TITLE

【奥の細道】を走る  松尾芭蕉の足跡を辿って  255Km  2009年

HOSOMITI

“ 鮎の子の しら魚送る 別れかな ”


HOSOMITI

第1ステージ   その2 幸手~小金井

期日:2009.4.23
走区:幸手~小金井
距離:40Km

細道の旅もいよいよ奥を目指す緊張した2回目を迎えた。連休に日光のゴールを目指すための繋ぎの区間ではあるが、距離は40キロ、単調な走りを覚悟してAM8:40 先回ゴールの幸手駅に着く。

HOSOMITI快晴の割には風が冷たく快適なラン日和である。今日一日の一人旅。 水、補給食を背って駅前の交番で道を確認、ついでに写真を撮ってもらって、さあスタート。 ちょうどAM9:00であった。

幸手市内の旧道も拡幅されて都市道となり、街道筋の名残はほとんど見られないが、それでも拡幅を免れた旧家と思しき建物が大きな木々に囲まれてひっそり奥まった所に見られたのは救いであった。 街道筋を走っていて気がついたことの一つは、家の造りであった。
HOSOMITI拡幅工事の移転補償で新築したのであろう立派な家が、先代が頑固に頑張っている家はかっての茅葺の屋根を瓦に変えただけの純日本風の建物であり、移転を契機に次代に財を譲った家は、あれこれの趣向を取り入れた現代風の建物に・・・。 憶測だろうか?
こんなことを考えながら街の両側を眺めながらのランを続けるのもマラニックの楽しみである。
やがて家並みが疎らになり旧道は国道4号線と交差、旧道は歩道となって国道の下を並行して続いていく。
HOSOMITI車道から離れてすっかり葉桜になった静かな歩道はすれ違う人もなく、初夏の太陽を遮って快適な走路であった。久しぶりの緑の中のラン。なんと快適なことか。 この道がゴール近くだったらこの辺で昼寝でもしたくなるだろうけど、この先が長い。先を急ごう。 右手に権現堂川が春の日を浴びてゆったりと流れている。川辺まで100m位。
国道と川に挟まれた綺麗な公園がつづいている。旧道と遊歩道に綺麗な桜並木を持っている贅沢な公園である。でも人影はない。 これが旧道?と心配になる様な細い道の脇に1里塚がひっそりと残っていてほっとする。 芭蕉が歩いた頃は一面茫漠たる葦の原であっただろう。その中にふと出会った1里塚は疲れた体の癒しになったのか、遥か彼方に続く恐怖の細道だったのか。
芭蕉の宿 間々田までまだ15キロある。

川の対岸にキューピーマヨネーズの近代的な工場がみえた。  公園の緑と水の青、その向こうに立つ銀色の貯留タンク、のんびり走っていた感覚の中に突然現代が飛び込んできた。 川幅は150mぐらい、利根川だとばかり思っていたのでびっくり。あわてて地図を見るとこの大河が細い線で描かれているだけ。 と云うことは、利根川の大きさは如何ばかりかと思いをめぐらせる。
HOSOMITI川風が心地いい。まだ濃緑になり切っていない初夏の色が快晴の空の下でその艶やかさを競っていた。いつの間にか公園を過ぎて道は再び国道下の細道になった。 道を尋ねるにも朝から歩行者に会っていないのに気がついた。方向は間違っていないのでそのまま進む。 やがて遥か上流に巨大な橋が見えた。利根川橋である。 しかしその距離はまだ3,4キロ。 ようやく見つけた土地の人に尋ねて栗橋の市内を経て橋に至る道を教わった。 久しぶりの緑の中のラン、気持ちよかった。
HOSOMITI菜の花の咲く土手、覆い被さる緑をかき分ける細い道。みな芭蕉が歩いた奥の細道である。この道はやがて長大な利根川橋の近くで土手に突き当たる。芭蕉は船頭の漕ぐ舟でのんびり川を渡ったのだろう。 旧道は土手に沿って栗橋の市内へ続く道となっている。 久しぶりに街並みに出た。 ここまでは道路標識もなく、土手に遮られた細道であったため、今自分がどこを走っているのか皆目判らなかった。 街中で栗橋であることを知る。なんとまだスタートしてから8キロしか走っていない。 国道造成の際に旧道の名残を悉く破壊してしまったのは残念である。かってはこの道はゆったり流れる川に沿った情緒豊かな光景であっただろう。  芭蕉にとって癒しの道であっただろうか。 対岸の銀色の貯槽がなければ、芭蕉が見たと同じ光景を320年後の自分が見ているであろうと思うと時間とは何だろうと思ってしまう。

