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【北海道横断走】  知床~函館  735Km  2007~8年


HOKKAIDO

第3ステージ

   『故郷の道を往く』


期日:2008.6.26~7.1
走区:札幌~函館
距離:284Km



遥か知床の連山に残る雪形に見送られて北海道横断をスタートしたのは1年前の‘07.6.26だった。そして今年、最終ステージのスタートが奇しくも同じ’08.6.26であった。
HOKKAIDO日本縦断3600キロを走り終え、祭りの後の夕焼け空のような裏寂しさを味わいながら、これで終わるのは寂しすぎる・・・と密かに次のテーマを探している自分がいた。 かくして、縦断に対応する横断をやろう・・・と次の目標を日本で最も横距離の長い知床~函館700キロと決めたのは自分のラン人生の集大成を我が故郷の道を走って完成させたいという願いとも重なった。
この横断シリーズは「サロマ湖100キロ」の延長線上のイベントと見做して準備を進めてきたが、この両方を同時に完成させることは年齢的に限界を越えていることを知らなければならなかった。 サロマは来年もチャンスがあるが、横断280キロは今年を最後の機会と考え最悪の場合前哨戦のサロマを捨てて横断の完走を優先することに決めた。 秋からの走り込みが功を奏し今年のサロマは予定通りキロ6分台のペースで60キロまで走れたのは大きな収穫であった。 60キロ過ぎ、左ひざに違和感が生じたのを機会にこの地点でサロマの離脱を決め、70キロ地点の公式記録をとって今年のサロマを終えた。その後の三日間、札幌の姉宅にて膝の養生の結果、痛みはほぼ消えたがこれから始まる連日の酷使に耐えられるのかどうか大きな不安を残してスタートの日を迎えた。


【6月26日(木)】 快晴  気温23度  走区 札幌~余市 55キロ
HOKKAIDO サロマで感じた膝の違和感も札幌での養生が奏功して取り敢えずのスタートはできる体調になったのは何よりの嬉しさだった。今回のステージは時期が 洞爺湖サミット の時期と重なり、当初予定していた 定山渓~中山峠~洞爺湖~長万部 のルートが通行不能となり、やむなく小樽~余市~ニセコ経由のルートになってしまった。このルートは距離が30キロほど長くなるのは厳しいが、幸いにもわが故郷の町の文字通り我が家の玄関先を通るという絶妙の幸運に恵まれることになった。更に重なる幸運は強力な助っ人が現れたことであった。
HOKKAIDO 小野正勝さん 1歳年上の遊び仲間で文字通りの「竹馬の友」。彼は’04、’05 1歳刻みのマラソンランキング全国第1位、’06 3位という大物。 一緒に付き合ってくれることを知った時はこのステージの楽勝を確信した。

かくして、6月26日7:00am新緑に覆われた大通り公園TV塔下から遥か280キロ彼方の函館を目指して最終ステージをスタートした。 快晴、気温17,8度 碁盤目に区画された早朝の北1条通りを西に向かう。 正面には大倉ジャンプ競技場が周りの緑の中に白い十字架のように朝日に映えていた。これから通る国道5号の道筋は戦後制定された高校の学区制により札幌西高(母校)の校区でどこを見ても懐かしい思い出の道筋であった。
HOKKAIDO 札幌在住の正勝さん(やはりこの方が呼びやすい)がその後の札幌の移り変わりを解説してくれて、自分がこの先余市までの55キロを走ってることを忘れてしまいそうな懐かしい道中となった。 スタートして13キロがわが故郷である。
かすかに残る故郷の残影を求めてつい足の運びが乱れる。やがて、故郷の山 手稲山(1024m) が懐かしい姿を見せてくれた。1972年に開催された 札幌冬季オリンピック の主会場となった誇り高き山である。その遥か昔、山裾の白樺の原始林の中にひっそりと建つパラダイス・ヒュッテ(北大の山小屋)をベースに毎年仲間たちとジャンプの合宿をしたことなどを懐かしく思い出した。スキー少年たちの裏山がいま初夏の緑に覆われて60年前の自分を迎えてくれた。

道中雑詠: うすれゆく 記憶をたどり凝らす目に ふるさとの山 我にほほえむ

この日、自分にとって忘れる事の出来ない因縁の深さを思い知った悲しい出会いがあった。 この日、この時間、この道、を走っていたことが偶然にも、その昔、自分をわが子のように可愛がってくれた近くの小母さんの告別式という悲しい場での半世紀ぶりの出会いであった。昔の優しさをにじませた遺影にランパン、ランシャッツでお焼香をさせていただき慌ただしいお別れとなってしまったが、あと10分遅かったらこの出会いはなかっただろうと思うと小母さんが自分を待っていてくれたように思えてならなかった。故郷の道は懐かしくもあり悲しい道でもあった。

HOKKAIDO 今日の宿 余市までまだ40キロ。 さあ、先を急ごう。
気を取り直して再び走り始める。 道筋の家並みに昔日の面影はないが、取り巻く山々が昔の記憶を蘇らせる絶妙の背景になって、砂利道を走った少年時代の自分に引き戻してくれた。これまでの一人旅に引き換え二人のランがなんと心やすく、心つよく感じるものだろうか。 道は眼下に石狩湾を見下ろして次第に登り道に代わってきた。戦前、戦中までは文字通り「銭函」と名付けられたニシンの一大漁場だったところである。
HOKKAIDOスタートして30キロ付近、いくつかの岬をまわって遥かに小樽の街が見えてきた。心配した膝の痛みも全くなく至極快適なランである。やがて11時半、小樽の入り口あたりで待望のラーメンにありついた。北海道は食べ物が美味しいのが何より嬉しい。 さあ出発。気温は20度前後、さわやかな風が心地いい。小樽の街は昔の記憶が全く入り込む余地がない程に変わっていたが小樽駅は微かな記憶の中にあった。
やがてTVや写真でよく見る 小樽運河。 大勢の観光客に交じってしばしの休足? その昔、栄華を誇った港町の象徴であった倉庫群が戦後取り壊されることもなく半世紀後に観光資源として強い光を発しているのは為政者の先見の明か。
小樽は坂の町である。国道5号線は延々と続く坂道に容赦なく引きずり込んでいく。流石に30キロを越えてからの坂道はきつい。二人ともいつ終るかも知れぬ先の見えない坂道を荒行に挑む修験者のように黙々とのぼった。 視線を足先に落しているため周りの風景は全く記憶にない過酷な登だった。

