が足で船を操り、箱めがねを覗きながら『うに』を採っていた。近くには漁師小屋も無く、小さな船でこんな遠くまでたった一人で漁に来て 一日海の底を覗いている姿は、何か現代離れをした時間の止まった世界であった。 故障気味の足でサロマを完走した二宮さんも、穏やかな知床の海に癒されて快調に 走っているのにほっとした。 岬を回る小さなトンネルを抜けるとオシンコシンの滝。
朝9時、もう大勢の観光客が右往左往している中にランパン姿の我々はかなり異様な人種に見えただろう。
HOKKAIDO 轟々と流れ落ちる滝をチラッと見ただけで、飲み物を補給して直ぐ出発。
さあ、いよいよ無人地帯に入る。この先約15キロは全く人の気配の無い世界。心配した熊との遭遇も車の往来が予想以上に多いのでひとまず安心したが、時折車の途絶える瞬間は鬱蒼と茂る原生林の陰からの野性の鋭い視線を背中に感じて思わず急ぎ足になった。友人が無事を願ってミャンマーの寺院で買ってきてくれた背中の 熊除けの鈴 の鋭い音色が頼もしい。 早く抜け出したい・・・。地の果ての道に立派な歩道が完備していて、歩行者としてこの道を利用したのは恐らく我々が初めてだろうな~・・・などと思いながら、ようやく新緑の季節を迎えた海沿いの道を一路斜里を目指して走る。真っ青な海と快晴の空、新緑の原始林、広々とした海辺の道を走る、至福の時。

道中雑詠: 地の果てに 続く岸辺を洗う波 知らずかカモメ 己が世を舞う (ウトロ)

道は海辺を付かず離れず、少しずつ登り、下りを見せ始めて内陸に入る気配を感じる。走り始めて4時間、スピード感が無いので走行距離がわからない。時間から推定して 20キロぐらいは走っただろうか。とすれば、もう危険区域は脱出しただろう。
HOKKAIDO 高台の上からこれからの舞台になる斜里、網走、その奥サロマの舞台であった常呂に続くオホーツクの海岸線は薄もやの中に消えていた。小さな岬を回ったところに何故か、いきなり酒屋が現れてびっくり。 これでは飲酒運転を奨励しているようなもんだな~・・・。 流石に、ビールは買えず、木陰でしばし休憩、おにぎりが美味かった!
道路標識が『峰浜』を教えてくれた。ウトロから27キロ。 いよいよ海と別れて内陸に入る。道は次第に起伏と蛇行を見せ始め、歩道は藪草に覆われて止む無く車道を走る。 まさかこんなところにランナーがいることなど夢想もしないドライバーが慌てて急ハンドルを切って避けていく。 危険だ・・・!
うねる丘の陰に赤い屋根の牧場が見えて、ようやく人里に帰ってきた。 海別岳(1419m)の裾野に広がる一望無限の北の大地。 整然と区画された農耕地にビーツ(甜菜)、ジャガイモ、麦などが夫々6月の色で美しい縞模様を描いている。 

さあ、いよいよ待望の大平原ラン。知床街道はここから斜里国道と名を変え、その先が遥か気の遠くなるような彼方で靄の中に消えている。一体、何キロあるんだろう。 午後2時、国道244号の直線道路に入る。 海岸道路の変化に富んだ道に比べ、これからの道は只ひたすら真っ平らで真っ直ぐ。 二宮さんが足の治療をする間隔が短くなってきたのが気がかり。水の補給が心配。人家は点在しているが店らしいものは何処にも見えない。
今日の宿 斜里まで約15キロ。 木陰の全く無い国道を西陽をまともに受けてのランが続く。 行けども行けども、周辺の風景が変わらず、自分が其処に立ち止まっているかのような錯覚を覚える。 現在地やら、自販機のあり場所などを聞こうにも周辺には全く人影がなく、背負っている水を節約しながらの懸命なランが続く。 この直線路に入ってからは距離感が狂いっぱなしで、走行時間からは目的地の斜里にかなり近づいている筈なのに市街地への分岐が見つからない。
大平原の一本道を何時間も走るのは気が狂いそうな閉塞感に襲われる。 宇宙飛行士があの閉鎖された空間で何日も耐えなければならないのはどうゆう神経構造になっているんだろうと思ってしまう。
HOKKAIDO二宮さんが遥か彼方に道路標識らしいものを見つけた。彼の視力はすごい。只の黒点に見えていたのが、やや輪郭がはっきりしてきた。 とは言え、その標識までの遠いこと。20分ぐらいかかってようやく斜里市街への分岐点、初日のゴールに到着。 43キロ、8時間の旅だった。 マラソンの倍の時間をかけてののんびりラン、距離と時間の観念がすっかり狂ってしまった初日のランだった。 地図の上では、この分岐点は直線道路の未だほんの入り口である。 明日が怖い! 緊張から解放されて、宿までの2,3キロはクーリング・ラン。
斜里駅前にてアリバイ証明用の写真を撮る。 宿は斜里第一ホテル。 気さくなおかみさんに迎えられて長かった一日が終わった。駅伝と違い独りで走ると言う緊張感は日本縦断駅伝では味わえなかった充実感となって広い湯船の中の自分を包みこんでくれた。初日の完走を祝って飲めない二宮さんが乾杯に付き合ってくれたのに感謝。


