ウルトラマラソンの世界

レースレポート 藤岡さんのページ


藤岡哲雄さん
サロマ湖100kmウルトラ10回完走!!
サロマンブルー達成!! おめでとう!!



サロマンブルー達成 

藤岡哲雄 

 

最近では、全国各地で開催されるウルトラマラソンレース。その草分け的な存在が「サロマ湖100kmウルトラマラソン」です。この大会で10回完走すると「サロマンブルーメンバー」の称号が与えられ、ブルーのナンバーカードで走ることができます。これまでに、既に262名のウルトラランナーが「サロマンブルーメンバー」です。

初めてサロマ湖100kmウルトラマラソンに出場したのが、今から12年前の1997年でした。その頃は、100kmマラソンを一緒に走ろうなんて走友もいなくて、一人ぼっちの挑戦でした。ペース配分も分からなくて、後半は歩きとスロージョグの繰り返しで、こんなに辛いマラソンがあるのだろうかと思いながら、必死の思いでゴールに辿り着きました。「お帰りなさい。お疲れ様。」と沿道から声援を受け、思わずウルウルと涙がこぼれそうになるくらいに感激したことを覚えています。初フルを完走したときの感激度とは比べものにならないくらいの大きな喜びでした。かくして、ウルトラマラソンに取り付かれてしまったのです。

それから12年、海外赴任中の期間を除いて、今回で11回目の参加です。昨年までに91敗。今年完走すれば、憧れのサロマンブルーメンバーになれるのです。

今年も山本稔さん、小沢さん、そして福岡から宮崎さんと新千歳空港にレース前日の土曜日朝9時に集合。レンタカーで受付会場のある湧別に向かいます。「卓さんがいないので寂しいねえ。」とみんなで話しながら、午後2時半頃に受付会場に到着。早速受け付けを済ませます。地元漁協サービスのホタテ焼きに舌鼓を打ちながら、前夜祭の始まるのを待ちます。4時に前夜祭開始。来賓の挨拶などに続いて、今年新たにサロマンブルーになったランナーの紹介がありました。「よし、来年は俺もあのステージに立つぞ。」と決意を新たにしました。美味しい地元料理にビール、ワイン、日本酒飲み放題。しかし、レース前夜ということもあり、ここは食べるのみで我慢。

満腹になったところで、宿へと向かいます。我々の定宿はレースコースの74km地点にある「道立常呂青少年自然の家」。なんと素泊まり1800円。信じられない安さです。夕食は、前夜祭や完走パーティーで済ませるので不要ですし、朝食はコンビニで調達したり、パーティーの余りをくすねてきたりします。チョー安上がりです。数年前はがらがらに空いていたのに、口コミで客が増えたようで今年は結構混んでいました。明日のレースに備えて、一風呂浴びて、8時過ぎには就寝しました。

レース当日、午前2時起床。思い思いに朝食を食べて、宿を3時出発。スタート地点に4時到着。レースのスタートは5時です。今年の参加者数は3,400名。毎年増えていきます。

天気は濃い霧が立ち込めて、気温は123℃。こういう日は、太陽が昇ってくると晴れて暑くなるのが常です。自分なりに20km地点当たりから太陽が顔を出し暑くなると予想しました。しかし、20kmを過ぎても、30kmを過ぎても濃い霧は晴れてきません。霧の中に広がる牧場に刈り取られてロール状に巻かれた牧草がいくつもランダムに並んでいます。パソコンの壁紙に設定したいような幻想的な風景です。

暑くなる前にできるだけ前に進もうと、予定よりも早い1km6分のペースで50km地点まで来てしまいました。フル通過時間は、4月に走った霞ヶ浦マラソンの記録よりもいいくらいです。いくらなんでもペースが速すぎます。案の定、その後はガタガタに崩れて1km7分もキープできなくなりました。しかし、上り坂でも歩くことなく、ゆっくりながら走り続けました。

55km地点にはレストステーションがあり、着替えや靴の履き替えができます。後半で寒くなるかもしれないので、ビニールのごみ袋を腰に挟んだだけで早々にコースに戻ります。