栗橋も又かっての宿場町であった。 大きなビルもなく街全体がまだ芭蕉の頃に引き戻してくれそうな静かな町が続いている。 現代風が似合わない風情である。
HOSOMITI 川向うの古河まで10キロの標識。 橋に続く街中に僅かに残った古い民家やお寺が見られていかにも歴史を感じさせる。昔ながらの駄菓子屋さんが飴やら煎餅をガラスの大き瓶に入れて並べてあった。 子供の頃の店先と同じなのが懐かしい。 人影のない街をとぼとぼ走る自分は320年前にタイムスリップした老いた旅人そのものであった。 それにしても、往時は既に戦国時代を経てに民生は安定し、江戸市中の人口は120万人を超え、江戸の文化が栄華を誇っていた時代である。現代のような情報の伝達に距離感が無い時代と違い、芭蕉は川を越えて見聞きした江戸との落差を身にしみて感じたのではないだろうか。 茫漠たる葦原の小道をゆく芭蕉には落差の底が如何ばかりなのか不安を背負っての歩きだっただろう。 しかし、和歌の名所として知られる「白河の関」や「松島」「室の八嶋」など知識として知っているが、まだ見ぬ憧れの地を訪ねる大きな喜びのため、ひたすら北を目指したのだろう。
HOSOMITI 日本文学の研究者として著名なドナルド・キーンも「ヨーロッパ人の旅では、今まで一度も行ったことのない所にあこがれるが、日本人は何かのことで既に多くの事を知っている所への旅に憧れる」と書いているが、芭蕉はその原型であったかもしれない。
栗橋の市内は幹線の国道4号線から離れているので古い民家や、何かいわれのありそうな神社、お寺などまだ旧道の面影が残っている貴重な街筋であった。 急ぐ先がなければゆっくり住職の話などを聞きたいし、道端の雑貨屋のおじいさんに少しでも昔の話を聞けたらな~ と残念がりながら先へ進まなくてはならなかった。 このシリーズは寄り道 ランが主旨であるから、芭蕉に係るもの、歴史の証人の声をどれだけ沢山見聞出来るかが大きなテーマである。これまで通過してきた多くの宿場町に残っている古い話、酒を飲みながらゆっくり古老の話を聞く機会があればいいな~。