【6月27日】  快晴  斜里町~網走市   49キロ
昨日はゆっくりランだったせいか、今朝は疲労感も筋肉痛も無く、またもや快晴の朝を迎えた。この宿(斜里第1ホテル)は箱根駅伝の合宿で夏場は満杯になるとの事。 おかみさんとも走る話が通じるので楽しい。それにしても、ウトロから走ってきたことにはびっくりしていた。
7時半朝食を済ませ、8時出発。 244号線までの3キロを斜里川の沿って走る。斜里国道は今日も一直線だった。 日差しは既に強く、サングラスをかけても目が疲れる。歩道が広く2人併走でも余裕、如何にも北海道らしい雄大な 景色を楽しみながらのランは最高の贅沢かもしれない。
HOKKAIDO とは言え、昨日から気がかりだった二宮さんの足の具合がよくなさそうだ。どのような状態なのかよく解らないが、シューズの前垂れ?が長くて、硬くて、それが足首の皮膚をこすり赤く充血している。1キロ毎ぐらいにサロメチールを塗っているが、根本的な解決にはならず走りのバランスが崩れている。彼は我慢強いので苦痛を表に出さないのが返って辛い。
何キロ走っただろうか、突然、二宮さんが “電車に乗りたい” と言ってくれた。このルートはJR釧網線に沿っているので、“ じゃ、次の駅まで行こう” と言うことにしたが、目指す駅 『浜小清水』 までは未だ5キロ以上ある。目標物の無い直線の5キロは投げ出したくなるほど遠い。健常者でさえそう思うのだから、彼にはどんなに辛い時間だっただろうか。 やがて遥かに家並みが見えてきて、其処が 浜小清水 だった。町の外れに開拓時代を思わせるような小さな木造の建物があり、それが駅だった。往時を偲ぶため保存してある今は無人駅、電車は日に4本だけ。時刻表では次の電車まで2時間以上待たなければならない。
HOKKAIDOさあ、どうしよう。 丁度おなかが空いた時刻でもあり、併設されている 道の駅で 久しぶりに北海道のラーメンを食べながら相談する。 彼は、ゆっくりなら大丈夫 とのことなので先え進むことにした。店で氷を買って患部に当てて冷やす。 足首から下がパンパンに腫れてしまった。
2時間待って電車に乗せるべきだったかな~・・・。 今回のツアーでもっとも悔やまれる判断だった。
幸い、丁度正午、 残り約20キロ、日の長い北海道だからゆっくり走っても明るいうちにはゴールできるだろう と再び走り出す。 景色は一変してあの広大な畠が姿を消して左手には白鳥の越冬地で有名な濤沸湖がゆったりと広がっている。右手は北風で吹き寄せられた砂丘に色とりどりの花を咲かせて『小清水原生花園』が何処までも続いている。エゾスカシユリ、エゾカンゾウ、の黄色に混じってハマナスの赤い花が孤軍奮闘していた。 道は未だ一直線。砂丘の上から見るオホーツクの海は今日も凪でその果てをもやの中に消していた。 休憩した折に、今回の計画に際し、道路状況、宿、自販機などについての情報を頂いた網走支庁観光課 大西さんに道中の状況報告の電話をいれ、完走の激励を受けた。
道はやがて前方に丘陵が見えて大平原の終わったことをおしえてくれる。遥かに網走の家並みが見えるが中々近づいてこない。20キロ近く砂丘に咲く色とりどりの野の花の饗宴を楽しんで、藻琴の鄙びた駅で再び海が見える道にでる。荒々しい冬のオホーツクのイメージから抜け出せない目には、ひたひたと岸を洗う穏やかな夏のオホーツクのとの落差の大きさを痛感する。  日本縦断駅伝で宗谷岬の海も油を流したようなべた凪だったことを思い出した。

