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【北海道横断走】  知床~函館  735Km  2007~8年


HOKKAIDO

第2ステージ

   『ヒグマの影に怯えて』


期日:2007.9.3~6
走区:層雲峡~札幌
距離:205Km



オホーツク晴れの北辺の道を走った第1ステージは無事層雲峡にゴールして終わった。 日本縦断を終えて祭りの後の夕暮れのように裏寂しさに沈んでいた老ランナーが明日の目覚めが楽しみな新しい夢を見ようと考えた北海道横断、はるか800キロ先の函館を目指して快晴の知床・ウトロをスタートしたのは6月末だった。 サポート無しの自力走は走友との道連れとは言え、未知の体験への不安と多くの感動を味わいながら最難関の石北峠を越えた。奇しくも74歳の誕生日だった。

この240キロランを終えて、このシリーズは気力と体力からも、来年中に走りきらなければ完走は無理かも・・・?との思いが強く、そのためには今年中に第2ステージ 層雲峡~札幌 205キロを終わらせる必要があった。 かくして、9月2日午後 第2ステージ遂行のため快晴の旭川空港に降り立った。


【9月2日(日)】
HOKKAIDO AirDO 33便は定刻12:15pm旭川空港に着陸。 快晴、涼しい。 明日からの苦闘を夢想もさせないほど澄み切った北の空は、小さなザックだけの身軽なランナーを気安く迎えてくれた。  JR旭川駅前から出発地点の層雲峡行きのバスに乗る。
折りしも日曜日、 乗客は途中下車の地元の人ばかりで、これから層雲峡まで行きそうな人は誰もいない。しかし、このバス路線は明日の我が身の晴れの舞台そのものである。道中の街の様子、自販機や食堂のあり場所、歩道の有無などなどを地図にメモする。 旭川を離れると極端に不便な様相になり 自販機はガソリンスタンドだけらしい。特に上川町を過ぎて層雲峡までの22キロは人家さえほとんど無い全くの無人地帯。 道は石狩川に沿って緩やかな勾配で登っていく。歩道の無いところが多くなってきた。道の両側は鬱蒼とした森林が続く。 乗客は2人だけ。この山の中で身を乗り出して路面を見ている怪しげな男一人をどう見ていただろう。 ようやく終点層雲峡着。
16:25pm。 山の中の4時は早くも夕暮れの影が濃くなっていた。 天気予報では 明日は雨とのこと。 信じられない思いだが、今日中に滝の写真を撮っておこう!  宿に寄ってる時間が惜しいのでバスからそのまま川の上流3キロの滝までjogging.一日中乗り物に乗っていたので明日のための格好のストレッチになった。 滝の周辺は中国からの観光客で一杯だったが、ようやく “銀河の滝”と“流星の滝”をカメラに収めて又3キロの下り。
HOKKAIDO宿は6月に泊まったユースホステル。今度で3度目。 早速隣の大きなホテルの最上階にある大浴場で夕日に頂だけを真っ赤に染めている大雪連峰を見ながら明日から始まる一人旅の無事を願った。今夜の宿泊者は2名。 日曜日の夜はいつもこんなものらしい。相客は若い奥様ライダー、旦那を説得して9日間の休暇で北海道中を駆け回って帰る・・・と言う。この人とはいろいろな事で共通点があり、ビールを飲みながらの話が楽しかった。 生まれは札幌、実家は北鎌倉、住んでるところは松戸。 東北を走ってしまったので、今回は大好きな北海道を楽しんでるそう。明日は羅臼で国後島を見るのが楽しみと語っていた。見ず知らずの者同志がいろいろな事で共通した話題を持てるのは旅の一番の喜び。


【9月3日(月)】
6時起床。 山の陰の宿にしても朝の明るさが鈍い。 予報どおり昨夜は大雨だったらしい。 何とかこのまま上がってくれることを願いながら、いよいよ始まる大舞台へ向けて最後の点検。 外でストレッチ、曇り、気温は21度。
HOKKAIDO 彼女はもうバイクに大きな荷物を2個も括り付けて準備を終えていた。
緊張のせいか朝食があまり欲しくないが無理してパン1枚を食べる。 今日のルートで上川町までの22キロは全く補給が出来ないので、ポカリX1,お茶X1,真水X2、おにぎりX2,ウイダーゼリーX1を背負う。 重たい! 5キロを越えてるかも・・・。