いつの間にか霧は晴れて、曇り空ながら視界がきくようになっていました。しかし、幸いに気温はほとんど上がらずに肌寒いくらいで、ときどき吐く息が白くなります。

74km地点のリゾートホテル前では、恒例のお汁粉のサービスがあります。多くのランナーがここのお汁粉を食べるまで頑張るんだと目標にしているところです。毎年、2杯目を御代わりするくらいに食欲旺盛なのですが、今年は胃の調子が悪く、5km毎のエイドステーションで飲んだり食べたりしたものが胃から下に下がっていかない気がします。それでも、意地で1杯食べました。食べられなくなると、ウルトラマラソンは走れません。

疲労も頂点に達する80km地点から、ワッカ原生花園に入ります。サロマ湖とオホーツク海を隔てる半島を8kmほど北西に向かって走り、折り返してきます。ここは、ハマナスやエゾスカシユリなどの花々がきれいな絶景ポイントですが、風が強く、気温の低いときは歩くと凍えてしまいます。しかも、走れば走るほどゴールから遠ざかっていくという精神的に一番辛いところです。

ワッカの折り返しを過ぎるとすぐに90kmの関門があります。ここまでくると歩いてもゴールできるという安心感と晴れ間も出てきて日差しが暖かく感じてきたこともあり、ついに歩き出だしてしまいました。1.5kmほど歩いたところで、気を取り直して再び超スロージョグで走り始めました。

結局、フィニッシュタイムは、11時間1537秒。セカンドベストでした。10回目のゴールは、どんなに感激するかと期待していたのですが、それほど大きくはありませんでした。いつものゴールと一緒で、小さなガッツポーズでテープを切りました。

来年からは、ブルーのナンバーカードで走ります。そして、新たな目標。それは20回完走者に与えられる「グランドブルーメンバー」。ゴールドのナンバーカードで走れます。あと10回、また気が遠くなるような年月の始まりです。


サロマンブルーとは、サロマ湖100kmウルトラマラソン・100kmの部を10回以上完走した方に与えられる称号です。サロマ湖に特別な思いをいだき、レースに参加。サロマのスペシャリストとも言えるサロマンブルーは、メンバーが毎年新たに加わり、ウルトラランナーが誇る称号として定着してきています。
サロマンブルーメンバーには多くの特典が付与されます。 例えばブルーのゼッケンやスタート前にはメンバー専用控室があり、前夜祭・完走パーティー会場では「サロマンブルーメンバーテーブル」が用意されます。 2008年6月時点で218名がサロマンブルーメンバー、藤岡さんもこの輝かしいウルトラランナーの称号をGetして来年からはブルーゼッケンでのサロマ登場となります。
本当におめでとうございます。




2004/10/17
第10回 四万十川ウルトラマラソン

中村市〜十和村〜西土佐村〜中村市の
四万十川清流沿いを駆け抜けるウルトラマラソン。


四万十川ウルトラ七転八倒記
伴 和幸・英子

2004年10月17日(日)いよいよその日がやってきた。伴妻にとっては2回目の、伴夫にとっては8回目の100キロ挑戦となる。(伴夫は75キロや80キロも数に入れてくれと嘆願したが、却下した。)伴妻としては、今回は、13時間を切ること、それが無理なら13時間半をきること、それもだめなら自己ベスト、最悪でも制限時間内(14時間)完走という余り高くない目標を立て、9月は雨の日も休日ランを続け挑んだ戦いであった。

 雨といえば今年は空梅雨、猛暑と続いたかと思ったら、台風の襲来に見舞われ、9月の教職員走友会練習会も、10月3日の東日本駅伝も大雨。四万十1週間前の9日、市立小中学校秋休みの初日にも台風22号が関東を直撃し、台風一過の青空もなく、ひたすら雨模様の毎日に、「当日もし雨が降ったら」の対策として100円レインコートを買い込み、ビニール袋を用意し、雨しか考えない事前準備を行っていた。しかし、予想は外れ、数日前からのYAHOO!(ヤッホーではない)のピンポイント天気予報は、高知快晴、最高気温27度を示す。ちょっと待ってよ、暑さ対策は考えてなかったよ、とぼやきながらの前日準備。急にお風呂のリモコンが壊れ、東京ガスの修理を頼んでいた都合上、スムーズな準備が進まず、結局押せ押せになる伴妻であった。

