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終わりに


振り返って

長い間走り続けて流した汗の量も、紙面に滲ませれば僅か2,300ページに 収まってしまった。諸行無情と言うべきか。思い起こせば、その夜の宿の灯りに曳かれて、人里離れた夕暮れの峠道を独り走っているのはまさに現代の修行僧ではなかっただろうか。遠い祖先が生きるために獲物を追いかけ、又外敵から逃れるため本能的に身に付けた「走る」と言う動作がランニングと名を替えて現代に引き継がれている中に身を置き、時にはヒグマの影に怯えて「生と死」の狭間を体験した私の60年のランニング人生を静かに振り返ることが出来る今は最も幸せな時間である。あの孤独と疲労の責め苦に耐えて300回ものレースに駆り立てた「走り」の魔力とは一体何なのだろうか。もしかして、人間の持つサデイズムの本能が呼び起こされるのかもしれない。

これだけの長いラン人生を全う出来たのは、偏に「どれだけランが好きか!」と言うに尽きると思う。その好きな事を如何に長く続けるか? その為に、如何に体調を管理するか? これらの意識を日常の生活の中で体の芯に溶け込ませて負担を感じなく過ごせるようになることが至上の命であった。
「昨日の体調と今日の体調の違い」を掴むため全神経を体中に張り巡らせて 最初の100mを静かに試走するのが朝一番の仕事であった。体調の変化には極端に敏感になり、この長い期間中「走らないこと」はあっても、故障で「走れないこと」は交通事故 (’02) 以外は記憶にない。体調が悪くてレースを途中棄権したのは、筑波、青梅、サロマの3回だけであった。体調不備を感じたら「即休足」が全てに優先すること、休足を「どれだけ我慢できるか!」が「どれだけランを愛しているか!」の最良のバロメーターである。

ランニングに特効薬はない。正しい走法と正しい体つくりで得られた己の体でひたすら走り続けるほか近道はない。準備運動は文字通り走る為の体の準備である。これは、硬化している筋肉を解きほぐし、硬化した関節を馴化することであり、その結果として柔らかい弾力のある美しいランニングが生まれる。 準備運動で筋肉を作るため渾身の力で筋肉を緊張させているリーダーを見かけるが、これはボデービルを目指すなら妥当かもしれないが、ランナーを目指すには間違った準備運動である。これまで走り続けた間、筋肉を作る為の特別な訓練はしなかった。ランニングに求められる筋肉は走っている過程で体が要求する形に自然発生的に出来上がってくるもので、外からの力で作るものではない。私の場合は65歳を過ぎた辺りで漸く大腿四頭筋がランナーらしく出来あがって来た。 私のランニングの集大成として誇らしい筋肉の盛り上がりである。


今回の「記憶に残る足跡」を振り返ると数々の情景が走馬灯のように蘇ってくる。
中でも、強く思い出されるのは「日本縦断」で苦闘した「3大峠越え」である。
 ① 北海道・狩勝峠
 ② 中国山地・八幡高原
 ③ 九州 阿蘇山系・高森峠

何故かこの峠越えがいつも自分の走る順番になって悲運を嘆いたのを思い出す。 平地では誰かが伴走してくれるが、この峠越えだけは誰も付き合ってくれず独り黙々と登るだけであった。遥か頭上に見えるガードレールが絶望の墓標に見えた。しかし、その苦しみの後に迎えてくれる「峠の向こう側」の光景が疲れ果てた目に飛び込んで来た時の感動は全て自分だけのものであった。

「恐怖」を感じたのはどれも「北海道横断」の際の「ヒグマ騒動」であった。まさか現実のものとは思っていなかった。
 ① 温根湯温泉~石北峠 原生林の登り26キロ、麓の店先の身の丈 2.5mも或る巨大な剥製に身震
   いし、野生の鋭い視線を背中に感じながらの雨中の一人旅・・・!
        (北海道横断 第1st.5日目)
 ② 層雲峡~上川 スタートして5,6k、両側を100mを超す絶壁に挟まれた緩やかな下り道で
   「クマの落し物」に遭遇。前夜の豪雨に流されていないと言うことは・・・・!? 最寄りの人家
   まで・・と無我夢中で駆け下ったが、駆け込んだ人家は廃屋だった。
        (北海道横断 第2st。初日)
 ③ 旭川~カムイコタン 石狩川に沿った荒れた遊歩道。「クマ出没注意」の看板。引き返しても国道
   は高速道路、突っ走る他なし! と決めて3,4キロを夢中で駆けのぼる。途中、ヘビを踏みそうに
   なって三段跳び。“この道を独りで登って来たのはアンタが初めてだ!”と地元の人。
        (北海道横断 第2st. 2日目)

恐怖の体験と対極の大自然の美しさや、不思議な感覚を体感した事もこの長い道中での大きな喜びであった。忘れられない風景。
 ① 北の大地 稲穂峠から見た緩やかにうねる広大な山並みに消える道。
        (北海道横断、第3st.二日目)
 ② 玄界灘に沈む夕日 山陰のひなびた漁村から見た真っ赤な夕日。日本の原風景。
        (日本縦断・山陰 4日目)
 ③ 残雪の南アルプスと桜 鳳凰三山、甲斐駒ケ岳の残雪と遅咲きの桜並木が続く甲州街道
        (日本縦断、中部 二日目)