やがて 「余市16キロ」の道路標識が登りの終わりをおしえてくれた。長かった・・・。 右手に日本海が快晴の陽射しを受けて紺碧に輝いていた。
HOKKAIDOさあ、ここからは大きな山越えのない海岸沿いの道だ。 あの登りの苦しさを取り戻すように道はゆっくり下っていく。 道はいつの間にか札樽国道から羊蹄街道に名前を変えていた。明日 その羊蹄山の下を走ると思うと一瞬緊張感が走る。 いくつかのトンネルを抜けると懐かしい忍路海岸(オショロ)。ここには北大の臨海研究所があり、高校の仲間で水産学部の先生のお嬢さんに頼み込んで夏休み臨海合宿をしたところ。 水深50cmぐらいの広い研究ヤードでワイワイ・ガヤガヤの水遊びだった。その年、戦後初めて男女共学になって、興味の塊のようなな高校生にとっては何をしても楽しくて仕方がない青春の日々だった。 60年前の情景を思い出しながら穏やかな海岸を走る。
HOKKAIDO陽は西に傾き影が長くなった。やがて蘭島、海水浴場で有名だったが今はどうなのだろ。余市まであと4,5キロ、50キロを走り終えた二人には格好のクーリングダウンとなった。 うっかり通り過ぎてしまった今日の宿をようやく探し当てて無事55キロを走り終えた頃はあたりに夕暮れの気配が立ち込めていた。初日の55キロは長かったが、半世紀ぶりに見る故郷の海や山に癒されて快適な体調で走り切れたのは明日以降への力強い自信となった。疲れた体を近くの温泉に深く沈めて、厳しかった道中の疲れを解きほぐしながら、走馬灯のように巡ってくるあれこれの懐かしい情景を思い起こし、60年前の少年時代にタイムスリップした至福の一瞬をかみしめた。正勝さんは所要のため明日は付き合えないとの事。朝早くの電車で札幌に帰ることになった。「その代り、今夜は激励会を兼ねて僕が御馳走するよ!」 との嬉しい一言に昼のラーメン一杯のおなかが俄然反応して、その夜のビールと本場の海の幸は55キロですり減らした胃袋に際限なく送り込まれてこれまた至福の時であった。
HOKKAIDO 50年以上も会うことがなかった我々、しかもランをこよなく愛する我々に神様が北の浜辺の一夜にラン人生の素晴らしさを語り合う一席を設けてくれたような夜だった。 気持ちよく宿に帰ったら「大ちゃん」こと楠田大介君が待っていてくれた。 八王子時代に中央走友会と付き合いが生れ、その後北海道に移転してなお遠くから走友会に声援を送ってくれる好感度抜群の青年で、その後のランでも大変お世話になった。大ちゃんありがとう。


【6月27日(金)】  快晴  走区: 余市町~ニセコ町  53キロ
  昨日の疲れも温泉とビールで洗い流して2日目の朝を迎えた。 正勝さんと別れて、いよいよ内陸への一人旅が始まる。朝の気温17,8度。快晴、空気が冷たく絶好のラン日和だ。
HOKKAIDO7:30分 迎えのタクシーに乗り込む正勝さんを見送り、独りになった寂しさと誰にも頼れない心もとなさを振り払って今日の一歩を踏み出した。北辺の街はまだ人影もなく時折出会う散歩やジョギングの人たちと元気な挨拶を交わして自分を目覚めさせる。不思議にも昨日の疲れが全く残っていない。これまでの一人旅では翌日の走り始め3,4キロは体が鉛を背負ったようにずしりと重く、体が動き出すまで苦しい時間だった。ロングランの翌日はこんなものだろうと思い込んでいたので、今回の異変は何か忘れ物をしたような気がした。 これまでとの違いを懸命に考えた末行き着いたのは「アミノバイタル」であった。 今年、サロマの会場で持ち帰り自由の「アミノバイタル3600」を横断に備えて沢山貰ってきたものを昨夜食後に飲んでおいたのが効いたのかもしれない。 もし、それが理由だとすればこれは「すごいサプリメント」の出現である。この効用はその後毎日わが身の生体実験で 「ほぼ間違いない」 と確信できるほどであった。朝日に背を押されて早朝の街を行く。
HOKKAIDOやがて大きな道路標識が威圧するような強さで内陸への指示をしている。
さあ、いよいよこれからがこのステージの本番。 見慣れた日本海と別れこの次見るのは100キロ先の太平洋。
前方遥かに山並みが続いて、ちっぽけな人間の挑戦を嘲笑うように待ち構えている。あの山の遥か彼方が今日のねぐら。 さあ、どうしてもたどり着かなくてはならない。 街並みが次第に田園風景に変わってきた。 余市はご存じニッカウイスキーの本舗、さらには、札幌オリンピック・ジャンプ70m級で優勝した笠谷幸生さん、新しくは我が国初の宇宙飛行士 毛利 衛さんの出生地である。この北辺の小さな町で、世界中に名を轟かせた逸材がひっそり育っていたことは子供たちにどれだけ大きな夢を与えただろうか。
HOKKAIDO余市はまた「果物王国」。今はサクランボの季節。通称「サクランボ街道」。 真っ赤な実と濃い緑のコントラストがきれい。快晴、涼しい風を受けて赤と緑の街道を走るのは何とも気持ちがいい。
道はやがて峠越えの最後の町 仁木町に入る。 果物農家が総出でサクランボの収穫をしている。 おばあさんが急拵えの屋台の上で一パック300円の店を開いていた。 小休止。 この道端商売は全部おばあさんのお小遣い。貯めたお金で冬に仲間と温泉に行くのが楽しみ・・・と元気に話していた。 町はずれの最後のコンビニで ペットボトル3本、おにぎり2個を買い山越えに備える。 重い!、今回は膝の再発を懸念して保護対策にあれこれ持ち過ぎたのでリュックの重さは6キロを超えている。