8時、記念の写真を撮って皆さんにお別れ。 彼女(小磯 絢子さん)は石北峠への登り、自分は上川を目指しての下り、右と左の別れ。
この夏の猛暑で第1ステージのあとほとんど長い距離の練習をしていないので少々不安を抱えての出発となった。 雨雲が低く垂れ込めた無風の山道を下る。 勾配は2~3%で気持ちいい下り道。 月曜の朝、この時間ではまだ車も少ない。
HOKKAIDO 道の両側は絶壁の続く層雲峡そのもの、石狩川は昨夜の雨を飲み込んで轟々と流れている。 道は蛇行や直線を繰り返してゆっくり下っていく。 暫くぶりのランをのんびり楽しんで1時間ほど下ってきた道の先、歩道の上に何か黒いものが見えた。最初は ウサギが車に轢かれたんだろう・・・?と思いつつ通り過ぎようとしたとき それはウサギではなく 紛れもない “熊の落し物”だった! しかも、前夜の雨に流されていない・・・と言うことは? まさに今朝のもの・・・! この一瞬、全身の血が凍ってしまったように硬直してしまった。一瞬何が起こったのか判らなかったが、次の瞬間物すごいダッシュで山道を駆け下りていた。顔の血が引いて強張っているのがわかった。でも、74歳の何処にこんなエネルギーがあったのか? 上川の町まではまだ10キロ以上あるが、その途中の小さな発電所までは2,3キロのはず、とにかく其処まで!。
HOKKAIDO1時間ぐらいののんびり走りで準備運動が完了していたのと、緩やかな下り道であったことが幸いして一気に発電所まで走りきってしまった。 文字通り、「火事場の馬鹿力」、 何分ぐらい走っただろうか。 人影の見えない発電所の大きなゲートが人間の世界の入り口に思えて、思わず  “ 助かった!!”  しかし、辿り着いた家は廃屋だった。 何故か呼吸は全く乱れていなく、只ボトルの水を一気に飲み干していた。 何を考えながら走っていたのか全く思い出せない。 写真のことなど全く思いもつかなかった。  死に物狂いで走っている途中、すれ違う車に手を振り、帽子を振って懸命にSOSを 知らせたが誰一人止まってくれなかった。
HOKKAIDO何を感じたのか 向こうも手を振ってる人 がいたのには愕然とした。
それにしても、今の世相は “生と死” について、いささか食傷気味のニュースに埋もれてしまい、心の奥底にある本当の意味を実感する事も無く押し流されている中で、この日の恐怖の体験は文字通り “生きることと死ぬこと” の二者択一を迫られた生身の人間の “生きていたい!” という執念の現われとして生涯忘れられない映像となって心の奥に深く刻み込まれた。


道中雑詠: 霧雨に 沈む深山に潜む目を 背筋に痛く 駆け下る我  (層雲峡)

今日の目的地旭川まで58キロ、その出だし10キロぐらいで道中記が止まってしまった。  先を急ごう。
上川まであと5,6キロ。先ほどまで左右に立ちはだかっていた絶壁も次第にその高さが低くなり山間部を抜けたことを教えてくれる。 先ほどまでの恐怖が冷めない中、 意を決して走り出す。
HOKKAIDO車の数が増えてきたのが嬉しい。道が蛇行して山陰を回る瞬間は 出会いがしら の遭遇が怖く、がちがちに緊張しながらも、道は次第に 平地になり見通しも良くなって気持ちも次第に落ち着いてきた。 やがて、ぼつぼつと人家が見えてきてようやく人心地をついた。
 もう、大丈夫! 道の両側は林から畑に変わり、人間の世界がなんと安堵感を与えてくれるものなのかを痛感した。緩やかな坂道を人里に向かって走る安堵感は  “生きてること” の喜びを背負って何物にも代え難く心地良かった。
HOKKAIDO やがて、遥かに上川の街並みが見えてきた。 人間の住む世界のなんと頼もしいことか。 自販機が全く見えず、国道から中に入った上川駅に立ち寄って水の補給をする。 上川駅着10時50分。 駅のベンチでようやくの小休止。 しかし、人影のない駅のベンチは座っているだけで悪夢の瞬間が思い起こされてとても疲れを癒す場ではなかった。
 このシリーズで一番懸念された “熊との遭遇” は第1ステージの石北峠越えで 無罪放免と思っていたので、このように人里近くでその恐怖を味わうとは、 “生と死”の一寸先は闇夜なのだと痛感した。それにしても、壮絶な3時間だった。 