道中雑詠: 果て知らぬ 一筋の道ひた走る はまなすの花 我に叫べり (北浜付近)

HOKKAIDO 穏やかな西日を受けて岸辺の道を走っているとき、前方から人影が近づいてくるのが見えた。この2日間、歩道ですれ違った人は一人もいなかったのに・・・。 しかも、スーツを着ている。凡そ、周りの情景にマッチしていない。二宮さんと“ 珍しいこともあるもんだな~” などと話していたら、突然“山本さんですか?” と声をかけられた。 こんな北の果てに知り合いは居ないし、一体誰だろう? と思っていると、“ 網走タイムスの今井です。 支庁の大西さんから話を聞いていました。 今日網走着と聞いたので取材させてください” 突然のことで二宮さんと顔を見合わせて困惑してしまった。 どうせ走ることしかすることが無い 二人なので、“ 走りながらでよければ・・・“ と言うことで、網走入りの直前でブレーキをかけられてしまった。 丁度、疲れていたときでもあり、それから暫くあれこれ話しながら20分ぐらい歩いてしまった。網走市内まで未だ5,6キロある。急がなければ・・・。 静かで平和な北の町では、我々のような、とんでもないことを考える人間の話などが格好な話題なのかも知れない。
小高い丘を巻いてやがて網走の市内に入った。これまで、生身の人間は我々だけ と言う人里から隔絶された世界を眺め続けてきた目には、久しぶりの人間社会が間違って隣の星に舞い降りてしまった宇宙人のように、思考と行動がちぐはぐで心もとない足取りになっていた。
HOKKAIDO午後4時 網走駅ゴール。今日のホテルは駅からさらに7,8キロ離れているので、ここからはタクシーで行くことにする。二宮さんは足のケアがあるので先行してもらい、自分は昨日から不調になった携帯電話を何とかしたくて市内を走り回ったが、結局修理不能とのことでがっくり。折りしも降り始めた雨の中、今日の宿 網走湖・鶴雅リゾートホテルに急ぐ。この宿はサロマの72キロ地点の鶴雅リゾートの兄弟店だった。大きな湯船にドップリ浸かって長かった一日を追う。待望の夕食は豪華なバイキング。 あれこれ、目移りする料理に囲まれて無事に走りきれた満足感も一緒に思いっきり食べて飲んだ幸せな夜だった。


【6月28日】  晴れ  網走~北見  57キロ
ルートはいよいよ内陸にはいる。 二宮さんはこの日 休足日 と言うことで、今日は一日一人旅となった。 昨夜の雨も上がって気持ちよく晴れ上がった朝を迎えた。
HOKKAIDO二宮さんは足のケアをしながら電車で先行、北見の宿で会うことにして 8時 スタート。 少々心細いが元はといえば、今回の企画は全部一人旅の積もりだったので、緊張感に覆われながらも一人旅がどのようなものなのか興味と期待を背負って国道39号北見街道を南に向かう。いきなりの大きな起伏の道、昨日までの真っ平らな道に比べ情景に変化があるのが嬉しい。起伏の大きさは如何にも北海道らしくキロ単位の長さでゆったりと続く。右手に網走湖が見える。 岬の先端に建つレンガ色のホテルが薄墨色の山並みを従えて朝もやの中にたたずんでいる姿はレマン湖のほとりに見た古城を思わせて思わず足を止めてしまう。
ロングラン3日目、毎日ゆっくりランのためか、不思議なほど故障も疲労もなく今日も会心のランが嬉しい。周りは整然と区画された畑がゆったりした起伏で何処までも続いて、北の大地 の絵葉書を見ているような思いがする。お伽の国 のようなかわいらしい『道の駅』で登校途中の高校生に写真を撮ってもらった。
HOKKAIDO道路標識が 北見46キロ を教えてくれる。 この道中、あまりの広漠さに距離の観念が無くなって46キロが少しも遠いものに感じられなくなった。そのうちに着くだろう・・ とようやく緑を濃くした防風林の影で小休止。 今日は薄く影が出来る程度の日差しで、気持までゆったりする。やがて女満別空港が近づく。 東京へ向かう飛行機だろうか、轟音を残して南に消えていった。
文明の利器と原始的な足、共に南を目指しつつも強靭な筋肉から繰り出す一歩一歩が、座席に座っているだけの人間族には想像も出来ない生きている実感をもたらしてくれる。 道はゆったりと起伏しながら緑に埋もれて続いている。前方遥かに美幌バイパスが見える。市内を避けて7キロぐらい節約できる・・・と予定していたが、小休止のとき近くのおばさんと話をしていたら “ あのバイパスは車専用だよ”、 聞いたとたん どっと疲れが出てしまった。仕方なく市内経由になってしまったが、すごく損したようで背中のリュックがやけに重い。
美幌の街はずれに 日本甜菜糖 美幌製糖所 が昔のままの建物で健在だった。 ここは40年ぐらい前、設備の試運転で何度か出張してきたところで懐かしい。 真冬の猛烈な寒さの中の仕事だったことなど思い出しながら、あの頃は若かったな~ と、今、元気な自分で再訪できて健康の幸せを痛感した。