HOKKAIDO 峠越えの道は倶知安まで約30キロ。 クマ除けの鈴とホイッスルで身を固めて出発。 予想より車が多いので熊の心配は少し薄らいだが、それらしい雰囲気は十分。 後志地方は知床に次いで熊の生息密度が高いという報告があるので気をつけよう。余市川を左右に見て上流を目指す。久しぶりに見る清流は文字通りの清流だった。道は次第に角度を増して一直線に山の懐に消えている。歩道もだいぶ狭くなった。
HOKKAIDO この先急坂を登ったところが稲穂峠。大ちゃん(楠田君)からの事前情報で峠の稲穂トンネル(2000m位)には歩道がないと聞いていたので、悔しいけど安全のために誰かの車のお世話になろう・・・と考えていたが、先の例のように側を走る車が止まってくれなかったらどうしよう? 一瞬、不安が走る。最悪 また 蟹の横這いか・・・と覚悟しながら喘ぎ喘ぎ登った。
流石の車も喘ぐのか道が大きく右にカーブするところに幸運にも大江PAがあり何台かの車がエンジンを休ませていた。 今登ってきた一本道が果てしなく続き、その遥か彼方に日本海が霞んでいた。 この山道を走ってきたランナーが珍しいのか何人かの人と談笑。その中の東京・板橋区からワンボックスカーで北海道を巡っているご夫妻にトンネル区間を乗せてもらえることになった。
HOKKAIDOこれで一安心。車内には生活用品がぎっしり。 日本縦断の時の小椋さんを思い出した。 これから平成5年7月の地震で津波に町の大半を失った奥尻島の復興ぶりを見に行くとのこと。もう2週間も北海道を走りまわっていてだんだん東京に近付いて行くのが寂しいと洩らしていた。横断道中で初めての車。一気に長いトンネルを走り抜けた。トンネルはスピード感、距離感が掴めず、まして、歩道がなければ恐怖の世界。と思いつつも、走りつなげてきた足跡が消えるのが悔しい。
長いトンネルだった。無事に抜け出せたのでお礼を言って降ろしてもらう。 この先 またどこかでお会いしましょう と言って別れた。峠の上からはこれから下って行く 山並みが穏やかに連なっている。しばらく下ったその先に思いもかけづ又トンネルが現れた。地図の中では一か所のはずなのに。 しまった! 車に乗っていればよかった! と思ったときは後の祭り。長さは200mぐら。、短い!と思ったのは早計、 歩道がない!壁面から60cmぐらいの歩道の真ん中に道路の縁石が敷設されている。車が直接壁面に衝突するのを防ぐための配慮で歩行者のことは全く考えられていない。尤もこんな山の中のトンネルでは歩行者の入り込む余地はないのか。
HOKKAIDO 入口の標識は函館196キロを示している。遠いな~。
さあ、どうしよう! 用意してきた夜光反射テープをリュックと帽子に貼り付け、懐中電灯を振って恐るおそる出発する。 真ん中の縁石は幅15cmぐらいで体操競技の 平均台と同じ、車道側も壁側も残り20cmぐらいでとても走れない。やむなく片手を壁に支えて平均台の上をゆらゆらと歩く。 怖い! 車道側に転倒したら・・・。車があわててハンドルを切って避けていく。 よろよろ歩きの200mは日が暮れてしまうほど長い。 車を見計らって脱兎の如く駆け抜けて恐怖の一瞬を終えた。もし、知らずにあの稲穂トンネルに入っていたらどうなっていただろうか? 2キロ近い平均台歩きはとても無事に抜け切れる距離ではなかっただろうと思うと大ちゃんからの事前情報に深謝の念一杯。 かくして、このシリーズ最後の難関を何とか無事通過して、ほっと一息ついた遥か先に待望の羊蹄山が薄もやの中に姿を見せていた。スタートして約30キロ、山越えの30キロは第一ステージの石北峠越えに次いで2度目。あれは厳しかった・・・!

HOKKAIDO 道路標識が今日の宿 ニセコ まで20キロを教えてくれる。 ようやく人家の屋根が見えて人里の安堵感に浸る。羊蹄山の穏やかな山容が峠越えの厳しさを癒してくれるようにゆったりと裾野を広げていた。このステージで一番期待していた羊蹄山の麓を快晴の中に走ることができたのは何より嬉しいことだった。

日本各地の「おらが富士」の中で最も御本家に似ている名山である。
正面に見えていた羊蹄山がいつの間にか左手に回って道を南に向けた。
間もなく倶知安(クッチャン)の街並みが見えてようやく山越えが終わった。
HOKKAIDO右手にニセコ連峰、左に羊蹄山が初夏の太陽を受けて青々と輝いている。あちこちに見え隠れする残雪が遅い春を告げている。 のどかな緑の中を走るのは疲れを忘れさせてくれる至福のひと時である。 やがて倶知安、久しぶりの街中の道、信号やら看板やらの猥雑さにランニング・ハイを打ち砕かれて悔しい。早く抜け出したい。道筋で一番美味しいラーメン屋さんを聞いてようやく昼食。 水分が抜けているのか昼食はスープが美味しい。 さあ、ニセコまであと15キロ。 すでに40キロを走ったのに全く疲れを感じない。 やっぱりアミノバイタルのせいか? 街中を抜けてまた緑の中に入った。
右手には最近特にオーストラリアからのスキー客に圧倒的な人気のあるニセコ連峰無数のスキー場を取り囲んで無数のロッジやペンションが立ち並んで昔の面影は全くなくなったらしい。
HOKKAIDO学生の頃、最高峰ニセコアンヌプリ(1308m)の「国鉄山の家」の現地集合で高校の同期会をやったことを思い出した。あの頃の若者は元気だったな~。 刈り取られたゲレンデと周りの林との緑の濃淡がスイカの縞模様か、はたまた下手な床屋の虎刈り頭か。  冬の大舞台はようやくスキーヤーの喧噪から解放されて静かに一息ついていた。 やがて今日の目的地 「ニセコ道の駅」にゴール。
長い53キロだった。緑の廊下のような起伏の山道は横断の醍醐味を味わえる最高の舞台であった。 未知の道を走る楽しさは突然目の前に現れる予期せぬ風景に手放しで感動することではないだろうか。
自分が緑に染まってしまったような一日だった。今日の宿はリゾートイン・ニセコ。かわいいペンション。 窓から眺める羊蹄山は額縁に収まった一幅の絵であった。 相客はやはり車で道内めぐりをしている初老のご夫妻と若い二人連れ。彼は横浜市大卒。見知らぬ土地で同郷の人に会うのは何より嬉しい。去年も層雲峡の宿で北鎌倉の方に逢ったのが懐かしい。夕食はペンションらしくフランス料理。なぜか白いご飯がついていた。 ビールとワインで生き返った夜だった。