さあ、先を急ごう。 重いザックを背負って再び国道に戻る。 振り返ると魔物の棲む大雪の山々は何事も 無かったかのように雨雲に煙っていた。
HOKKAIDO 今にも降り出しそうな空を見上げながら遥か彼方の旭川を目指す。 すっかり大河になった石狩川を左右に見ながらのラン。 ようやく人心地がついて走りのペースが戻ってきた。 川の蛇行に沿って街が点在するが市街地は国道から離れているためか道筋には自販機も食堂も無く、仕方なく大きな堰堤の石垣で小休止。 オニギリを食べる。 無我夢中で空腹を感じる間もなかったが、朝から何も食べていないので美味かった。 やがて標識が旭川まであと35キロを教えてくれる。  急がないと到着が遅くなる、と思いながらも思ったようにペースが上がらない。  このとき、左足にかすかな違和感があることに気がついた。 慌てて靴を脱ごうとしたが、足首がパンパンに腫れて靴が脱げない。
HOKKAIDO シマッタ!!  あちこち押さえてみても特に痛みを強く感じるところはない。 骨折や捻挫ではないことが判りホットする。 原因は今朝の猛ダッシュによる局部的な疲労だろう。 ザックの重みで左右のバランスが崩れたのだろう。ゆっくりでも先に進むほか無い。気を取り直して走り出す。 骨や関節の故障でないので、何とか走れるのは有りがたい。 あまり足に神経を使わず、ゆっくり走りになる。やがて道は 上川平野の大穀倉地帯に入った。 ここから旭川まではほぼ20キロの一直線、 ゴールの永山駅まで15キロ
HOKKAIDO今日のゴールの永山町は自分にとってとても因縁の深いところである。
ここは明治初年、曾祖父(4代前)が当時の蝦夷地の開拓と北方警備の両役を担って屯田兵として入植したところである。 未開の原始林の開拓に立ち向かった先人たちの困難さを、図らずも先年の 日本縦断駅伝の際、2日目の終わりに表敬訪問した剣淵町の大澤町長が詳しく話をしてくれて、 “実は、私はその4代目です” と名乗って人の世の因縁の深さを痛感したことを思い出した。


道中雑詠: 先人の拓きし道に秋の風 遥かな“時”を 我に語れり  (永山町)

それにしても、原始林の真っ只中に100mの碁盤目区画の都市計画を完成させた 先人たちに現代の政治家には夢想も出来ない桁外れたスケールの大きさを痛感した。

遥かに続く一直線の道は深く垂れ込めた雨雲の中に消えて、何時終わるとも知れない孤独な独り舞台に大きな圧力となって迫ってくる。 黄金色に稔った稲穂の道を走っていると自分もその色に染まってしまいそう。
HOKKAIDO不思議にも、厚い雨雲の下では森の緑は暗緑色に沈んでしまうが、稲穂の黄金色はあくまでも黄金色を主張して回りに明るく映えていた。 長かった一本道もようやく旭川の領域に入りゴールが近い。足の違和感も何とか克服して、超スローながらも58キロを走りきれたのは幸いだった。 やがて、ゴールの目印に決めていた旭川大学の正門前にゴール。 5:30pmだった。 “生と死” の狭間を駆け抜け、茫漠たる大平原の孤独と闘った壮絶な一日だった。