 16日(土)5時半はやや白み始めている。思いのほか、曇り空。羽田には京急の直通に飛び乗ることができ、順調に到着。空港バスに乗って遥か彼方の搭乗口まで連れて行かれる。案内時間どおりに乗り込むが、その後一向に出発する気配が見えない。定刻より大分遅れて走り出すも、しばらく走ると止まってしまう。機長のアナウンスは「当機の前に3機離陸を待っておりますので後5分ほどお待ち下さい」とのこと。飛行機も渋滞だ。見る見るうちに飛行機が飛び立っていく。当機の後ろにも、5機待っていた。すごいもんだ。ようやく飛び立ったが、眼下は雲に覆われていて、すぐに視界がぼやけてしまった。みなとみらいも富士山も見えやしない。

 あんなに遅れた割には、機長が焦ったためか、そんなに到着は遅れなかった。高知は快晴。空港から観光バスに乗って3時間ほどの行程である。バスガイドさんが高知の話をいろいろしてくれるが、聞いている人は余りいない様子。高知では田植えが3月下旬で刈り取りは7月中だという話や、紙漉きの技を教えてくれた人に恩をあだで返したという話などは面白かった。応仁の乱で負けた後醍醐天皇の何とかという人が高知に流罪になって小京都と呼んで懐かしがったとか何とか。良く覚えていない。しかし小京都という言い方をしきりにしていたのが印象的。海が見えると、塩害の被害がひどいという話。塩害がひどい、あるいは潮の被害がひどいであろう、と、揚げ足を取りながらも耳を傾ける。途中トイレ休憩で降り立ったレストハウスでは日中の暑さが身にしみる。時間はほぼ12時。スタート後、約6時間半に相当する。休憩は62キロで1回のみ。半袖にするか長袖にするか、思案のしどころ。「今年の完走率は低いだろう」との話を耳にする。60キロの選手を下ろし、そこから走ること約1時間。午後2時前に受け付け場所である、安並運動公園に到着する。ウルトラ気分十分である。受付を済ませ、地元小中学生の手作りの石の置物をもらって、会場を出るところで地元のラジオ局のインタビューを受けた。「ウルトラの魅力は?」の問いに、「充実感」とありきたりなことを答えてしまったが、今ならなんと答えるだろうか。循環バスでホテルへ向かう。ホテルはNTTの鉄塔の裏手。窓から四万十川にかかる赤い橋が見える。まずは明日の準備にかかる。あらかた準備ができたところで、ウェルカムパーティーまでにはまだ時間があるので、橋まで散歩することにする。市内地図を見ていた伴夫は、橋まで3キロはあるという。とりあえず行けるところまで行ってみようと出発。橋まで10分程度でつく。300mの見間違いでないの?この調子では先行き不安である。河原は広く、川のそばまで行くためには、かなり降りなければならない。急な土手を滑り降りる伴夫。「あそこに階段があるよ」という妻の言葉を聞きやしない。やや西に傾いた日差しを浴び、風に吹かれながら、しばし休息。のんびり戻ろうとしたところへ「あ、あそこに階段がある」と伴夫。何だっていうの?橋のそばに神社。祇園神社とある。にわか信者になって明日の完走を祈願する。ここでも伴夫は「これはお寺だ」と言い張る。鳥居があるのは神社でしょう。さて、先ほどの市内見所マップを見ると、幸徳秋水のお墓が近くにあるそうなので足を伸ばす。やや風邪気味で寒気を感じ始めていた伴夫。幸徳秋水って誰だっけ?うーん、小説家?はずれ、思想家で処刑されました。

 そんなこんなでウェルカムパーティー。まだ少し開会には早いので、会場をぐるっと回り、空いているベンチに座って待つことに。自動で開閉するアーケードのある商店街の中央通路にテーブルを並べ、たくさんの料理が並べられている。そこで目を引くのが鯖の姿寿司。だんだんランナーの姿が増えてくる。司会者が「後少しで開幕の始まりです」とわけのわからないことを言っている。そのうち不埒な奴らがテーブル上の缶ビールを空け、料理をつまみ始める。見かねた司会者が「まだ料理は我慢してください」とアナウンスするが聞く耳持たず。サッポロビール様ご提供の料理の数々は、乾杯の発声の前にはあらかた姿を消していた。ランナーってマナーが悪いなぁと思った。それでも、名物の青さ汁と生ビールをいただいて、のんびり過ごす。かなり体調が悪化してきた伴夫とともに、ホテルへ戻る。夕食はバイキング。軽く済ませて部屋へ。明日に備えて早めに就寝することに。