道中雑詠: 羊蹄の 頂きの雲やわらかく  カッコウの声 夏をよろこび (ニセコ)


【6月28日(土)】  快晴  走区: ニセコ~黒松内 50キロ
6時起床、庭の芝生でストレッチと散歩、羊蹄山が朝日を受けて今日も快晴。
このペンシヨン、隣がどこにあるのか判らないぐらいの草原の真ん中。北海道らしい。
HOKKAIDO 朝食はなんと14品もあって食べ過ぎが心配。新鮮な牛乳が美味かった。疲労もなく体調十分。 7時半、皆さんに見送られて出発。国道5号線に出て第一目標の蘭越町18キロを目指す。ニセコの裾を巻いて緩やかな起伏の道を行く気温は20度位でさわやか。 今日は延々と山あいの道がつづく50キロ。大きな峠はないが大きな町もない大自然の真っただ中を走る。いつの間にか羊蹄山の端正な山容を背中に背負ってひたすら南をめざす。やがて昆布温泉、ニセコスキー場への入り口でもある。道端の観光案内所で小休止。 今日最初のお客だった。 ソフトクリームでしばし談笑。“おじいちゃんと同じ歳だ~ッ” とびっくりされた。 後ろからの日差しが強くなったのでハンカチを濡らして後頭部を冷やす。帽子でおさえたハンカチが首に冷たく気持ちがいい。でも空気が乾燥しているので2,3時間でからからに乾いてしまう。この道中、空気が乾燥しているためほとんど汗をかかず、Tシャッツもハンカチもほとんど濡れないのが気持ちいい。
HOKKAIDO ゆるやかにうねる広大な畑、畝の縞模様がここは人間の世界であることを教えてくれる。人影のない緑一色の世界にこれほど北の大地の壮大さを表す姿はないだろう と足を止めて見入ってしまう。 やがて家並みが増えて蘭越の町にはいった。今日のルートの最後の町。、この先20キロは補給ができないのでボトル3本、おにぎり2個、ウイダーを買って無人の境地に挑む。風が冷たくて気持ちがいい。緩やかにうねる道、ともすると単調になりそうな意識に新鮮な刺激を与えて、その先に続く未知の情景に期待をつなげてくれる。 それにしても、連日の快晴、雨のことに全く意を払わなくなったのが怖い。天気予報ではゴールの日まで晴れが続くらしい。あと三日持ち応えてほしい。
リュックの重みも当たり前になって体がしっかり受け入れている。
天気がよくて、体調がよくて、緑がよくて・・・、世の中のいいものを全部一人占めしているなんと贅沢な時間だろう。

HOKKAIDO 小さな峠を越えてやがて黒松内町の領域に入った。行程をを立てるとき一番苦労した のはニセコの次の宿をどこにするか…だった。できるだけ国道5号線から外れたくなかった。 とすると、宿のありそうな町は70キロ先の長万部(オシャマンベ)になってしまい、一日の行程としてはいかにも長すぎる。  さあ~どうしよう!?
5号線から分かれてJR沿いの旧国道265号を10キロほど入ると黒松内の町がある。遥か昔、函館本線が幹線だった頃でさえ黒松内は山深い小さな町であり、とても旅人が一夜の宿を・・・と云うような処ではなかった記憶があるが、背に腹は代えられず町の商工観光課に問い合わせたところ、幸いにも町に旅館が2軒あるとのこと、 早速予約を入れて寝床を確保し一安心。とはいえこのルートは三角形の2辺を行くので再び5号線に合流するまで13キロ余計に走らなければならなかった。
HOKKAIDO 出発して40キロ、緑一色の道をひた走って陽が西に傾いたころ国道の分岐点に到着。きれいな「道の駅」で小休止、昼食のおにぎりを食べていた時大ちゃんから電話。サポートしてくれるとのこと、ありがたい。 車とは言え、100キロ以上の道を追いかけてくれた気持が嬉しい。 宿まで約10キロ、大ちゃんは先行して車を駅前に止め逆走で迎えに来ることにした。流石に50年の時間はかっての山道を堂々たる国道に作り替えていた。 5,6キロで逆走の大ちゃんと合流、一車線位もある広い歩道を肩を並べて走る。 あれこれ話しながらのランは楽しい。 途中で彼にリュックを背負わせて走らせてみたらその重さにびっくり、2,30mで突き返されてしまった。
HOKKAIDO 反対に、背中が軽くなった我が身は、宙に浮いたように足がピヨンピヨン跳ね上がって地面を掴めずとても怖くて走れなかった。
リュックは収まる処に収まって最後の4,5キロを走る。 やがて黒松内の町。想像とは大きく違った綺麗な街だった。大ちゃんが郊外の温泉に案内してくれた。この辺りまでは彼の縄張り。 広々とした湯船に身を沈めて長かった一日を思い起こす。さっぱり汗を流して、ドライブ方がた日本海の夕日を見に行ったが残念ながら雲がかかって絶景は見られなかった。

道中雑詠: 緑濃き 北の大地の夕映えに われ来たる道  影ながくして (黒松内)