道はやがて利根川の土手にぶつかる。 威圧されるような頑強な土手はその向こう側のまだ見ぬ利根川への恐怖にも似た好奇心をかりたてる。 大きく迂回して道は突然土手の上に駈け登ってしまった。
HOSOMITIHOSOMITI眼前に広がる大河。利根川が初夏の陽を満面に受けて滔々と流れていた。 大きい、まさに大河である。
本州横断(新潟~東京)の際、沼田付近で見た利根川は、まだ岩を噛み泡を巻き上げる若い川であったが、今、目の前を流れる大河は、人の世のあれこれのしがらみを全て呑み込んで、何事もなかったように緩やかに流れる大人の風格である。
一歩を踏み出す。車道に沿った立派な歩道が有り難い。川幅は300mぐらい。橋の真ん中が茨城県と埼玉県の県境である。 猛烈な風、帽子を手に持って体をかがめて急ぐ。 “ 利根の川風 袂にうけて・・・” なんて云う流行歌があったけど、この風はそんな悠長なものではなかった。
長い橋で思い出した。  北海道横断 第2ステージ最終日 石狩月形~札幌46キロの途中で渡った新石狩大橋。橋の長さは1046m、前日からの大雨を巻き込んでその日の川幅は600m位。なんと、この橋には歩道が無かった! 欄干から4,50cmに引いてある白線が唯一の区分で、とても走れる幅ではないし、札幌に通じる最大の幹線のため物凄い交通量であった。
しかし対岸に渡るには此の橋しかない。 勇を奮って欄干にしがみついた。「蟹の横這い」 である。 リュックの数センチ後ろをダンプカーが唸りをあげて走去っていく。まさかこんな所に人間がいるなどとは夢にも思わず、突然気付いて慌ててハンドルを切っていく。この怖さ。 しかし、怖さはさらに倍加する場にぶち当たった。
HOSOMITI大雨の後で橋桁から濁流までの高さが3m位、横向きに歩くと顔は必然的に川に向いてしまう。 見えるものは目の下3mの渦を巻いて流れる濁流だけ。対岸までの長いこと! 蟹の歩みは永遠に辿りつかないのではないかと思うほどであった。 必死の思いで渡り切った時、雨の降る中、草むらに座り込んで信じられないような無事を喜んだ。
このシリーズ、初日、2日目とヒグマ騒動に巻き込まれての恐怖の旅であったが、この川越えの怖さに比べればヒグマは可愛いものと思えるほどであった。それにしても、この橋に至るまでの国道には立派な歩道がついていたのに、あの歩道は誰のためのものだったのだろう。2年前を思い出して今でも背筋が寒くなる。

話がとんだ横道にそれてしまった。 先を急ごう。
利根川を渡っていよいよ北関東に広がる広大な平たん地に入る。 左前方、遥か彼方に上州の山並みが幽かにみえ、右手には筑波山が独特の姿を晴れ渡った青空の中に浮かばせている。 のどかな光景である。
HOSOMITI 橋を渡って間もなく、旧道は左に折れて古河市内へと向かう。この左折に気付かず4号線を直進してしまった。 芭蕉はこの日光街道旧道に入って古河を目指した。昔は一本道だから間違えることは無かったであろうが、現代はしっかり地図を頭に入れておかなければ直ぐ間違う不便な時代である。特に、古河までの旧道7,8キロは途中ほとんど大きな町がないので、旧道の名残に沢山会えたであろうと思うと残念であった。 古河市内をバイパスしたため、国道4号線の単調な道を走ることになった。
HOSOMITIやがて道の脇に「東京から60キロ」の標識が立っている。 まだ60キロか~。小山まで17キロ。気を取り直して走り続ける。日差しは強いが風が冷たくて気持ちがいい。 左右に緑が多くなったのはうれしい。
古河駅への表示板を横目に単調な走りが続く。おなかがすいてきたけど市内を外れているのでそれらしい店が見当たらない。補助のウイダーゼリーで我慢。 古河を過ぎると旧日光街道は再び国道4号線となって北に向かう一本道である。
往時、果て知らぬ野の道を歩く芭蕉は “・・・舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎かふるものは、日々旅にして、旅を栖(すみか)とする
・・・”
 と人生流転の世界観を抱いていた。旅は日常であり、旅の宿が棲家である・・・。  日常に疲れたから旅に出る・・・、現代の旅とは、何時から相反してしまったのだろう。我々の先祖は獲物を求めて移動することが日常であった。芭蕉には古代への回帰DNAが受け継がれていたのだろうか。 一人旅の気楽さからあれこれに思いを馳せながらのランである。
やがて 野木町の標識が迎えてくれた。 ずいぶん昔、出張で何度か来た町であったが、街中の記憶が全くない。  HOSOMITI この町も「日光道中野木宿」として繁栄したが、今は古い神社やお寺が時々見られる以外は宿場町の名残をとどめるものはあまり見られない。しかし、 大きなビルなどがない街の様相は、かっての街道筋がそのまま拡幅で広まっただけで、この姿はやはり宿場町の名残その物かもしれない。歴史の末裔として静かに余生を過ごしているような町であった。
野木の外れで道はJR東北線に沿って北上する。