 午前215分。目覚し時計が鳴り響く。いよいよだ。3時に朝食会場へ。丸テーブルを相席で使用するため、ほかの人の会話が耳に入る。私達のテーブルは女性が多かったので、参考になった。峠の手前のトイレを逃すと後は降りるまでないとか、民家でトイレを貸してくれるところもあるが靴を脱がなければ成らなかったとか。みんな100キロを走るだけあって、強者揃いという感じ。特に女性が一人で来ているというのは相当の人だろうなと思う。夫婦で来ているが女性のほうが走るという人もいた。大体は、男性の応援に女性がというところか。

 予定通り、4時半の循環バスにうまく乗り込み、スタート会場である蕨岡中学校へ向かう。20分余り。沿道には篝火がたかれ幻想的な雰囲気。もちろん空はまだ真っ暗。最後のトイレを済ませ、荷物を預けてスタート地点に並ぶ。ゲートの大分手前から行列となりゲートをくぐるまでには数分のロスが予想される。篝火が暖かい。沿道の人にシャッターを押してもらう。5時半。カウントダウンもなく、いきなりスタートの小さいピストル音が鳴った。長い一日の始まりである。

 あたりは暗く、ライトが道路を照らしている。人の波に合わせてゆっくりと列は進む。思ったより早く、6時には夜が白み始める。だらだらの道が続く。今回の一番の難所は前半21キロにそびえる600mの峠。なんとなくのぼりかなと感じるがそれほどきつくはない。もうすぐか、もうすぐかとのぼりを意識してゆっくり進むので、ペースは上がらない。伴夫は早速トイレ。当然野外トイレである。まだ人の列はばらけず、離れると見つけられない恐れがあるため、「右側を行くから」が今回の合言葉となった。いつのまにか10キロ。あたりはすっかり明るい。エイドで給水し、さらに進む。木立の中はひんやりして涼しい。スタート時に来ていたビニールをずっと着続けたままだ。だんだんのぼりが険しくなってくる。でも考えたら、箱根の5区よりは緩やかではないか。眼下に見下ろす、上ってきたつづら折の道の眺めが心地よい。山の途中でトイレに並ぶ。男性の姿もちらほら。当然大であろう。時間がかかるな、とちょっとうんざり。ビニールの下のヤッケが汗でびしょびしょなことに気づく。そう言えばさっきから足にぽたぽたと水滴がかかってきていたっけ。でもまだ脱ごうという気にはならない。木陰が涼しく、今脱いだら汗が冷えて寒くなることが予想されるからだ。上り坂が嫌いで、暑いのが嫌いな伴妻が、歩くことなく峠を超えられたのは、木陰の涼しさのおかげだと思う。それでもとうとう山道にも太陽は昇り何度目かの給食を終え、日差しが感じられるようになってきたところでビニールを脱ぐ。峠直前のエイドで、まだ食べるという伴夫を残し「峠で待ってるから」と言い置いて走り出すとほどなく峠。なかなか来ない伴夫を足踏みして待つ。これでひとつ文字通りの峠を超えた。