【9月4日(火)】
前夜 氷と湿布薬で懸命に冷やしたがあまり腫れは退かなかった。幸いにも腫れの割にはあまり痛みが無いので、だましだまし何とか走れそうだ。
7時半、ホテルを出て昨日のゴール地点 永山駅まで電車で戻る。道中20分ぐらい 車中高校生に囲まれてあれこれの話、楽しかった。 凄い激励を受けて足の痛みも忘れてしまった。 うす曇り、気温20度ぐらい、絶好のラン日和り。 記念写真を撮って8時スタート
今日のルートは国道12号で旭川中心部を避けて、 カムイコタン(アイヌ語で「神のいるところ」の意)~深川~妹背牛までの47キロ。 道はバイパスの新道なので広い歩道が嬉しい。足のことは出来るだけ考えないことにする。
HOKKAIDO 間もなく、北旭川大橋で石狩川を渡る。珍しく橋の真ん中で歩行者のおばさんに 会った。 貴重な機会なので写真を撮ってもらう。一人だと自分の写真が無いのが寂しいので、道中貴重な1枚の写真になった。
市内を大きく迂回する道でランナーに出会った。 道の状況やら自販機の情報を貰い、最後のコンビニで飲み物の補給をする。この先カムイコタンまで15キロぐらいは店も自販機も無いとの事、 ザックが重い。
蛇行する石狩川を何度か渡り返して、道は次第に郊外から山道に入る。 地図の中では、この辺が山に近いことがよく判らなかった。スタートから17キロぐらい、 国道12号はそのままナイパス新道となって離れてしまい、旧道はそのまま山越えの遊歩道となってしまった。 遊歩道とは言え、元幹線の立派な道で新道と平行して緩やかに登っている。
HOKKAIDO右手には石狩川が両側の岩に狭まれて轟々と渦を巻いたり、穏やかな瀞になって流れ下っている。 絶景を眺めながらのランは楽しかった。
層雲峡で見たあの早瀬は無数の支流を集めて堂々たる大河となって、観る人も無い深山に濃い淵をなしていた。
「カムイコタンまで10キロ」 の標識と、山越えの遊歩道地図が表示されている。 この山越えは想定外だったが、周りの地形からも左程厳しい峠越えではないだろうと、のんびり走っていたその時、突然 遊歩道を塞ぐように
「 熊出没 注意 」の大きな看板が立ちはだかった。 “きゃ~又か~ッ!!”  昨日の今日で又あの恐怖を味わなければならない!
HOKKAIDO 呆然自失。現在地は遊歩道に入って4,5キロ、峠まで3,4キロ。 さあ~どうしよう・・・?
戻るには深く入り過ぎたし、車道に戻っても車専用で歩道はないし・・・。 車は止まって呉れないだろうし・・・!   恐怖の中で懸命に考えた。 “よ~し、突っ走ろう!”  この時はこの判断が正解だと信じた。 そうと決まれば体制を整えよう。
今日は不要だろうと仕舞いこんだ “熊よけの鈴” をザックにしっかり縛り付け、ホイッスルを首にかける。4本の水を2本にし、オニギリを入れたビニール袋をザックの外に縛り付ける。熊がこれを食べてる間少しでも時間が稼げるだろう・・・と儚い願い。
HOKKAIDO最悪の場合、誰かがザックを発見してくれた時のために作ってきた「身元証明、血液型、連絡先電話番号、・・・」のカードをシールつきパックに入れてザックの小物入れに入れた。 昨日は下りだったが今日の道は緩やかな登り、石狩川は何事もないかのように滔滔と流れている。
“さあ、行こう!” 走りきれることを信じて出発。 それまでののんびり走りがウソのように、レースに出ているような走りなのに驚いた。
川に沿っての道はくねくねと蛇行しながらゆっくり登っていく。 緊張しているのか疲れは感じない。いつの間にか車道は遠く離れて遊歩道一本の世界になっていた。
背中の鈴は余韻を残す優雅な音色でなく “ガシャガシャ”と鳴るばかり、懸命にホイッスルを吹き続ける。遊歩道と名がついているけど、こんな山の中を歩きにくる人など居るはずもなく、道は次第に荒れて雑草に覆われるようになってきた。
HOKKAIDO枯れ枝や枯れ草に覆われて走れる幅が1mぐらい、それでも時折黄色のセンターラインが枯れ草の中に現れて国道の名残を教えてくれる。 狭い道に足場を探して懸命に走る。蛇行する道はその先を教えてくれない。 “きゃ~ 蛇だ!” 枯れ枝も蛇も区別がつかない。 足元が突然動いたので咄嗟に飛び跳ねた。 顔から血の引くのが判った。
回りは鬱蒼とした原生林、物音一つしない中、ホイッスルの “ピリーッ、ピリーッ”と いう鋭い音が森に吸い込まれていった。  早く終わってくれ~
・・・!
HOKKAIDO ようやく空が広くなって峠が近い。川面が随分低くなっていた。矢張り相当な登りだったのだ。 やがて、遥かにコンクリートの建物が見えた。 助かった~!
河川管理事務所に到着。 からからの喉に水を流し込み、ようやく生きた心地がした。職員の人の話では、自転車で登ってくる人は時々いるけど、走ってきた人は初めて・・・だそう。やっぱり無謀だったか! 昨日はまだ横を走りぬける車があったけれど、今日は人影は勿論、文明の匂いのかけらさえもない太古の森。その静けさほど恐怖感を煽るものはなかった。
間もなく頼もしい車の音が聞えて遊歩道は再び車道と合流し立派な歩道になった。 安心して走れる歩道のなんと嬉しいことか。

HOKKAIDO 目指すカムイコタンまで後2キロぐらいとのこと、久しぶりに石狩川の流れに見入る。 命がけでもがいている人間を横目に、一人いい子になっているように悠々迫らぬ流れが悔しかった。さあ カムイコタンで美味いラーメンを食べよう! 水の補給もしなくては・・・クーリングダウンの走りでようやく到着。 峠の下で見た「 ・・・あと10キロ」 の看板、僅か10キロの間に“生と死”が係わっていたのか・・・。
生きてて良かった! 昔、札幌駐在の頃、旭川への出張の都度電車の窓から僅かに見えるカムイコタンの景勝は一番の楽しみだったがこれほどの魔境だったとは・・・・。
現在は函館本線は長いトンネルで景勝地を通過するため、観光客はあまり来ないらしい。
HOKKAIDO 峠の茶店は僅か1軒だけ。 国道がバイパスになっているので車が全然停まってくれなくなった! と店番のおばあちゃんが嘆いていた。 お湯を沸かしておくのが勿体ないからラーメンも止めちゃった・・・とのこと。 ガ~~ン それだけが楽しみで登ってきたのに・・・! あまり残念がるのを見かねて、 カップラーメンならあるよ! ようやくたどり着いた峠でオニギリをカップラーメンで流し込む情けない昼食になった。
今日の宿、妹背牛(もせうし)まで20キロ。太陽は午後の領域に入った。 急ごう。