道中雑詠: 緩やかな うねりの蔭の牧舎にも 北の大地の朝日あふれて  (美幌)

HOKKAIDO スタートしてほぼ25キロ位。 平坦な道だったのであまり疲れは感じない。 美幌を抜けて端野までの間にかなりの峠道があった。地図には出ていない想定外の峠で、登り一方の1時間はきつかった。 幹線道路なので車が俄然多くなったが、その割には自販機も食堂も無い。工事中の人に聞いたら “自販機は頂上にあるけど、食べるものは峠を下って5キロぐらい先まで無い” とのこと。 しまった~! と思ったときは既に峠道に取り付いた後、仕方なく、手持ちの水を節約しながらの登りは辛かった。やがて頂上、木陰の全く無い山頂に自販機だけがポツンと置かれていた。 暑い! 自販機がつくる僅かな影に身を寄せて思いっきり水を補給する。こんな山の中でもしっかり冷やされていたのはありがたかった。
予備食のウイダー・ゼリーでエネルギーを補給し、氷砂糖とタブレットの塩を甞めながら峠を下る。 北見まで未だ25キロある。 下りのなんと楽なことよ! 久しぶりに出会う山の空気がうまい。 緑真っ盛りの林の道をたった一人が独占しているのはすごく贅沢な気がする。
やがて、小さな町に入って、ようやくコンビニを見つけた。 木陰で食べたトンカツ弁当は美味かった。 道はいつの間にか網走道路に変わっていた。再び起伏の道を北見を目指す。最寄の町端野まで約8キロ、西に傾きかけた太陽を正面に受けてのんびり走りが続く。 幸いにも、今回のランでは何処にも故障が起きず、疲労を翌日に持ち越すことも無く毎日会心のランを続けていることは不思議な思いがする。
HOKKAIDO ゆっくりランが如何に故障や疲労から救ってくれることなのかを痛感する。 端野大橋の河川敷に広がる麦畑は一足早く黄金色への準備をしていた。 端野の町を過ぎて、さあ 北見まであと10キロ、ほとんど一直線の道、疲れはほとんど感じないが、周りが動かないことでスピード感がつかめない。とある一軒の家、周りを見事なGardeningで包みこんだ家を発見。 “ご自由にどうぞ” と看板がある。小休止方々見せてもらう。見事な庭園。 奥でおじいさんが小さな木の手入れをしていた。 日焼けした顔の汗をぬぐって幸せそうだった。  ひたすら一直線の遥か先に北見の街が霞んで見えてきた。 馬に乗った孤独なガンマンが大平原の彼方の小さな町の灯を目指して、とことこ馬を走らせていく・・・・ おなじみ西部劇のシーンみたいに (あれほど格好良くないけど)、 ようやく姿を現したゴールの街を目指して最後のひと頑張り。
街の入り口で先行した二宮さんに 間もなく到着 の電話をいれる。 ただ一本、高層ビルが見える。 あの下がゴールの北見駅とのこと。 目測で残り3キロ。最後だけは格好良く走ろうと思いながらも・・・、やっぱりとぼとぼ走りで 午後4時 北見駅にゴールした。約57キロ、8時間の旅は終わった。 流石に長かった! しかし楽しかった~! 一風呂浴びて外に出る。今夜は外食。 繁華街の焼肉屋に落ち着いて、飲み放題の ビールで乾杯。 焼肉が美味かった~。