次の目標は四万十川に出会うこと。箱根と違うのは箱根は峠まで来たら後少しで熱い温泉とおいしい食事が待っているが四万十川ウルトラはこれから80キロが続くこと。くだりの傾斜がのぼりと同じなので、予想通り足に響く。できるだけ負担をかけないように走るが、「かかとでブレーキをかけないように小走りに」なんて、すぐにできるようになるものではない。急激なくだりを終え、さらにだらだら続く下り道。35キロを過ぎたところで伴夫がアキレス腱に痛みを覚える。これはまずいかも、と思う伴妻。とにかく行けるところまで行くしかない。伴夫の目標は小さく、四万十川に出会えればそれでいい、などという。何を言うのだ。私はゴールをくぐるのだ。気温は徐々に上がってくるが、まだ日陰は続く。ありがたい。あるカーブに差し掛かる給水所で水を差し出してくれる人々の目の前でヤッケを脱ぎ出した伴妻。脱ぎ終わって振り返って、少し、道の端によければ良かったことに気づき、赤面。すでに思考がおかしくなっているらしい。トラックの荷台で「ここがはじめて四万十川に合うところ」とおばさんがシャッターを押してくれる。さぁ四万十だ。36.6キロが最初の関門。今回は関門が多い。フルの表示があり、「さぁここからがウルトラだ」と大きく一歩を踏み出す伴妻。そんな元気はないと伴夫。50キロまでの道のりが長い。朝から冷え防止のため、おなかに入れているホカロンはすでに汗でぐしょぬれ。おまけに何とかハウスという面白い宿泊施設の中のトイレを借りたときに粘着力がなくなっていたホカロンが落ちてしまった。ミニホカロンをウエストポーチにいれていたので、捨ててしまったが、これが大きな間違いだった。その宿泊施設は入り口を入ると畳のベッドが2台あり、そのままぐるぐると通路を進むとトタン張りのシャワールームとトイレが現れるというもの。入り口でかぎをかけなければトイレはカーテン仕切りのためしまらない。面白い体験だった。川沿いに1両編成の単線が走る。横浜駅ではひっきりなしに15両の電車が何本も走り、しかもほとんど満員なのに、とのどかな雰囲気に浸る。いたるところに白いユニフォームのヤッケを着た観察員が声援を送ってくれる。一つ一つに言葉を返す。まだ余裕がある。50キロを過ぎたところで、まだ足が動くことを喜ぶ。日差しがきつくなり始める。汗が流れ落ち、給水所で顔を洗っても、まだしょっぱい。山なりに続くカーブはどこまで言っても同じように続き、今となってはどこの風景だか、記憶があいまいである。給水所がキロ表示事ではないので、次のエイドに何があるのかもわからなくなってくる。60キロのマットを踏むと後少しでレストステーション。

レストステーションは62キロだ。今回レストで着替えを入れない予定の伴妻。少しでも体、特に足への負担を減らしたい一心である。大きな声でナンバーカードを読み上げている。荷物を用意してくれていることに気づいたのは、コールされたナンバーの着替え袋を持ち上げてくれている高校生の姿が見えたとき。伴夫はすぐに芝生に座り込み、シャツを着替え始めるが。伴妻には座り込む勇気はない。立ったまま、バンテリンやモビラートを足に擦り込み、ホカロンの入れ替えをする。本当はこういう休憩も取っていたくない。当初の予定タイムより大幅に遅れている。トイレによってレストを後にしたのは20分後だった。それでもまだ足は動く。

四万十名物の沈下橋は、四万十川増水時も橋が流されないように水面下に沈む造りになっている。つまり、手すりなどはなく、昔の丸木橋がコンクリートになったようなと表現すれば良いだろうか。幅は狭く、かなり長い。それを往復する。行く人と帰る人が2列で通行する。普段の状態ならなんということない橋なのだろうがこの状態の足ではいつふらふらと川のほうへ向かってしまうかわからない。おまけに轟々と流れる川を見ているとめまいがして吸い込まれてしまいそうである。それでも何とか橋を渡り、写真撮影も忘れない二人であった沿道のカメラマンらしき人が「写してあげようか」と声をかけてくれ、喜んで写してもらう。実はこの方、尾崎さんという方で、ボランティアでランナーを撮影してくれていたのであった。後日丁寧な手紙と一緒に、写真を送ってくださり、大感激!

距離表示のみが確実に進んでいることを示してくれる。実は伴夫は最初から今回の制限時間に引っかかることを予想していた。ペースが余りに遅く、最後の関門の通過が難しいことをこの時点で確実視していた。それに対して伴妻はさほどの危機感を持っていなかった。今までの関門はほぼ1時間の余裕を残して通過しており、足も動いているため、なんとかいけるだろうと楽観視していた。