ウルトラ・ランは体力10%、精神力90%の世界である。あらゆる事態にも独りで、正確に対応しないと完全犯罪的にこの世から忽然と消えてしまう事と背中あわせの苦行である。故に、一日の苦行を成し終えた夜の熱い風呂で一日のあれこれを振り返って漸く安堵するのである。風呂の後は心尽くしの夕食と当然の冷たいビール。この道中、随分沢山の夕食を頂いた。その中のベスト3。
 ① 知床・ウトロ 民宿石山 何処までが自分の領域なのかが判らない程のテーブル一杯の海鮮料理の
   山。同走の二宮さんの幸せそうな顔が懐かしい。
        (北海道横断、第1st,スタート前夜)
 ② 妹背牛(もせうし)旅館 初日に続き二日目もカムイコタンのクマ騒動に心身共に疲労困憊の果て
   に辿り着いた町唯一軒の小さな宿屋。女将さん(おばあちゃん)がやっとの思いで用意してくれた本
   場の「ジンギスカン鍋」。相客一人とおばあちゃんの3人で囲んだジンギスカン程美味いものに会っ
   た事がない。
        (北海道横断。第2st. 二日目)
 ③ 西伊豆・松崎 民宿あさか 高嶋さんお手配の民宿、漁師兼業。 知床の民宿石山と双璧の豪華な
   海鮮料理。これ以上のものは無いだろうと 思う程一同大感激。
        (西伊豆を走る。初日。走友:高嶋、粂、橋本、寺沢)
昼間の苦行に耐えた夜のビールは一本1000円でも買ってしまうほど魅惑的である。走りきった安堵とビールが美味いと思える体調に感謝。

毎日50キロを越えるランを連日続けると、単調な動作の繰り返しに体が自然に順応して通常の意識感覚から外れた不思議な感覚を体験した。そのベスト3。
 ① 広大な大平原の中では、身長1.7mのわが身の目線の高さでは、立体像が形成出来ず、世の中が平
   面でしかないと感ずる。その為、距離感が掴めず道の先の民家までの距離が何キロなのか全く読め
   ない。海水浴で海に浮かんで水平線を見る時と同じ。
        (北海道横断 第2st.3日目)
 ② 20数キロに及ぶ「真っ平ら、一直線」の道では、周りの風景(左海、 右松林)が、全く変わ
   らないので、走る速度の感覚が失われて一点に留まって足踏みをしているような錯覚に陥り、自分が
   ここで何をしているのか?さえ覚束なかった。
        (北海道横断 第3st.4日目)
 ③ 50キロを6日続けると、自分の走る速度が「世の中の動く速度の原点」となり、それ以上の速さ
   に対しては視覚が対応できず、最終日函館で乗ったちんちん電車の速さに視覚が追いつかず、身の縮
   む思いで座席にしがみついてしまった。
        (北海道横断3st.6日目、この日横断完走。前夜75歳)


陸上競技と言うスポーツは観客の側からは左程面白いものではないのか、年間TVに登場するのは全日本選手権と国体位だろうか。然らば、何故マラソンだけがシーズン中は毎週のように放送されるのだろうか。 それは、2時間以上もの長い時間、無意識にランナーの苦闘をわが身に置き換えて苦しみを共有し、勝負の厳しさにどっぷり身を沈めて感動するからであろう。
マラソンは不思議な力を持っている。その秘めた力が魅惑の根源でもある。 今、第何次かのランニング・ブームである。あの皇居の周回コースに溢れるランナー達は何を目指して走っているのだろうか。ブームに乗った一過性の俄かランナーでないことを願うのみである。今、レースに打ち込んでいるランナー達にも必ずレーサーの終わりが来る。その時、ランニング人生を終えるのも一つの形なら、そこからまた新しいランニングの世界を拓くのも一つの形。

ランナーにとっては、ウルトラ・マラソンは究極の目標であろうし、目標であって欲しい。その為には、10時間を超す苦闘に耐えられる精神力をしっかり鍛えなくてはならない。ウルトラのための練習も余程のチャンスがなければ50k以上は難しい。50kを何度経験しても、所詮後半の50kは未知の世界である。この未知の50kに敢然と挑戦する強い意志が必須の条件であり、フルマラソンを笑顔の余裕で走り切れる心の余裕があれば100kは走れる。
どんなに体調が良くても70kを過ぎると苦しくなる。そして止める理由をいろいろ考えるのもこの付近からであるが、残り30kがウルトラの一番美味しい処である。これを食べずしてウルトラを語るなかれ・・と言う思いである。しかし、若さの体力で早々にウルトラ・マラソンを走ってしまうと、その感動の深さに圧倒されて、フルもハーフもランニングの範疇から追いやられて魔性に捕りつかれてしまう。ならば、ウルトラ・マラソンは己のランニング人生の集大成として最後に挑戦すべき聖地ではないだろうか。


100mから100kmまで、60年間流し続けた汗はどれほどであっただろうか。
自分の生きる指針のどれ程多くをランニングから与えられたであろうか。

    ランニングはよき友であり、尊敬すべき師である。

2012.3

OWARI
横浜中央走友会 山本 卓

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