【6月29日】  霧雨  北見~滝の湯  37キロ
細かな霧雨が降る寒い朝を迎えた。 憂鬱。 しかし、行かねばならぬ・・・。
今日は全行程がほぼ一直線の37キロ。 国道に出てからゴールの滝の湯温泉まで曲がった記憶が全く無い。
HOKKAIDO39号線は北見国道と名前を変えて、霧雨の中にその先を隠している。
スタートして約10キロ、ようやく街を外れて相変わらずの緑の海原。 霧雨に冷やされて汗もかかず、呼吸も楽で走るには好都合であった。 昨日休足日だった二宮さん、何事も無かったように走っているけど、足の具合はどうなんだろう。
相変わらず平坦な道だけど風景の中に山や林が入ってきて大平原の様相が少しずつ変わってきた。この道筋にも補給基地がなく水を節約して走る。
霧雨に煙っている道では益々スピード感が掴みにくく、気がつくとキロ8分ぐらいの とぼとぼ走りになってしまう。 まあ、このくらいの速さだから今日まで毎日気持ちよく走れたのだろと思う。今日はこれまでで一番短い距離だし、二宮さんの足も心配なのでゆっくり行こう。それにしても、10キロ以上も町らしい町が無いので水の補給が心配。二宮さんはやはり時々足にサロメチールを塗ってのランが続いている。
HOKKAIDOやっと、小さな町があり珍しく雑貨屋さんがある。 何か食べる物を・・・と入ってみたが それらしいものは無く、困った顔をしていた我々に店番のおばさんが自分のお昼のために買ってきたパンを差し出してくれた。“これでも食べなさい”  おまけに、自分用のコーヒーまで出してくれたのには 只ただ感激。  北海道人はいい人ばっかり!?店にはストーブが焚かれていた。空き箱を椅子代わりに、ご主人も加わってしばし雑談。 さあ、未だ先が遠い、しっかりお礼を言って霧雨の道に出る。小さな町は間もなく又緑の畑に変わってしまった。 畑は次第に小さくなり、丘陵が近くなってきた。やがて留辺蘂の街、スタートして未だ22キロぐらいなのに物すごく走ったような気がする。 霧雨で視界が悪く一層とぼとぼ走りになってしまう。 先ほどのパンのおかげで留辺蘂の街を無事通過、さあ、あと15キロ。一直線の15キロは長いぞ! とぼとぼ・・・走りながら、なんでこんなことやってんだろう!? と 馬鹿なことを考えた自分に問いかけてしまう。 堂々巡りをしながらも、最後は“ 一生懸命生きていることを確認するため・・・” と言う答えに行き着いてしまう。
HOKKAIDO やがて、温根湯温泉、道の駅でアイスクリームを食べる。 本場のものは美味い!
周りの山々が迫ってきて、いよいよ難関の山越えの雰囲気になってきた。キタキツネ牧場 の大きな看板が見える。 そうか、この辺は彼らの世界なんだ。 温根湯から7キロ、 4時 ゴールの滝の湯温泉に着く。 終日雨のランだった。 公共の宿で、相客は3,4人。ゆったりした湯船で汗を流して一日の無事を感謝した。


道中雑詠: 暮れなずむ木立に消える細き道 今宵も聴くかキツネ鳴く里 (温根湯)