道中雑詠: 観る人も なき岩角に砕けゆく 秋の陽浴びる 悠久の川 (カムイコタン)

カムイコタンを過ぎると、もう札幌までは高低差ゼロの世界。ひたすら真っ直ぐな道、距離感もスピード感も全くつかめない不思議な感覚。 暫く過ぎて、と、ある農道に車を停めて自分を待ってるらしい人がいた。 近づくと柔和な感じの4,50歳ぐらいの男性だった。 のんびり走っているのを車で追い越したので、話がしたくて待っていた、 とのこと。彼もランナーで北海道マラソンを楽しみにしていた。マラソンの話や、怖かった話やら・・・尽きることない小休止となった。 別れ際ポカリスエットの差し入れをしてくれて走り去っていった。 遥か先の店で買ってわざわざ戻ってきてくれたもの。ランナーはみんないい人ばっかり!。
HOKKAIDOやがて走友藤岡さんの故郷 深川を過ぎて残り7キロ。 足をかばっての走りのため 「妹背牛 1キロ」の標識を見たときは、あたりはすっかり夕暮れの気配だった。昨日より10キロ短いのに所要時間は同じだった。
足の故障と、大平原のなせるスピード感のずれによるものなのか。 あす以降が心配。 午後6時 町只1軒の宿にたどり着いた。 気さくな女将さんに迎えられて、この日の客も2人。 ゆっくり風呂に入って足のマッサージ。氷を貰って懸命に冷やした。
夕食は女将さんも交えて3人の家庭の夕食会みたいでビールが美味かった。
それにしても、出発前、いや それ以前、この計画を思いついた時から頭から離れなかった熊対策、考えてはいても、まさか現実のことになるとは思っていなかった。
“生と死”、 確率50%の二者択一を無謀とも思える決断で “生”を勝ち取った幸運は、この老ランナーの思いを遂げさせてやろう とランナーの守護神韋駄天様からのご褒美だったのかもしれない。
この夜のビールはしみじみと喉に滲み入った。


【9月5日(水)】
いよいよ後半戦。 今日のルートは 妹背牛~雨竜~新十津川~ 浦臼~月形 の53キロ。 昨日から引き続いての真っ平らの一直線。
熊の恐怖からは解放されたことで、ようやく気持ちが穏やかになった。 今日は距離が長いので朝食を6時半にお願いして7時出発とする。
足の腫れは依然退いていないが、際立った痛みがないのでゆっくりなら走れそうだ。
今日も20キロ以上自販機がないらしい。水4本が肩に食い込む。 重い!
7時 女将さんに見送られて出発。 うす曇。20度ぐらいで気持ちがいい。 第1目標地 新十津川まで20キロ。 朝もやの中の大平原は墨絵のように穏やかだった。車も人影も全くない一本道を独占して走る贅沢ラン。 街はずれに「妹背牛商業高校」の矢印がでている。この高校の女子バレー部は全国制覇の常連で全日本の主将吉原他多数のトップ選手を生み出している名門校である。こんな小さな街で何故こんな強豪高校が出来たのか不思議な気がする。
HOKKAIDO やがて、雨竜川の橋に出る。 な・・なんと歩道がない! 橋の長さは100mぐらい。 国道の立派な歩道は何の為のもの・・・? 白線と欄干の間は20cmぐらい。 どう見てもまともに走れる幅ではない。 さあ、どうしよう! 突っ走るほかない。 幸い未だ車が少ないが、この足で走りきれるかどうか不安だけど行くしかない。 対向車が来ないのを確認して猛ダッシュで飛び出す。 100mは長い!  おやっ と気がついた。 会心の走りをしてる!体調十分な時のロングスパートみたいにのびのびと走っている自分に驚いた。
HOKKAIDO 前方に小形車が見える。 渡りきるまで待ってくれ~! 秒差で勝った。
車のことを書けば、道中は無数の車との戦いであった。 その中で、マナーが一番良かったのは、大型トラック、次はなんとダンプカー、彼らは出来る限り大回りで避けてくれた。反対に一番マナーの悪いのは観光バスだった。歩行者のことなど全く意に介さずヒヤッとすることが何度もあった。
雨竜の街はずれで初めて札幌93キロ、今日のゴール月形47キロの標識をみた。   遠いな~!

