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【奥の細道】を走る  松尾芭蕉の足跡を辿って  255Km  2009年

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“ かさね とは 八重撫子の名なるべし ”  曾良 


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第2ステージ   その3 黒磯~芦野~白河
  期日:2009.9.10
  走区:黒磯~芦野~白河
  距離:40Km

今朝も快晴、6時半体調チェックに外に出る。 公園の朝野球を見ながらストレッチ。 体調はバッチリ。朝食をしっかり食べて、頼んでおいたおにぎりを受け取って準備完了。 8:00amスタート。 人通りのない34号線を奥州街道との交差点 鍋掛 を目指す。
2,3キロ付近で朝食の際隣のテーブルだったご夫妻がwalking styleで前を歩いているのに追いついた。東京の人。 やはり芭蕉を追いかけていると云う。 奥州街道を芦野に出て夕方には白河に着きたい とのこと。 どっちが早いだろう。


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芦野へ 那珂川を渡る 鮎の故郷
鍋掛 の交差点を左折して奥州街道を北に向かう。やがて、那珂川に架かる昭明橋を渡ってT字路を右折。奥州街道と別れて60号線を 沓掛 に向かう。ご夫妻はここを左折した筈。 向こうの道の方が古いものに出会いそうな気がする。右折は失敗かな~!。道は294号への抜け道で、日中でもあまり車の通らないような山道になった。少々心細いが、その分だけ文字通り「奥の細道」であった。 緩やかな登りが続く。
那珂川が大分低くなって釣り人が点々と見える。鬱蒼とした杉林が続き、突然歩道が終わってしまった。のんびりの独りランが一転して緊張ランに変わった。
曲がりくねって見通しの悪い山道が続く。緊張しながらも何故か楽しい.体力は十分、快晴、気温も快適。心配の種が何もないからか。正にrunning high。周りに動くものが何もない世界で、自分だけが動いていると速さの感覚が覚束ない。 キロ8分? 急いで走るのが勿体ない。山を下ればまた車と並走、今は自然のなかに埋没する貴重なひと時である。路傍の石仏に見送られて独り野の道を行く。
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伊王野へ 歩道が無くなった 路傍の石仏
世の中、何が幸せをもたらすか判らない。宿がなくて止む無く黒磯に泊まったお陰で、今日は絵に描いたような綺麗な里山の中を走ることになった。 そのまま終わりのない緑の中を走っていると、…自分は今何をしているんだろう? と思ってしまう。
動くものがなく、音も聞こえず、唯、自分の足音だけの世界。 30キロ先にゴールがあることなど全く意になく、唯 静かな里の道に歩を刻む。正に、“天国に遊ぶが如く・・・ ”。
現代の車社会では遥か離れた点と点を結ぶ線を旅とすれば、走り旅は隣り合った点と点の連続で、濃度の濃い線の旅である。 時間の約束がなければ野宿でもして気の済むまで寝転がっていたい。
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里山の道 木漏れ日の道 野の道
一人旅に思わぬお土産が待っていた。道端の栗の木から弾けた卵程もある大きな栗の実が道一杯に落ちていた。 地元の人たちにとっては珍しくもないのか、拾われた気配がない。嬉々として拾い集めてザックの隙間に詰め込んだ。 ランは三文の得! ずっしりと嬉しい重さだった。 北海道ランでもメロンやトマトを背負わされたのを思い出した。 人との触れ合い、自然との触れ合い、走り旅の醍醐味をしみじみ味わう。