【6月30日】 雨のち曇り  滝の湯~層雲峡  60キロ
目が覚めるといつもの明るさが無い。 外は無情にも霧雨が降っている。 今日はいよいよ最終日、北海道横断700キロの中の最難関区間の山越えに挑む。 このシリーズを考えたとき、一番頭を悩ませたのはこの石北峠の登り下り60キロを どう切り抜けるか・・・であった。 標高差約800m、勾配凡そ2.6%は最後の8キロで4.6%の急勾配になる。 この峠越えを無事に終わらせるためには、頂上には遅くとも12時着でなければ・・・、その先さらに30キロの下りが待っているから。 さあ、どうしよう? 机上での煩悶が続く。  ルートの厳しさに加え、最大の難問は熊との遭遇であった。このことは自然が相手で人為的に対応できない問題である。二宮さんとの二人ずれとは言え、不意に遭遇したときは人数とは無関係に悲劇が起こる。 不安材料が次々押し寄せてくる。しかし止める理由はない。 運、不運は神のみぞ知る。 自分なりに考え付いた案は、無理と思われる地点で峠を越える車に拾ってもらい頂上からその先を走る、と言うものであった。 自分の足が地面を離れる区間が生ずることが何より辛い。しかし命には代えられないから神様も完走の印をくれるだろう。 ようやくここまで考えたら気持ちがす~っと軽くなった。
HOKKAIDO しかし現実にはこの案が無残に砕かれることを知った。 横断3日目、網走~北見間の一人旅をしている時、美幌町でルートの確認をしようと走ってくる車に手を上げてStopのサインを出したが、誰一人止まってくれる人が居なかった。 汗まみれのランナーが一人道端で手を振っている姿は、これほどはっきり拒絶される姿なのだろうか。出発前何日も考えてようやくたどり着いた案が見事に拒否された途端愕然と立ちすくんでしまった。途中のヒッチハイクが期待出来ないとなれば次を考えなければならない。
さあ、どうしよう! 二宮さんと対策を考える。二宮さんは熊対策は想定外と言う感じ。 ルートの消化をベースに次のような案を提案してくれた。 それは、留辺蘂(るべしべ)から峠越えで旭川へ行くバス(予約制)を予約しておき、11時半まで走って頂上に着かなかった場合は其処から留辺蘂まで引き返してバスで層雲峡に入る。と言うものであった。彼の11時半に対し、遅れることを見込んで自分は11時で引き返す事とした。さあ、11時まで何キロ走れるんだろうか。完走と胸をはって言える位は走りたい。引き返しても宿の前を通過して約8キロ逆戻りしなければならない。11時と言う時刻は距離的にはかなり頂上に近い筈だ。其処から、すべてを無にして引き返す勇気があるだろうか?
HOKKAIDO 又眠れぬ夜となった。宿泊客が3,4名の静かな山の温泉場である。寝付かれぬまま真夜中の風呂に浸りながら、思いつくありったけの不安材料を拾い出し、それらを全部納得した上で後は運を天に任せることにして明日は気持ちよくスタートしよう。 昨夜からの霧雨が降り続いている。気温も低い。wind breakerの上にビニールの袋を被る。雨対策はこれで全部。
7時半、宿の皆さんに挨拶をしている間に、あれれ・・、二宮さんが何を思ったか一人で猛然と走り出して、自分が国道に出たときは既に2,300m先を振り向くこともなく走っている。 昨夜の打ち合わせは、こうゆう事だったのかな~? 首をひねっているうちに彼の姿は豆粒のように小さくなっていた。 一人より二人が心強いだろうと、この山越えの頼もしい相棒だと思っていたが、どこで食い違ったか、スタートから想定外の一人旅になってしまった。  よ~し、一人で行くか! と腹を決めたら、先ずは熊対策。 友人がミャンマーのお寺 で買ってきてくれた鈴をザックにしっかり結びつけ、さらにサッカー用のホイッスルを首にかけて万全?の体勢。 さあ、出発! 道は両側から山が迫ってきて畑が狭くなった。 暫くは未だ平坦な道が続くが前方に大きな山が立ちはだかって今日の難行を 待ち構えているようであった。 とその時、なんでもない普通の農道の脇に手製の看板あり。 “ 熊 出没 注意!!” 点在している農家の直ぐそばで早くも先制攻撃を 受けたような恐怖感に襲われた。これから数時間続く山の中のラン、不安が全身に 走る。 背中の鈴がキリーンキリーンと鋭い音をたてて頼もしい。初めてホイッスルを 吹く。ピリーッ ピリーッ 果たして熊に届いているだろうか・・・? 道は緩やかな登りにかかっている。
HOKKAIDOスタートから10キロぐらいのところに最後の店がある。其処までは未だ人間の世界があるがその先はどんな世界なんだろう。 予想より車の交通量が多いのに少し安心。
一人旅はスピード感が鈍って、早いのか、遅いのかさっぱり判らない。 幸い、何処にも故障がなく疲れも抜けているので、緊張感を背負いながらも気持ちよく走っているのは嬉しい。 9時、やがて街道最後のドライブインに着く。入り口で身の丈2.5mぐらいもある物すごく大きな熊の剥製が、その熊におびえている我が身を招いているように立ちはだかっていた。 “ 剥製でよかった~!” 観光客が寄り集まって写真に収めていた。“ 観光客は いいな~! こっちの身にもなってくれよ~!”  実感だった! ペットボトル3本、ウイダーゼリー2個を補給して再びルートに戻る。 5キロ近い重みが肩に喰いこむ。
いよいよ魔境に入り緊張感が全身に走る。道の両サイドは鬱蒼とした原始林になり、車の途絶える一瞬は思わずホイッスルを吹き続けていた数年前、走友橋本さんが甲州夢街道210キロを走った時、伴走で夜の笹子峠越えをしたとき闇夜に聞いた鹿の鳴き声がフィー、フィーと聴こえたことを思い出して、今、自分が吹いているホイッスルの音が鹿の鳴き声によく似ていることに気がついた。と言うことは、今自分が吹いているホイッスルは、熊に自分の居場所を知らせているのではないだろうか・・・!?  この瞬間、背筋が凍る思いがした。

道中雑詠: 霧雨に けむる深山にしみ渡る 命をつなぐ 熊よけの鈴 (石北峠)