雨竜の 道の駅 で飲み物の補給、とにかく何もない一本道、自分が早いのか遅いのか対比するものがないのでさっぱり判らない、キロ表示で測定したらなんとキロ10分。これでは田中一さんに追い越される~! 気を取り直してスピードアップしたつもりでも所詮キロ9分。 何時にゴールできるやら。
石狩川を挟んだ滝川の火力発電所の大きな煙突が目印でやがて新十津川の市内に入る。スタートして20キロ。 久しぶりの人里、ようやく見つけた蕎麦屋さんで早めの昼食。ここを逃すと30キロ先のゴールまで町らしい町がない。 しかし折角のてんぷら蕎麦も胃が受け付けず、半分も食べられなかった。 残念!
HOKKAIDO さあ これから23キロは文字通り一直線。気の遠くなるような道が続く。 終日、まっ平ら、一直線の世界を見ているといろいろな感覚が正常さを欠いて不思議な体験をする。 自分の目線の高さ1.5mぐらいで10キロ先を見ると地面との角度が限りなくゼロに近づくので、あたかも自分が平板上の点となり、周辺を立体的に鳥瞰する感覚が失われるような気がする。 丁度、海で泳ぎながら水平線を見る感覚と同じ。 このことは距離が読めない、従って時間も読めないと言う文字通り気が狂いそうな恐怖感となって疲れた身に覆いかぶさってくる。
閉所恐怖症と反対に無限に広がる空間が恐怖の元となるとは想像もしていなかった。
こんなことを考えながらの道中、人恋しさに道端の農家のおばあちゃんと話し込んで小休止。
庭先から大きなトマトを?いでくれてその美味しいこと。東京では食べたことのない不思議なトマトだった。 カラカラの喉には最高のご馳走だった。一所懸命褒めたら大きなのを2個も持たされてザックがずっしり重くなってしまった。ついでに水も補給して先を急いだ。

HOKKAIDO 単調な風景の中で暮らす人たちの生活を潤す知恵なのか、どの家も満開の花に埋もれてまるで箱庭のような綺麗さを誇っていた。 家々の庭先の花が競い合うように連なっている中を走るのは足の痛みも忘れて至福のときである。足のことをなるべく考えないように、自分では快調に走ってるつもりでも道脇のキロ表示の減り方が遅々として進まない。走る歩幅が歩く歩幅より狭いことに気がつき愕然とする。
ならば、歩こう! と歩き始めたが緊張感が切れて全く歩けない。 矢張り、どんなに 遅くても 走ってるんだ・・・!と言う緊張感が自分を前に進めてくれる唯一の支えになってることを実感する。
のどかな田園風景もその影には孤独との戦いと言う恐怖が隠れていることも知った。札幌育ちで毎日石狩平野を見て育った自分には大平原は見慣れた筈の景色だがたった一人でそこに立ったとき、広漠たる大平原の隠れた魔力を改めて感じた。
とぼとぼ走りがようやく一軒の農家にたどり着いた。 庭先にいたおばあちゃんに水の 補給をお願いして小休止。 庭先の水をボトルに詰めていると “これを食べて行きなさい” と子供の頭ほどもある大きなメロンを切ってくれた。
HOKKAIDO聞けば街道一のメロン農家 田口農園? 宮内庁御用達と印刷されたダンボールがつまれていてびっくり。
美智子様が結婚して間もなくの頃から、毎年4個入りの箱詰めを10箱宮内庁に納めているとか。
今年の収穫を先週終えたとのこと。自家用のものをご馳走してくれた。
それにしても美味かった~!
ここでも別れ際、おばあちゃんが残りの半分をラップに包んで持たせてくれた。先ほどのトマトの上に無理やり押し込んで又もザックがはちきれそう。 食後のデザートにしなさい と言う優しい声に嬉しい重みだった。
やがて 浦臼町 夕暮れが近い。ゴールの月形町まで15キロ、依然先の見えない一本道が続く。 気を取り直して走る。

道中雑詠: 黄金の 稔りを揺らす秋の風 夕陽を浴びる 我が頬に吹く。 (浦臼)

自分が動いているのさえ不思議に思える「静止と静寂」の世界、朝から10j時間走り続けても全く変わらない空間。 自分が何故ここにいるのか? 自分の意識を問い直している自分。 北海道横断ランがこのような副生的な苦しみをもたらすものとは想定外であった。45キロ付近、道の駅 で小休止。 何故か空腹感がない。 シャーベットで喉を潤す。 さあ、後7キロ、宿に電話を入れて最後の頑張り。 やがて森の陰に一気に街の明かりが広がって、月形町に入った時は 「もう 走らなくてもいい!」。 体の疲労より精神的な疲労感がもう1歩も走りたくない自分を襲っていた。
53キロ、6:30pm 到着。
月形温泉ホテル、シューズを脱ごうとしたが左足が膝から下が大根のように腫れあがって靴紐を全部緩めないと脱げないほどに傷んでいた。 さあ、大変!
風呂上りにバケツに氷水を作り指先の感覚がなくなるような冷たさで一晩冷やし、湿布バンでぐるぐる巻きにして明日に備えた。 フロントは大忙しだった。
何とか10時間走れた足が食堂への僅かな距離をもう1歩も歩けなかった。
足は傷んでいたけどビールは今日も美味かった。 それにしても、今日も壮絶な一日だった。