木漏れ日の道を抜けると快晴の太陽に照らされた金色の稲穂の海にでた。
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里の道 静寂 里山
それにしても、この道に入ってからまだ人にも車にも会っていない。 何か間違ったことをしてしまったかな?と不安になる。 本当に、この道は白河に続いているのだろうか。まだ見ぬ先に不安は付き物、一人旅の宿命。 不安と楽しさの入り混じった複雑な思いである。 まあ、日本語が通じるだけいいか。 この道はこれまでで一番きれいな里山の道である。 このまま終わりたくない…と思いながら走り続けてしまうのが悔しい。地元の人たちの思いと裏腹に都会人のご都合ぶりを反省すること大。
風景が少しづつ変わって、やがて人里が近くなった。現実に引き戻されのが辛い。 遥か彼方に車が頻繁に通る道がみえる。294号線か。 山を降りたくない・・・!
ようやく、谷戸の平坦な処に出た。 ここでまたすごい物に出会った。「平成10年8月豪雨。 被災水位」 大きな石碑の1mぐらいの高さに豪雨の水位を示すレベルが記されている。 説明によれば、近くを流れる黒川が氾濫して、「一夜にして広大な泥水の湖が出現した」 と云う。 今、豊かに稔っている稲穂も、その時は濁流に呑みこまれて丹精込めて育てた農家を奈落の底に突き落としたのだろう。
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災害水位 泥水の湖? 孤立した家
水位を示す白線に目線を合わせて遠くを見たが、目線より上にあるのは周りの山だけであった。 凄かっただろうな~。 ようやく山を下りて294号線に合流した。久し振りに大きな道である。 294号線は旧陸羽街道に沿って直線的に造成されているので、本当の旧道は294に出たり入ったりで北に向かっている。 道沿いの距離表示は 「芦野」まで6キロを示している。 芦野 も今回の楽しみな処である。
やがて 道の駅「東山道 伊王野」。 考えてみたら、今朝から町らしい処は全くなく、人に会った記憶もない。久し振りの人里である。 突然の人の中に出て何故か挙動が覚束ない。 何時間も声を出していないので、声の音程が狂って調子はずれの会話になってしまう。 Tシャッツの「横浜」を見ても、まさか走ってきたとは思わないのか、最初は誰も意に介さない風であったが、お団子を焼いてる小母さんが気がついて、走ってきたことが周辺に伝わってしまった。 途端に大勢の視線を浴びることになって、あれこれの話に盛り上がってしまった。
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続く道 義経の伝説 道も駅 伊王野
いつまでも油を売ってる訳にも行かず、お団子を食べ、飲み物の補給を済ませ大勢の声援を受けてまた国道に飛び出した。 確かに、車を基準に生活のパターンを構成している今の世の中では、ランパン姿が車に対応しているとは到底理解できないことだろう。 旅の濃度は断然高いと思うのだが・・・・。
奈良川に沿って 芦野 に続く道は快適だった。 杉の緑と黄金の稲穂が絶妙なコントラストを描いて、東北は秋の真っただ中である。
やがて、芦野の近くで奥州街道が陸羽街道に合流する。黒羽を後にした芭蕉は、奥州街道・鍋掛から那須温泉の近くの「那須殺生石」を訪ねている。その途中、高久家に2,3日滞在し。再び奥州街道に出て芦野で陸羽街道に合流した。
高久で詠んだ一句。