【6月29日(日)】  快晴  走区: 黒松内~八雲  50キロ
HOKKAIDOさあ、いよいよ後半。 太平洋に出るまでは18キロの緩やかな下り道。前半戦を終えても疲労感は全くない。
7:30分 宿の皆さんに送られて出発。気温20度ぐらい。
5キロ付近で国道5号線に合流、一路長万部を目指す。日曜日の朝は前後に全く車が見えない。足音だけが聞こえる静かなラン、広い歩道を贅沢に走っていると 突然標識が現れた。
なんと “歩道終わり” 2m以上もあった幅がいきなり5,60cmの幅に縮小されてしまった。建設工事の予算がついに尽きてしまったのか。路肩が傾斜していて走りずらい。前後の車を確認して車道を走る。細い歩道に歩行者、ドライバー泣かせだろ。
HOKKAIDO道路標識が函館まで120キロを示している。 ずいぶん来たな~。わずかな歩幅で、もう150キロも走った。 「継続は金」 か。 相変わらず、むせかえる様な緑の道が続く。 周りはいつの間にか畑から牧場地帯に変わって濃紺のサイロに朝日が輝いていた。 カッコウの鳴き声が遠くから、近くから聞こえる。この鳥の鳴き声ほど北海道の夏を表す声はないと思う。 道産子の心の子守歌かも。 サミットを控え、沿道の除草をしていた。 こんな山の中でどんな意味があるんだろう。 この道中、あちこちで富山とか鳥取やらの県警のバスに出会った。 何事も起こらなかったらお巡りさんにとっては格好の北海道旅行だな~。
HOKKAIDO草刈りのおじさんが “マムシに気をつけろ” と教えてくれた。 “マムシは草を刈った後の明るい所が好きだから出来るだけ車道側を走れ” との事。 と言われても、所詮5,60cmの歩道では藪側も車道側も選ぶ余地なし。 熊よりもマムシのほうが出会う確率は高いだろうが運を天に任せて走ろう。
左右に広がる広大な牧草地、斜面に隠れるように建つ真っ赤な屋根の畜舎と濃紺のサイロ、草を食む牛たち。 その昔、アメリカの大草原で見た懐かしい光景を思い出した。 広大な大地の中のちっぽけな人間。 どんなにあがいても微動だにしない大自然の底力の前に只首を垂れてとぼとぼ走る。 しかし、標識の距離表示は確実にゴールの歓びを引き寄せてくれる。ならば、とぼとぼ走りもまた人智の底力だろうか。
道に沿って走るJR函館本線は主役を室蘭本線に渡して、今はジーゼルカーが1両の寂しい姿になっていたのはショックだった。

HOKKAIDO 間もなく道央自動車道をくぐって長万部に入った。ここまで約18キロ、集落らしいものもなくひたすらの緑の道であった。遠くに町並みが見えてきた。久しぶりに大きな町、 前方が開けていきなり海 太平洋だ! 余市で日本海と別れてから4日目で太平洋。 これまで山やら林やらで圧迫されていたのが 突然何もない空間に投げ出されたような開放感。  余りもの情景の違いに視神経の切り替えが追い付かない感じ。 この瞬間が横断の妙味なのかもしれない。
このシリーズは知床のオホーツク海から始まり日本海、太平洋と北海道を取り巻く全ての海を巡って最南端の函館で終わる。小さな島なのに目の前の海に育まれた三つの文化がそれぞれの個性を持って北海道の歴史を形成してきたのだろう。海と人間のかかわりの深さを思いつつ防波堤にもたれてしばし休憩。 時は正午。
HOKKAIDOご存じ長万部は蟹の名産地。大きな幟があちこちにはためいている。 何はともあれ、蟹様にご挨拶 と 「かにラーメン」の幟をくぐる。 あれこれのメニューに目移りして、デパートの食堂の前で何にしようかな~と決めかねている子供みたいだった。 意を決して「特製かにラーメン」。待つことしばし、どんぶり全部が蟹というとんでもないのが運ばれてきた。ハサミで殻をバリバリ切って・・・美味かった! これでビールがあったらな~・・・残念!。 蟹だけでお腹かが一杯になり、肝心のラーメンは入る余地なし。
午後のスタミナが心配。 幸せなひと時を現実に引き戻して店を出る。
さあ、今日の宿 八雲町 まで30キロ、長い海岸線のランが始まる。 この海岸線は 長万部の北15キロの静狩町から始まり70キロ先の森町まで続くひたすらの一本道である。
蟹攻めの町を抜けて再びみどりの世界に入った。長い旅の始まり。
HOKKAIDO 途中、一人の若者に会った。 岡山の人。なんと彼は鹿児島から歩いて宗谷岬まで行く途中とのこと。“・・・僕はその反対のルートで鹿児島まで走りましたよ…”
びっくりしていた。 無事着いただろうか。 日本にもまだスケールの大きな若者がいるな~。 彼の他にも、定年記念に・・・と歩いている人、自転車で海岸線を一周している青年・・・。都会の喧騒に疲れた人たちが帰巣本能に導かれるように北海道の大自然を求めて黙々と歩いていた。
山の見える世界から真っ平らの世界へ、何か心もとない「点」になってしまった。いよいよ大沼国道の長い直線区間に入る。 とにかく長い! その果ては全く見えず2時間ぐらい走って、余りもの単調さに “・・今、自分は何をしているんだろう・・・?” と思わず立ち止まって周りを見渡してしまう。 全く変わらぬ風景に距離と時間の感覚が覚束なくなって同じ所で足踏みをしている感じ。
HOKKAIDO 建設当時の設計担当者は引いた一本の線が気が遠くなるような70キロの国道になることを判っていたのだろうか。
第1ステージの斜里国道も初めて出会った18キロの直線道路で度肝を抜かれた長さだったし、第2ステージの空知国道も28キロの直線だったが今日の大沼国道は文字通りの一直線の全長70キロ、その真ん中の30キロが今日の舞台。あの道の半ばで、ふと振り返って見たあの距離は、文字通り “わがラン人生の道 いまだ半ば” を思い知らされた。 このシリーズを思いついた原点は日本縦断の駅伝方式と単独走、大勢と独り のランがどのような違いだろうか?を確認してみたかったからである。 日本縦断はあの植村直己が南極横断3000キロを目指してほぼ同じ距離の宗谷岬~鹿児島を46日?で歩き通したしたことを知って、仕事を終えたら独りで走ろうと密かに温めていた計画に賛同者が大勢現われて駅伝方式になり大勢で走る楽しさを満喫したが、独りのランにどのような楽しみが隠されているのだろうか? 興味をそそるテーマであった。植村直己の計画はアルゼンチンの政情不安で海軍の軍艦に乗せてもらえず已む無く南極行き断念した。 話を戻そう。
HOKKAIDO 夢遊病者かロボットか、意志の表しようがない単調なランが続く。 不思議に今日も全く疲れを感じない。アミノバイタル様さま。
海岸沿いに漁師小屋が見えてきてようやく人間社会に引き戻された。ここまで来ればもう大丈夫だろうと大事に背負ってきた水を思いっきり飲んだ。ペットボトル4本は重い。 小さな川が境界線で八雲町の領域に入った。まだ20キロぐらい残っているのにゴール目前の嬉しさが湧き上がってくる。
一休みした川に 岩魚か鱒?の群れが黒々と塊になって泳いでいるのは驚きだった。 東京近郊なら一瞬のうちに一網打尽に捕りつくされてしまうだろな~。 流石北海道はすごい。
HOKKAIDO 道は一直線のままいつの間にか防風林が消えて広大な牧場が現れた。防風林の壁が取り払われて視界が一気に広がった。左は太平洋、右は広大な牧場。高さを意識するものは牧場が連なる緩やかな丘陵地帯だけ。 またもや大自然の中に取り残されたとぼとぼ走りの男一人。 しかしこれ程贅沢な旅はないだろう。 煩わしいことを一切忘れて、自分の一番好きなことを一日中やっていられるんだから・・・。

