あれから 10年。 【山本 卓】

先日 当走友会創立40周年 の「横浜の風 記念号」を頂戴しました。

10年前、30周年の記念の年に幸運にも「日本縦断駅伝」を完走することが出来ました。
表題の「あれ」は「日本縦断駅伝」のことです。

“まだ10年か~!、”もう10年か~“あれからの10年、私の頭の中はいろいろなことが渦巻いています。

今 思い起こすと、あの時代に何故あのような大事業を成し遂げられたのだろうか? このことを解き明かすために、少し寄り道ですが、計画の経緯を書きます。私事ですが、その頃、冒険家の植村直己が南極大陸横断(3000k)を目指して、宗谷岬から佐多岬まで歩いた事が大きなnewsになりました。

このnewsに強い刺激を受けて、“よーし、彼が歩いたんなら、俺は走ってやろう!”と怖さも考えずに、仕事が一段落する2001年決行!と、あれこれの準備、調査をして、ほぼ目途がついたので、ある日曜コースの日に雑談的に誰かに話をしましたら、思いもかけず、“それ面白いから一緒に走りた~い!言う声が沸きあがってビックリしました。 まさか、こんな馬鹿げた挑戦に意を同じくする人がそんなに大勢いるとは夢にも思わず、我が独り旅の夢は消えて、「駅伝方式」で決行することになったものです。

今思うと、あの頃(僅か10年前)の走友会の中に 「日本を走って縦断する」と言うとんでもない発想に、老いも若きも「一緒にやろう!」 と熱い意気込みを共有した根底にある思いとは何だったのだろう? と不思議に思います。 

 あの企画以来、会の総意をあげて遂行するような大きな事業?をしていないので現在の会が持っている潜在的な姿、力量は判りませんが、あの当時「西の熊本走友会、東の横浜中央走友会」と言われた我が会の持つ伝統に支えられた会員諸氏の昂揚した意識の結集だったのではないだろうか と思います。

幸いにも、小林(義)さんと言うツアーコンダクターのプロが道中の宿、車などの諸手配を完璧に取り仕切ってくれたお陰で、5年に及ぶ長丁場を無事故、無違反、体調を崩した人皆無という快挙で終えることが出来ました。

’02. 7. 2. 北海道の最北端 宗谷岬を仲間13名でスタートして、’06. 5. 5 鹿児島県 佐多岬にゴール。3600kmの長旅を終えた岬の広場は24名の仲間の歓喜の声で埋まりました。 

この企画で得た最大の喜びは、道中「笑い」が絶えなかったことでした。

前を走るランナーの背中だけを見て終わってしまうレースでは考えられない心の豊かさを感じる走り旅でした。

車に乗れる人数の関係で、常時2,3人は走っていなければならなかったのは酷でしたが、ノルマ20k、サポート20kで一日40kが基本計画でした。

それさえ、皆嬉々として消化してくれました。入会ホヤホヤの古上さんが帰省中の大阪から急遽参加してくれて萩市の松蔭神社の境内で無事合流できたことを懐かしく思い出します。

あれから10年。 時勢の移り変わりと共に、「走ること」の解釈も変わっただろうと思いますが、「走ることが生き延びることの原点」であった頃に立ち返って、一度レースを忘れて「玄界灘に沈む夕陽」を眺めに行く企画を立てて見ては如何でしょうか? 人生観が変わりますよ。 「真夏の夜の夢」 かな?

                          2017. 8. 5 記  


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