HOKKAIDO 周辺の動きを察知しようと全神経を目と耳に集中してひたすら先を急ぐ。幸い、未だ勾配は比較的緩いので苦しさはない。やがて標識が “頂上まで20キロ”と教えてくれる。この距離と急勾配になるであろうこの先の難行を思うと、やはり無謀な企画だったのかな~と つい弱音を吐きそうになる。 しかし、船は港を出てしまったのだ。どんな荒波でも目的地に着かなければならない。背中の鈴の音が頼もしい。 道は直線から次第に蛇行が始まり前方の見通しが悪くなった。 カーブで突然車が飛び出してくる。下りなのでエンジン音がほとんど聞えない。 危険だ! 緊張感のためか体調を気遣う余裕がないが、幸い、快調に走れている。霧雨が降る中、気温は低く手袋がほしいが下界では手袋までは気がつかなかった。
HOKKAIDO 勾配が急になったところで “石北峠 1合目”の標識が現れた。ここからが本格的な 峠道になるのだろ。 標高660m、頂上まで約8キロ、標高差370m、勾配は4.6%。幸い、左程の苦しみもなく走り続けている。体調はバッチリ。 水とゼリーを補給して最後の難関に挑む。大きな沢の対岸遥かに道が続いている。 原始林から発する巨大なエネルギーの中に埋没して懸命にもがいている人間一人。なんとちっぽけな存在なんだろう。
順調に標高を消化して5合目を超えたあたりで11時になった。予定ではここで峠越えを断念して留辺蘂へ引き返すはずだったが、今となっては、引き返そうなんて思いもつかない程、走りに埋没している自分を発見した。 先行した二宮さんも引き返してこない。 引き返してくる彼に会うまで自分も登ろう。5合目から先は道が斜面をトラバースするため、高度が稼げず距離だけが伸びる。中々現れない6合目をようやく過ぎて、やや開けたところで目的地の峠が雨雲にかすんで見えた。 その距離凡そ3キロ。水とウイダーを補給して最後の頑張り。やがて9合目の標識が現れてもう頂上直下だ。 
HOKKAIDO小さなカーブを回ったところに、いきなり “石北峠 頂上” の標識が目に飛び込んできた。 標高1046m。 やった・・・!! 遂に登りきった30キロ、時刻12時30分、出発してから5時間の苦闘だった。気温が上がらず、湿度が高かったため、水の補給も少なく、走るには好条件であったが、何よりゆっくりランながら、登り30キロを5時間で走りきったのが嬉しい。 頂上では先着した二宮さんが、バス会社に予約のキャンセルをしていたので、自分のも慌ててキャンセルしてもらった。 彼は、自分が予定通り11時地点でバスに引き返したものと思っていたらしく、忘れた頃に突然登ってきたのでびっくりしていた。 図らずも一人旅になってしまった峠越え、原始林の奥からの不気味な野性の視線を背中に感じながらの5時間は恐怖の連続であり、疲れも空腹も入り込む寸分の隙間もなかった。 考えれば考えるほど、“ 無理” と言う字がぐるぐる頭の中を駆け巡っているのに、何故か “ だから止めよう” とは全く思わなかった。意気込みだけではどうにもならないとは知りつつ、終わってみれば、“やり遂げたい!” という気持ちを持ち続けたことの勝利だった。
さあ、 頂上で半分、 未だ下り30キロがある。  先を急ごう。
HOKKAIDO 峠の頂上には茶店が去年は3軒あったのに、今年は1軒しか店を開いていなかった。こんな山の中も不況の波に洗われているのだろうか。 店の中はストーブが焚かれていて雨に冷やされてきた体には何よりのご馳走だった。 宿のおにぎりと熱いラーメンでやっと人心地をつく。 それにしても、どう考えても無謀としか思えなかったこの登りの30キロを何事もなく走りきれたのは、74歳のお祝に韋駄天様がくれたご褒美だったのかも・・・。 さあ、下ろう。
1st stage 最後の30キロ。登りは足元しか見ないので坂の状態にあまり気がつかず、かなりの急勾配も知らずに登ってしまうが、下りは前方が大きく見通せるのでついルンルン気分になってしまう。 もう、登らなくてもいい・・・と言う、なんと心地いい安らぎに身を委ねて緑に包まれた峠道をくだる。気がついたら、峠の東側は頂上までしっかり霧雨だったのに、峠を越えた西側は雨の気配は全くなく柔らかい日差しが舗装道路を白く照らしていた。
二宮さんは相変わらず、ランとジョッグを繰り返しながら気持ちよさそうに走っている。追いついたり、離されたり・・・、緩やかな下りの道を好き勝手なペースで走る。
周りは未だ深い原始林の中なのに、何故か恐怖感が全く消えてしまった。雨雲に覆われた薄暗い登り道に比べ、穏やかに晴れた峠道をゴールに向かって下るのは緊張感が安堵感に代わって、人心を和ませてくれるのだろうか。蛇行する道の前方に大雪山系の山々が綺麗な雪形を残して新緑の中に姿を現した。やがて、大雪湖、いつの間にかこんな大きな人造湖が出来ていた。 小休止。
とその時、1台の車から声をかけられた。“ 層雲峡まであとどのぐらいですか・・・?”、主客転倒の最たるもの。 “ 僕が聞きたいぐらいですよ・・・!”
HOKKAIDO やがて、標識に 層雲峡 の案内が出るようになった。道の両側は垂直に切り立った断崖絶壁で、その下を石狩川がすっかり川幅を広げて激流になっている。これからが層雲峡の最大の見せ場である大函、小函、数々の滝、 楽しみ・・・! と思いきや、なんと巨大なトンネルに吸い込まれてしまった。 新銀河トンネル、長さ3キロ。 なんと無粋な! このトンネルによる得るものと失うものを当時の建設省はどう考えたのだろう。夢のない連中だな~と思いつつの3キロは長かった~!。 散々排ガスを吸わせられてようやく下界に飛び出したら、絶景は既に遥か後ろになっていた。 僅かに、流星の滝と銀河の滝が2,300m後ろに見えるが、この滝は去年サロマの帰り山本稔さんと立ち寄ったので今回は素通りした。やがて山あいに層雲峡の温泉が見えてきた。  さあ、後2キロ。 熊の恐怖に怯えながらの60キロが遂に終わる。 午後4時30分、先行していた二宮さんに迎えられてゴール!。
HOKKAIDO 終わった~!! 第1ステージ 246キロ、サロマの37キロを含め、総距離283キロ。 長が~い一週間だった。
最後の宿は昨年稔さんと泊まった層雲峡ユースホステル。 周りを立派なホテルに囲まれた如何にも自然派が好みそうな、すごく味わいのある建物で、若い管理人夫妻の温かい笑顔に迎えられて一週間背負い続けたザックを下ろした。“ もう、走らなくてもいい・・・!”  夕日に照らされている断崖絶壁と石狩川の激流が長かった旅の終わりを労ってくれているように泡だって流れていた。
HOKKAIDO 夕刻、隣の大きなホテルに遠征。最上階の大浴場に浸ってウトロから印してきた北の大地への足跡をたどりながら真っ赤に染まった雲を見上げていた。至福の瞬間!!!
同宿者は可愛い女の子2人を連れたドイツからの家族、埼玉の中年夫婦、バイクで旅行中の夫婦、etc. ユースホステルの気安さから直ぐ話の輪が出来ていた。
夕食、何はともあれ、走りきった喜びの乾杯! ついでに 74歳Happy Birthday!飲めない二宮さんも付き合ってくれたのは嬉しかった。