【9月6日(木)】
さあ、最終日。 外は霧雨。 最終日のルートは、月形~当別~江別~札幌の47キロ。
足は依然パンパンに腫れて湿布薬はカリカリに乾いている。 恐るおそる膝の屈伸をしてみるが全然曲がらない。足首の回転も駄目。ストレッチで体をほぐして走ってみるが全く走れない。局部的な痛みはないが踵を踏み込む勇気が出ない。 歩くのが精一杯という感じ。 さあ、困った!
前半2日の予期せぬ疾走の後遺症が最終日に最悪となった。 47キロ、歩くとゴールが夜中になるだろう。悔しいけど、当別までの20キロは電車に乗り、そこから27キロを歩こう! 悔しくて辛い決断だった。
8時15分発の電車に乗る。 地の果てウトロを出発して400キロ、完全走破を目指していた足跡がここで途切れるのが悔しい! 電車は国道275号と平行して走る。車窓から見えるあの道を自分が走っている筈なのに・・・。  窓に当る雨粒がツーッとはしる。

道中雑詠: 我が思い 途絶えて悔し北の道 車窓を走る秋雨の筋  (月形町)

何時までも感傷に浸ってる場合じゃない。 終点の当別で下車。 昔の小さな町が 大学を抱える立派な町に変貌していた。 電車の20キロで 歩き の4時間を節約できた。
HOKKAIDO残り27キロ、歩いても何とか夕方までには着くだろう。 ここからは札幌までほとんど水の補給が出来ないのでしっかり補充。 駅の階段を何とか下りられたので、平地は大丈夫だろう。
雨対策のビニール袋を被って8時45分出発
約10キロの直線道路。 走ることに慣れた体には 歩く という動作が何か借り物のようなぎこちなさを感じる。 電車から見えた275号線に再び自分の足跡を記しているのは感動だった。 体が慣れて歩きもぎこちなさが取れて楽になったが、走ってみようと言う勇気が出ない。踵をつくのが怖い。 よし、急ぎ足で歩こう! 意外に楽に歩ける。 体の調子を取り戻したことは凄く大きな開放感となって、歩きとは言え再び横断ランの感動を味わっていた。
HOKKAIDO歩道の脇のコスモスが果てもなく続いている。車の往来が激しいが広い歩道がありがたい。 札幌23キロの標識がうれしい。 小さな一歩でも確実に目的地を呼び寄せてくれている。 雨は小止みになって、雨雲の彼方に懐かしい故郷の山が見える。札幌オリンピックの主会場になった 手稲山(1024m)。 子供の頃のスキーの道場だった。

HOKKAIDO このルートでどうしても足を止めたいところがあった。 間もなく渡る石狩川の手前、 道に大きな標識がたっている。「町村農場」、 ここは丁度50年前(1958)、乳製品の研究でアメリカに渡るに際して、国内実習をして来るように・・・と言う大学からの指示で、ひと夏お世話になったところである。その当時は川の向こうの江別市にあったが、都市化の波に押されてこの地に移転してきた。 アメリカへの夢を託して若い血をたぎらせた懐かしい舞台であった。 お世話になった奥様にお逢いできたのは幸いだった。 因みに、現在の町村官房長官は奥様のいとこである。特製のアイスクリームを頂き、少しだけ昔話をしておいとました。