    “落ち来るや たかくの宿の ほとぎす     芭蕉”

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芦野家の墓跡 芦野氏陣屋裏門 名もなき一里塚
街道の合流地点に名も知れぬ一里塚が残っている。 街道の整備で塚は低くなっているが、老いた松が昔を偲ばせる。
    “彼岸花 松に寄り添う 一里塚    taku”

近くに、芦野家の墓跡が残っている。芦野家は那須一族の名門として万石の扱いを受けたといわれる。いかにも地方の豪族を偲ばれる重々しい石碑がひっそりと葉影に建っていた。やがて、旧道の入り口で 「芦野宿」 の標識を埋め込んだ常夜灯をかたどった石塔に迎えられた。 国道から別れた旧道は宿場の名残を沢山残す町並みへと続いているのが珍しい。 芦野宿 はかっては、旅籠が40軒もあった道中屈指のおおきな宿場で参勤交代で大いに賑わった処である。
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芦野宿 街並みの案内 記念館への道
当時の宿場の人口は男性より女性が遥かに多かった, と云う記録が残っている。女性だから稼げる宿場町の宿命か、何時の時代も女性の生命力は男性を上回っているのが世の常である。
芦野宿の常夜灯に導かれて旧道を市街地に入る。奈良川に沿った静かな街道が昔の名残をあちこちにとどめている。途中で出会った土地の人が芦野と深い結びつきを持つ古いお寺の話をしてくれたけど、突然のことなのであまりよく判らなかった。
面白い発見があった。宿場として栄えていた頃の商家の家業を表札として常夜灯に嵌めこんで各自の家の前に建ててあった。常夜灯を利用するのは近年のアイデアであろうが、思わぬ商売を見つけて気持ちが和むのが嬉しかった。
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うなぎ屋 唐傘屋 まんじゅう屋
「丁字屋」は代々続いた旅籠で、現在も街道 唯一軒の旅館であり、有名な鰻屋だそうである。その隣が「唐傘屋」、「伊豆屋」は饅頭屋である。 当時の宿場町では、旅人達にとって、どうしても必要なものが調達出来る機能が求められるので、宿場全体が今風のコンビニ的な機能を果たしていたのか、なんとなく微笑ましい思いがする。
「車大工」は大八車の修理、今風では自動車整備工場かな? 那須商店は酒屋さん。きき酒をどうぞ! とお上さんに誘われて、グラッと来たところをグッとこらえて通り過ぎた残念な一瞬。 「ほてい屋」は当時陣屋が置かれていたところ、今風では町役場、昔の郵便ポストが現役で働いていた。静かな街中はこのような屋号が何の違和感もなく溶け込んでいて、その昔の風情を今に引き継いでいる姿は驚きと共に、日本人の心に触れた思いがする。
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車修理工場 酒屋 陣屋跡
ヨーロッパの石の文化と日本の木の文化、建物に見られる触感の差が長い歴史の後にもその国の個性を損なわずに表している。
石の持つ「硬さと冷たさ」に対し、木の持つ「柔らかさと温かさ」は日本人の「わび、さび」 につながる穏やかな個性の母体になっているような気がする。
「多可良屋」、「上州屋」は職業が判らなかった。町の一番外れに「屋根屋」の屋号、街道筋の屋根の修理を一手に引き受けて大忙しだったのだろうか、大きな敷地が往時をしのばせる。 昔の屋号が今に生きている貴重な街並みを見て、ふと思い出した。
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・・・?屋 ・・・?屋 屋根屋
‘03年9月 日本縦断駅伝・東北第2ステージ、宮城県・古川~茨城県・水街道を走った時、予定の国道4号線の交通量を避けて、白河で急遽国道294号に変更した。今、自分が走っている道である。国道4号線の交通量は「のんびり縦断」の世界ではなかったので、ルート変更は正解だった。あの時、北から下ってきた道を6年後の今、北に向かって一人旅をしている自分がいる。みちのくの里山の道を「南行き、北行き」 と二度も、しかも走って通ると云う奇偶か幸運か。 あの時、走友・田川さんが “屋号が表札になってる・・・!” と驚いていたのが懐かしい。あの町が芦野だったのか!。
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遊行柳遠景 遊行柳 柳の古木
芦野の街並みを外れた近くに 遊行上人 ゆかりの「遊行柳」の史跡がある。
西行法師が奥州を旅した時、「道のべに清水ながるる柳かげ しばしとてこそ立ちとまりつれ」 と詠んで遊行上人を偲び、芭蕉はその西行法師を偲び、今、自分はその芭蕉を偲んで遥かな道を汗とともに辿りついた。柳の古木の下で汗を拭きつつ、人の世の輪廻を思うひと時であった。

   “田一枚 植えて立ち去る 柳かな       芭蕉”