海岸に遭難者の慰霊碑だろうか 海に向かって無念の思いを投げかけているようだった。

いくら走っても風景が変わらずスピード感がすっかり鈍ってしまった。道端の距離表示で1キロを測定するとなんとキロ9分ぐらい。これでは疲れない筈だ! と心機一転 頑張ってはみるもやがて元の9分に戻ってしまった。まあ、急ぐ旅ではないし、太陽はまだ高いし、のんびり行こう。
HOKKAIDO緑一色の中に突然真っ赤な花壇が現れて、別世界に不時着したような光景だった。何か無性に愛おしくて花の中に転げこみたいような思いだった。
花ほど人心を癒してくれるものはないとこの時ほど強く思ったことはなかった。誰も通らない歩道に腰をおろしてしばし休憩。 第一ステージ、美幌の郊外で見た家を取り囲むように花に埋もれた家、旭川の郊外にも隣り同士が競うような見事な花壇の通りがあった。 細い歩道で車に神経をすり減らしているランナーには、この花たちとの一瞬の出会いは何物にも代えがたい神経の休まる特効薬であった。 このまま花を見ながら昼寝でもできたらそのまま命を終えてもいい・・・、花は不思議な力を持っている。
HOKKAIDO後ろ髪を引かれるように花たちと別れ走りに戻る。 やがて八雲市街への分岐点、道を確認した車のお兄さんが “乗ってくかい・・?” と見事な北海道弁。 駅前まであと3キロ、ここで車に乗っては横断の足が泣く。 お礼を言って最後の走り。
5時30分 駅前のホテルにゴール。長万部から30キロで5時間もかかった。今日も不思議な一日だった。 この日は日曜日でビジネス・ホテルは夕食なし。ひと風呂浴びて海鮮料理の店。 ご主人がマラソン好きで疲れも忘れて話が盛り上がった。 今日のビールも又格別だった。

道中雑詠: 暮れなずむ 一筋の道果て知らず 見果てぬ夢を かけてゆく我


【6月30日(月)】  快晴  走区: 八雲~大沼公園  46キロ
昨夜のビールが熟睡を誘って気持ちよく目覚めた。 疲労も抜けて体調はバッチリ!  今日は前半30キロは海岸沿いの一本道、森町で海と別れ後半16キロは再び内陸に入る。 今日も快晴、このステージは曇りの日さえない連日の快晴。何よりも有難い。
HOKKAIDO この八雲町は終戦前後の時期に叔父(父の長兄)が八雲中学(旧制)の校長をしていたので、子供のころから街の名前だけは覚えていた。 その叔父が後年、自分の高校(札幌二高(現西高)の校長になって図らずも同じ校舎で暮らす “叔父・甥” となった因縁の叔父で “八雲のおじさん” が懐かしい。
7時半出発。 国道5号線に戻る。 走り始めて間もなく標識が函館80キロを教えてくれた。 出発して4日間、無事に200キロを走り切ったのは凄いと思うが、10キロ2時間なら10時間でも疲れなく走れることが判った。 それにしても、標識を見るたびに 函館が遥か彼方だったのが、今となっては標識の数字が少なくなるのが寂しい。
道は相変わらず一直線だが前方に小高い山が見えだしたので風景が変わるのが楽しみ。
HOKKAIDO15キロ付近で貴重な史跡に出会った。「日本最北の山越内関所」 1800年ごろ、すでに関所を置かなければならない程この北の島に幕府の目が及んでいたのはロシアの南進に備えるためだったのだろうか。 その当時、どうしてロシアの動静を察知したのだろうか? 北の果ての小さな寒村が既に国際社会の波に揉まれていたことは驚きだった。。それにしても、冬の寒さにどう対処したのだろう? 雪の怖さを知る身には一番に頭をよぎった。 海岸が砂浜から岩場が混じるようになり、それにつれて海岸線の緩やかな蛇行が新鮮に感じる。 振り返ると内浦湾(噴火湾)が大きく孤を描いて靄の中に消えている。
HOKKAIDO この対岸あたりがサミットの主会場洞爺湖だろう。サミットがなければあの対岸の海岸線を走った筈。洞爺湖ルートも大自然の中を走る魅力に遜色ないが、長万部で合流するまでの一日が既に海を見てのランなのでほぼ3日海沿いを走るその単調さに耐えられただろうか? とは言え、やはり 札幌~定山渓~中山峠~洞爺湖~豊浦~長万部 のルートは捨てがたい魅力がある。 走る機会があるだろうか。
海に岩場が多くなったためか小さな漁港が見られるようになり、ウインチを使って帆立て貝の収穫をする姿が見られる。のどかな海辺の景色である。
HOKKAIDO 道端で奇妙な埴輪の像を見つけた。 この付近から出土した 「壁のある家」 の埴輪 を記念して設置されたものである。
家を埴輪にすること自体が非常に珍しい中で「壁」を持つ家が当時すでに存在していたことが考古学的に非常に重要な発見であった…と説明文が刻まれていた。先住民のアイヌには埴輪の文化はないだろうから、これを作ったのは和人(本州人)だったのだろう。幕府が蝦夷地に進出する遥か昔にすでに和人が定住していたこと自体が驚きであった。 走っていればこそ出会える貴重な記念碑であった。