さあ、途中下車が長くなった。先を急ごう。
HOKKAIDO再び単調な一直線の旅。 道は間もなく 新石狩大橋で石狩川を渡る。 全長1060m またもや歩道がない! 日中の幹線道路、車が多くてとても隙間を縫って走りきれる距離ではない。 恐るおそる欄干にしがみついて歩くほかない。 対向車がないときは大回りに避けてくれる車が、対向車が来たときは殆ど避ける余裕がないので背中のザックすれすれで走り去るという極めて危険な状況であった。 大型車の風圧で一瞬体が浮き上がりそうになり必死に欄干にしがみつく。 必死の思いの「蟹の横這い歩き」 で目の下数mを滔滔と流れる川幅300mの大河の目のくらむような恐怖と戦いながらようやく渡りきる。 野性の恐怖を生き延びてきて、ここで文明の利器に殺されるのは本末転倒の最たるもの。 背後のトラックと目の下の濁流、遅々として近づかない対岸。 この怖さは熊の恐怖を遥かに上回るものだった。
HOKKAIDO 何分かかったのだろう、 ようやく対岸の土を踏んだ途端、緊張の糸が切れて土手の草むらに座り込んでしまった。 それにしても、このステージはどうしてこうも怖いことが続くんだろう。 第1ステージのようなルンルン気分で走った楽しさが全くなかったような気がする。それでもついに札幌圏に入って一安心。 さあ 残り15,6キロ。
雨対策を確認して空知国道を西へ向かう。 遠くに見えていた山が随分大きく見えるようになった。この道は昔は雁木街道と呼ばれた細くてうら寂しい田舎道だったが、道央へのバイパスとして整備されて素晴らしい国道になっていた。
今回、2日目以降はすべてこの275号を走ってきた。 車にとって真っ平ら、一直線の道は最高の経済効果をもたらすであろうが、人力走行機にとっては恐怖と苦痛以外の何ものでもなかった。付近一帯はまだ石狩平野の真っ只中だが、農家の数より都市型の建物が多くなり札幌が近くなったことを教えてくれる。
やがて 札幌13キロ の標識。 もう一息。
ようやく見つけたラーメン屋で雨宿り方々の昼食。歩き始めた当別町から20キロ、初めての食べ物屋だった。 こうゆう情報は貴重だと痛感した。 ラーメンを待つ間氷を貰って足を冷やす。パンパンに腫れているけど、取りあえず歩けるのであまり気にしないことにする。お客やおばさんたちと久しぶりに談笑。みんなびっくりしていた。“乗せてやりたいけど反対方向だからな~“ と言ってくれたダンプのお兄さんに感謝。 “店の前がバス停だよ” と教えられて、気持ちがグラッと傾いたが必死にこらえる。 さあ、急ごう。
みんなに激励されて霧雨の道に出る。 恐るおそるバス停で時刻表を見た。一日に4本しかない。 幸い次のバスまで1時間以上ある。 誘惑を跳ね返して歩き始める。この道も長い。
その時、前方から中年の男性がスキーのストックを2本使って歩いて来るのに出会った。 奥さんが当別の病院に入院しているので見舞いに・・・ とのこと。 時間からも とても無理・・と言ったけど、奥さんに会いたい一心か 霧雨の中に黄色いポンチョが消えて行った。 奥さんが羨ましい!
HOKKAIDO 待望の札幌市の標識!  とは言え、ここは行政上の境界線で遠くに霞んで見える山の距離から見てもまだ10キロ以上は十分にありそう。喜んではいられない。急ごう。 いつの間にか、回りから畑が消えて開発途上の周縁の雑然とした様相となった。
昔はこの辺りは たまねぎ の産地だったが、もうその面影がなかった。街の変貌振りに驚きながらひたすら西を目指して歩く。 走ったらあっという間の距離なのに・・・ 雁木大橋の上から遥か彼方にゴールのテレビ塔が小さく見えた。 やった~!
札幌にも高層ビルが沢山出来たため、テレビ塔があまり目立たなくなって探すのに苦労した。もう道は全くの町の中、大自然のおおらかさの中に埋もれていた自分が又猥雑な人間社会の中に取り込まれてしまう無念さを噛みしめ乍らテレビ塔を目指す。

HOKKAIDO 札幌は旭川と同様100m間隔の碁盤目区画に整理されている街なので近道がない。自分の立っている場所と目的地の場所が決まると、どのルートを通っても距離は変わらない。このことは生活する上で実に便利である。  大通り公園を挟んで 北と南(条)、公園の東の端、公園と直角に交わる創成川を挟んで 西と東(丁)。
その原点がTV塔の位置である「大通り西1丁目」である。 このことを考えながら今自分は「北1条東16丁目」を走っている。 このことは 今回のゴールであるTV塔下まで、あと西へ16丁=1600m、南に1丁=100m、
計1700m。 信号と高架歩道のためこの1.7キロが中々縮まらない。 最後だけは走ってゴールしたい! 恐るおそる左足を踏み込んでみる。大げさすぎるスタイルだが何とか走りがつながる。 嬉しい!
層雲峡を出発して4日目、9月6日4:56pmを示すTV塔の下に ゴール!
長かった205キロ。

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今日の一日は一番長く感じられた。 歩くという最も非能率的な運動の果ての47キロ、これも気の遠くなるような時間との葛藤だった。
北海道横断 第2ステージ、予期せぬ熊との係わりの恐怖の4日間、視界360度に広がる大平原の押しつぶされそうな圧迫感、走り継いできた足跡が消えた20キロ。 振り返ってみると、願っていた横断ランのゆったりした楽しさを噛みしめる余裕もなく ひたすら気が狂いそうな恐怖感を背負っての4日間だった。 しかし、やり遂げた! この事実だけは喜ぼう!


ECHIGO
’07.10.14
横浜中央走友会 山本 卓


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