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田一枚・・・ 念願成就
遊行柳 の写真を撮っていた時、突然カメラに異常が出て撮影不能になってしまった。 一瞬茫然! まだこれから先いろいろ撮りたい処がある筈なのに・・・。
さあ、どうしよう! 咄嗟に思いついたのは、先ほどまで柳の下に居た埼玉から来たおばさま3人連れが駐車場向かって歩いていたので、大急ぎで追いついて「カメラが不調で写真が撮れてないかもしれないので、申し訳ないが皆さんの撮った写真を一枚私宛てに送ってもらえないだろうか?・・」と云う主旨の哀願をして住所のメモを渡して別れた。快く引き受けてくれたが不安も残り我が身の不運を悔やんだ。
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峠への道 白河 12キロ 泉田の一里塚
うまくいけば証拠の写真が手に入ることで取りあえず一安心、と残りの20キロに戻った。 道は栃木と福島の県境の峠 「境の明神」 に向かって次第に登っていく。
カメラのことが無念で足も重くなった。 単調な道をとぼとぼ走っている時、突然 ハタッ と気がついた!。 携帯のカメラを! そうです! 携帯にカメラが着いてることをすっかり忘れていた。 さあ、どうしよう? よ~し戻ろう! 遊行柳の史跡からまだ4,5キロ来ただけだろう。そうと決めた後は今来た道を走りに走った。
なんと、それまでの走りが嘘みたいに会心の走りであった。 携帯の写真は余り経験がないが、背に腹は代えられず、大急ぎでバシャバシャと撮りまくって、また今来た道を峠を目指して走りに走った。何んとも、壮絶な道中であった。 峠までは10キロ、奈良川に沿っての登り道、294号を挟んで旧道が出入りする山道が続く。先ほどの遊行柳の往復で流石に足が重い。
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白河の関 表示 きつい登り 癒しの花園
途中、「寄居」 の集落で旧奥州街道を古い地図に従って辿っているハイカーに出会った。 彼は綿密に調べた地図を相手に、小さな旧道を克明に辿っていた。夕方までには白河に着く予定とのこと。折角だから、しばらく脇道を一緒に歩いた。久し振りに話し相手が嬉しい。 大宮の中学の先生で旧街道を歩くのが大好きとのこと。
何処にも多趣味の人がいるもの。 午後の日差しはまだ強く、途中川原に降りて顔を洗い、タオルを濡らして後頭部を冷やす。気持ちがいい。
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境の明神 境の明神 由来
寄居 の町外れに 「白河の関跡」 と云う矢印の表示が建っていた。 多くの場合、関所は峠の国境に設けられていたので、芭蕉が訪れたのは 明神峠 にあったとされる古関であったが、この「白河の関」は古く奈良時代に設置されたが、江戸時代には既に閉じられていたので、芭蕉は古い言い伝えを聞くだけだったのだろう。
現在地図上で示されている 「白河の関跡」は国道294から4,5キロ離れた旧東山道 にある。路傍の標識はこの関跡を示すものであった。芭蕉は明神峠の関跡から更に東山道に残っている関跡も訪ねている。
「境の明神」は下野(しもつけ)と奥州の国境に峠を挟んで双方に神社が祀られている。 芭蕉は4月26日、出発してから丁度ひと月でこの神社に詣でている。
神社が双方にあることから、関所も二か所に設けられたことが、現在 大相撲の 「二所の関部屋」 として由来をとどめている。峠を越えるといよいよ目的地の白河である。 もう登らなくてもいい・・・、何という心地いい響きだろう。 峠を越えるたびにいつも思う、“…峠の向こうはどんな世界だろう・・・?” 遥か遠くに白河の街並みが午後の日を受けて霞んでいる。
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峠の頂き 二所の関記念館 思わぬ出会い
さあ、後10キロ、峠の頂きには左右に史跡が沢山残っているため、国道の拡幅が出来ずこの辺りは片側一車線になってしまう。 間もなく小高い処に 「白河二所の関跡記念館」が見える。 面白そうだが時間がない、後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎた。一気に峠を下った処で給水休憩。
道のわきの石に腰を下ろして、ふと 見ると何んと 「おくのほそみち」 と彫られた古い石碑が草むらに建っていた。びっくりと同時に、何か旧友に会ったような懐かしさがこみあげてきた。 この道中ひたすら芭蕉、芭蕉、・・・と唱えてきたことの最後の贈り物に思えた。
家並みも混んできて長かった旅も終りが近くなってきた。
終わりたくない・・・と思いつつも、新白河駅左折 の表示に何故かホットする。

午後5時、芭蕉の像に迎えられて 新白河駅 にゴール。  終わった・・・!

HOSOMITI 今回のルートは芭蕉の足跡を辿る者には一番充実した旅を演出してくれた。幹線とは言え、みちのくの道は、まだまだ往時の面影を随所に留めてくれているので走り旅の永年の夢をしっかり叶えて呉れた嬉しい一人旅であった。ビールを沢山買い込み宇都宮発湘南新宿ラインに乗り換え、長かったあれこれを思い起こしながら10時帰宅。   お疲れ様。


“ 心もとなき 日数重ぬるままに 白河の関にかかりて旅ごころ定まりぬ …   芭蕉“   




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横浜中央走友会 山本 卓


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