小さな岬を回ったところで突然前方に駒ケ岳の鋭角的な山容が目に飛び込んできた。
HOKKAIDO このシリーズは知床の山に始まり駒ケ岳で終わる。 ひたすら目指してきた待望の山が穏やかな海の向こうに特徴のある姿を現した。感動の一瞬だった。 しかし、ゴールはあの山の裏側、まだ60キロ先。
やがて石倉の町、ここは戦後間もなくの頃叔父(父の末弟)が国鉄の土木技師としてトンネルの掘削をしていたので、夏休み初めての一人旅で訪ねたところ。 従兄弟たちと目の前の海岸でほっき貝を焼いて食べたことなどを思い出しながら昔の官舎のあたりを探したけどすっかり変わり果てていた。
一直線だった道も平地が消えると共に僅かに蛇行するようになり景色にアクセントがついて気分が一新する。 海沿いの道が終わる森町の手前でまた興味深い標識に出会った。
HOKKAIDO 幕末の雄 榎本武揚が五稜郭で官軍を迎え撃つべく兵を上陸させた地 鷲ノ木の海岸である。 それにしても、何故もっと函館に近い海岸に上陸させなかったのだろ。
武揚は最後は黒田清隆率いる官軍に屈し囚われの身となったが、黒田が武揚の人物に惚れこんで死罪を免じ、後に北海道開拓の先陣を預けるという現代では考えられないような壮大な人的配置が北海道開拓の最初の一ページとなった。現代に当てはめると、自民党の総裁が共産党の党首の人柄に惚れこんで副総裁に抜擢した・・・黒田清隆の度量の大きさに比べ、現代の政治家のスケールのなんと小さなことよ!。

道中雑詠: 人知れぬ 北の浜辺の静けさに いにしえ人の 雄叫びを聞く

走る話が遠くなってしまった。先を急ごう。
長かった海との付き合いがようやく終わって森町に入る。久しぶりの大きな町、コンビニで水の補給。
HOKKAIDO今日の宿大沼公園まで21キロ、快晴、日差しが強い。去年の知床も同じ季節だったが、今日の日差しの強さはなんとなく南国的で強烈だ。赤銅色に日焼けした手足が頼もしい。 やがて 大沼道の駅。久しぶりに木陰で休息。 さくらの名所らしく古木が鬱蒼と茂って、その向こう遥かに太平洋が真っ青に輝いていた。 ここの天ぷらそばは美味かった。
再び緑の世界。 人間の影が見えなくなると何故かほっとする。 これまでの一人旅でも人恋しくはなっても、寂しさを感じることは一度もなかった。遥か彼方の寝床を目指してひたすら走り続けた緊張感が寂しさを感じる余裕を与えなかったのだろう。 街中のランは集中出来なくて疲れが溜まるばかり。
HOKKAIDO駒ケ岳がだいぶ近くなってきた。あの裾野が今日の宿。 さあ、もう少し。駒ケ岳は元は一つの山であったが、寛永17年(1640年)以来の重なる噴火により、山頂部が吹き飛び現在の山容になった。近づくにつれ、噴火の様相が見て取れるような荒あらしい山肌を夕日が真っ赤に照らし出していた。  小さな展望台でソフトクリームを舐めながら小休止。宿に確認の電話を入れたら、“ そこから もう直ぐだよ‥” との一言に元気百倍、 しかし、 あの もう直ぐだよ は車での話。行けども行けども・・・、5,6キロ走らされてやっと民宿ハイツにゴール。
HOKKAIDO気のいいご主人が10年来の知己のように迎えてくれて今日の長い一日を終えた。 今日は単調な海辺の道の合間に予期せぬ史実の数々に出会えて感慨深い一日だった。車や電車では絶対に出会えない走ればこその贈り物であった。
思えば、今日は74歳の最後の日。 大きな湯船に浸かって、今日の長さと、知床からの長さと、74年の長さをゆったりと思い起こして元気に付き合ってくれた足を揉みほぐしてやった。 夕食はご主人からビールの差し入れを頂き、相客の大勢からも激励やら差し入れやらで大いに盛り上がった誕生祝いになった。


【7月1日(火)】  快晴  走区: 大沼公園~函館 30キロ
さあ、最終日。今日から後期高齢者! こんな北の果てをうろうろしている自分が不思議に見えてしまうが、この日を生涯の特筆すべき記念日にしよう!。 宿の皆さんに激励されて7時半出発。 すでに日差しが強い。
HOKKAIDO間もなく 「函館30キロ」 の標識。 もう少しだ・・!と思う裏に あと30キロで終わってしまう・・! 強烈なショックだった。 あの道は夢を終わらせる道だったのか、あの一本道のように終わりのない道を走り続けたい・・・!
自転車と同じで、今止まったら倒れてしまいそう。