たんたんと続く一本道を行くと野木の外れで思わぬ発見があった。
HOSOMITI 堂々とした山門を控えた法音寺、疲れ休めに山門をくぐり、境内を散策しているとき図らずも芭蕉の碑を発見した。 これまで、芭蕉は春日部を出て壬生の「室の八嶋」までほとんど道中記を残しておらず、どの資料にも法音寺の句碑のことには触れていないので、この予期せぬ巡り合いは貴重なものであった。

  “ 道ばたの むくげは馬に 喰われけり ”

この句は “奥の細道”の道中に詠まれたものではなく、芭蕉が1684年(貞亨元年)上方への旅に出た時の道中記 “ 野ざらし紀行 ”の中に見られる句である。 この句碑は1780年(安永9年) 秋元某によって建てられたと記されている。
HOSOMITIなぜ、この句碑が法音寺の境内にあるのか定かではないが、 芭蕉逝って100年、俳聖に繋がる門下生達が, 道中記の空白を埋めるべくこの地を選んで建立したのではないだろうか。  芭蕉の句を辿っている身には偶然にも貴重な出会いであった。 さあ、先を急ごう。
久し振りの芭蕉との出会いで、この企画の持つ付加価値を見つけて大いに士気を高めたひと時であった。道はやがて小山市間々田に入る。ここは芭蕉の二日目の宿であった。 粕壁(春日部)を出て37キロ、健脚である。
平坦な道が続くなかに東京から75キロの標識がたっている。 道の脇に「小山宿通り」の標識が立っている。この辺りがかっての宿場の中心で本陣、脇本陣などで賑わったのだろう、今はその名残も見えない。
HOSOMITI家並みが込んできて、小山の市内に入った。  久しぶりの大きな町で、高層ビルさえ見えて “細道” のイメージが薄らいでいくのが寂しい。
この道中、ほとんど家並みが途絶えることがないため、期待していた野の道の のんびりランを味わう楽しみがなかったような気がする。
細道は緑に埋もれているのがいい。
そして愕然、久し振りに出会った歩道を歩く人に追いつかないわが走り。傾きかけた太陽を背中に受けての とぼとぼ走り、今日の目的地小金井まであと8キロ。

JR小山駅を右に見て久しぶりの信号を渡る。 考えてみれば、この道中沢山の信号を渡った筈なのに、ほとんど記憶にない。 自分の中では、この道中は320年前の信号のない野の道を歩く芭蕉になり切っていたのかもしれない。 疲れた体には赤から青に変わって第一歩を踏み出すのは勇気がいる。信号は無慈悲にも苦痛の世界に押し出そうとする文明の凶器にも見える。
街を外れて再び一本道になる。 北海道の一本道は目に入る人家もない文字通りの大自然の中の癒しの道であったが、今は自然を感ずるものの何もない無機質な空間が続くばかりである。
芭蕉はどんな思いでこの道を歩いたのだろう。

“ ・・・痩骨の肩に掛れる物先ずくるしむ。唯身すがらにと出で立ち侍るを、紙子一衣は夜を防ぎ、ゆかた、雨具、墨・筆のたぐい、あるはさりがたき花向けなどしたるは、流石に打ち捨てがたく、路頭の煩ひとなれるこそ、わりなけれ・・・” 

流石の芭蕉も、花向けに渡された数々品を道端に捨てるわけにもいかず、肩に食い込む重さに耐えながらの旅だったのだろうか。

HOSOMITI 芭蕉は小山の町筋を過ぎて間もなく、喜沢から壬生道に入り、次の目的地「室の八嶋」を目指したが、今日のランはJR小金井駅を終点としてあるため、喜沢 の分岐点を左に分けて北進した。「室の八嶋」は次回の行程で訪ねよう。
道端に“東京より85キロ” の標識が立っている。
遥けくも来し哉。 太陽が深く傾き自分の影が道を横切って伸びている。下野市の標識とともに、大きな街並みに入った。

HOSOMITI午後4時40分 JR小金井駅にゴール! 距離40キロ。今日も長い一日だった。 灰色のアスファルトに馴れた目には道端に咲く花の紫が何にものにも替えがたい癒しの色であった。終わった~!

HOSOMITI


HOSOMITI
横浜中央走友会 山本 卓


BACK


HOME