サロマから始まった今回の北海道長旅ラン、その最終日が奇しくも74歳の誕生日という幸運に恵まれたのは何よりの記念になった。 長い間温めてきた企画を無事に完遂できたことは、多くの幸運が重なったことによるものであった。思いつくのは、天候に恵まれたこと、最後の2日間は不運にも霧雨だったけど、気温が高い時期であったため、むしろ快適な走りが出来たこと。 ついで、体調が非常によかったこと。
二宮さんは不運にも足の痛みに見舞われたけど、彼一流のケアと走法と不屈の精神で見事に走りきったのは敬服に値するものであった。自分に限れば、道中を通して何処にも故障が生じず、温泉とマッサージでその日の疲労を完全に抜ききったことで、毎日が初日のような体調であったこと。 更に有効だったのは、ゆっくり走りが出来たこと。 4,50キロを1日かけて走るのは、気持ちの上で全く負担を感じなかったのは大きな要因であった。
このような幸運を重ねられた背景は、やはり北海道の雄大な大自然が人心を穏やかに静めてくれたことによるのではないだろうか。加齢と共に心身の機敏性が衰える中、めまぐるしく移り変わる世の速さを遠く見て、自分の目線の高さと自分の走る速さで自分の生きている姿を確認することが出来たSlow&LongRunは大変貴重な体験であった。


HOKKAIDO


ECHIGO
’07.8.8
横浜中央走友会 山本 卓


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