75歳には75歳の走り方があるはず。 我が身に相応したランの楽しみ方を見つけ出そう。
今日の30キロは連日の50キロに馴れた距離感には “ちょっとお隣まで・・” と云う感じで気持ちがすっかりリラックスしている。 この緊張感の緩みが意外な難敵になる。 気を引き締めていこう。
HOKKAIDO 大沼公園が近づくにつれ道筋の雰囲気が明るくなった。 前方に見えていた駒ケ岳がいつの間にか後ろに回って長い道を走ってきたことを教えてくれる。 突然視界が開けて大沼が目に飛び込んできた。
周辺が比較的平坦なので何となく大きな水たまりという感じで、これまで見慣れてきた湖という印象ではないのが面白い。これは駒ケ岳の噴火で川が堰きとめられた結果出来た水たまりで、丘陵地帯の頂上部分が小島となってたくさん見られる。
湖越しに見る山の姿はいかにも北海道らしいく雄大で、単独峰特有の裾野の広がりがひときわ美しい。 羊蹄山と共に北海道の代表的な自然美である。 昨日から画像の経時変化をみるようにこれほどの長い時間見つめて過ごした姿形は車や電車の一過性の観光客には想像もつかない画像としてしっかり保存されている。今日は時間の余裕があるので湖岸のベンチでゆっくり旅の終わりを残念がった。 道は緩やかに函館に続く平野部へ下っていく。7月の太陽に照らされて森の緑が強烈なコントラストを描いている。日頃見慣れている都会の木々がいかにも弱弱しく見えてしまう。彼らも大自然の中ではこれほどの力強さを見せてくれるのだろうか。

小さな峠から見下ろす函館の街はまだ遥かかなたの靄の中だった。いつの間にか緑の森が終わって人里の中に舞い降りてしまった。
HOKKAIDOついに 「函館20キロ」 の表示。 喜ぶべきか、悲しむべきか 走るという単純な動作ながら、その瞬間は確実に人の心 の一番奥でやりきれない葛藤を生み出しているように思えてならない。 複雑な思いを背負いながらも時間は確実にわが身をゴールに引き寄せて行く。 北海道横断700キロが残り僅か20キロ。 素直に考えて “これは凄いことだ!”ともう一人の自分が自分に言い聞かせている。 素直にゴールを喜ぼう!
HOKKAIDO 大野町で 「赤松街道」が始まる。 大沼国道の両側に見事な赤松の並木が延々17キロ続きその先端がゴールの函館駅である。 北海道で唯一幕末の乱世を知る函館にとっては往時を偲ぶ貴重な文化遺産である。 見事な老松が大きな木陰を作ってくれて気持ちがいい。 延々と続く涼しいラン。長い長い旅のおわりに神様がくれたご褒美だった。  この道筋を行くとゴールにつく。 残された距離を楽しく走り切ろう。 きれいな街並みの角のコーヒーショップで一休み。
このとき、古い友人の北川さんに電話をした。
彼は北大山岳部のOBで、日本縦断・北海道ステージで狩勝峠越えの難所からわがチームに参加してくれてエリモ岬まで付き合ってくれた山屋である。
HOKKAIDO 現在は新函館農協に勤務。 昼食の約束をして時間まで松並木を走る。 周りの風景がすっかり変って横断らしさがなくなり寂しい。街中のランは緊張感が切れて気持ちが散漫になるので信号に気を付ける。あのむせかえる様な緑の世界が懐かしい。
やがてお昼、北川さんが車で後から追いかけてきて6年ぶりの再会。往年の山男も身を固めてそれらしい風格になっていた。富良野の宿でビール片手に持参したスモークチキンを丸ごと食べていた豪快さはどうなったのだろう。 ご推薦のラーメン屋であれこれの昔話をして別れた。ゴールまであと8キロの標識、函館駅直進の矢印もみえる。 街中の8キロは田舎道の 20キロにも匹敵するほど長く感じる。
気を取り直して最後のランを続ける。ビルの日陰を選んでとぼとぼ走りになるが着実にゴールが近づいてくるのは嬉しい。
やがて五稜郭駅前を通過する。 歴史を偲ばせるそれらしい建物を想像していたが意外と平凡な建物でちょっとがっかりした。
HOKKAIDOさあ、残り3キロ。 ついに横断700キロのゴールが目の前にある。知床を出発して実走15日、一日平均46キロの持久走が間もなく終わる。 スタートした後はゴールの瞬間のことは夢想するだけで、その日 一日を走り切る事だけで精一杯であった。 その一日を消化するわずかな歩幅が遂に700キロ先まで繋がってあと残り3キロ。 気力と体力の双方がしっかり組み合ったとき初めてなしうることではないだろうか。 これまでもらった完走証が280枚ぐらい貯まって、もうタイムや順位の為に走るのは卒業しようと思った時から温めていた一人旅。 ちっぽけな一人が気力と体力のすべてを背負って何を何処まで出来るのか? 生きてきた証のためにもどうしても試してみなければならない生涯のテーマであった。

HOKKAIDO 2008.7.1  14:25
函館駅前 ゴール


後期高齢者の初日、 新しい余生への一歩目は 700キロを走り切ったこの足でしっかり踏み出した。

道中雑詠: わが夢を 叶えて遠き山川の 北の大地に 滲みる足跡

HOKKAIDO その夜、小野正勝さんに紹介された市内の「弁天寿司」でご主人の神田さんの歓待を受けて無事完走の祝杯をあげて頂いた。 相客の皆さんからもお祝の差し入れをいただき、長かった一人旅を無事終えた安堵感に心地よい酔いを楽しんだ。


【追記】
北海道生まれの自分としては、北海道の事はかなり知っていた積りでしたが、先日 本屋でふと目にとまった 「北海道の地名の謎と歴史を訪ねて」(合田一道著) を読んで北海道の歴史が慶長年間(1600年頃)まで遡ることを知った。幕末以降の歴史と思っていたのことがその先400年も前、既に松前藩が石狩川の鮭の漁獲管理をしていた。北海道縦断、横断と見字通り縦横に走り回った自分の足元が、それほどの歴史に裏打ちされていることを知って汗顔の至りである。 道中記のなかで、間違った記述や表現があると思われることに対して、あらかじめお詫び申し上げます。それにしても、アイヌ民族の知性の高さに感服した一冊です。  推薦  2012. 4 Taku

ECHIGO
横浜中央走友会 山本 卓

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