75キロ地点でそれは起こった。前半の峠でのダメージが思ったより早く出始めたようだ。右足のひざに電気が走るような感覚があり、今までのペースで行けなくなった。これ以上この速さで進むとカクンとひざが折れそうな感じ。野外トイレを済ませて追いついてきた伴夫に歩きを申し入れる。それから歩きと走りを使い分けながらの長い長い旅が始まった。歩くことによって起こる足への負担や、それまで我慢できていた痛みの増大が起こってくる。左足の甲の痛みはまだ我慢できるとしても、右足の靴下の足首のゴムの痛みにはこれ以上耐えられそうになかった。このレースのために新しく購入し、何度かためし履きもした上で最後まで履きとおそうとしていたこの靴下には落とし穴があった。思っていたよりゴムが強く、むくみ始めた足首に柔軟に対応してくれなかったのだ。何度か位置をずらしたりして対処したが、もう限界に近い。痛みを訴える伴妻に、伴夫は「はさみ持ってないの?切っちゃえば」大体ウルトラマラソンにはさみなんか持って出場するやつがどこにいるんだ。いくら用意のいい伴妻でもそんなもん、もってないわい。とうとう、靴下を脱ぎ、裸足でシューズを履くことにする。少し前に裸足で靴を持って歩いているランナーがいたが、これに近かったのかな。靴擦れも心配だったが、もうそんなことは言っていられない。脱ぐと何とか痛みは我慢でき、前に進むことができた。歩きのペースも順調で、正確に時を刻んでいく。給水所でもストレッチの時間をカットし、歩きながら飲み食いするようにしていたことはかなりの時間短縮につながるはず。これまで何度も同じランナーを抜いていた。給水にかける時間が長かったためだ。今度は逆に何度も同じランナーに抜かれる。

すっかり日は落ちた。これからはどんどん夕闇が広がっていくだろう。道端に監察員の車のヘッドライトがつき始めた。ありがたい。上弦の三日月が天空に浮かぶ。そろそろ道のでこぼこも見えにくい。86.6キロの関門を余裕で過ぎる。94キロでも余裕があるだろう。歩きが主になってきていたが、走りに近い速度に変える。「何でそんなに歩くの速いの?競歩をやれば?」とのんきな伴夫。走りたいのに走れないんだよ。腕を大きく振り、できるだけ前に進む努力をする。94キロの関門通過。残りは1時間11分。ゴールを確信する。95キロから最後のきついのぼりになるというが、傾斜を感じない。観察員の人に「どこから上りか」尋ねると、もうすでに上っているとのこと。このくらいならペースを落とさずに行けそう。山道なので、突然右側が崩れていたりして、危なっかしい。

山を下りて人里に出る。篝火がたかれている。もう少し、と思うがここからが長い。人々の声援は私たちに走ることを要求しているが若干下りのここで下手に走ると故障して進めなくなる。ぐっとこらえて、速歩を続ける。途中でもらった山道用の蛍光ライトをほしがっている子供たちがいたので渡すと奪い合いになる。団地の中を抜け、ゴールの中村高校の裏手に出た。いきなり両側に並ぶ人から紙ふぶき。胸にぐっと込み上げるものがある。校門を入り、ここからゴールの校庭まであと数百メートル。二人で走り始めた。時計は制限時間まで後15分を示している。突然ライトで目の前が明るくなり、大勢の歓声に迎えられる。最後の一歩一歩を踏みしめるように走る。ゴール直前でゴールテープが張られるのを待って二人でゴール。長い一日が終わった。

おまけ

 伴夫は、自分のペースで11時間半でゴールしても、伴妻のペースで14時間かかっても、同じように体温調節不全を起こして倒れてしまう。今回も例に漏れず、ホテルで布団をかぶってがたがた震えている。その横で痛む足を引きずりながらもお世話をしつつ、ビールをぐびぐび飲んでいる伴妻とは対照的なのであった。

おまけ2

 帰宅後すぐに台風23号が接近。四国を縦断した様子を見て、今回お世話になった皆さんの無事を祈らずにいられない。

まとめ

 私にとって、走るということは非日常的な出来事です。非日常的な空間・時間の流れ(量的にも質的にも)の中で生きることが次の日常での自分を支えてくれているのではないかと最近思います。もともと走るのが大嫌いだった私が、こうしてウルトラを走ることができたのは、皆さんのおかげです。最後までいっしょに走ってくれた伴夫、ありがとう。給水や監察やその他ボランティアで応援してくれた皆さん本当にありがとう。そしてこの手記を読んでくださった皆さん、どうもありがとう。

(文責 伴妻)


2004/10/17
第10回四万十ウルトラマラソン
伴さんご夫妻、お疲れ様でした
氏   名 タイム 総合順位 種目別順位 個 別 種 目
橋本 玲子 13:39:37 98/124 32/41 100K女40歳代
伴 和幸 13:48:33 837/928 244/271 100K男40歳代
伴 英子 13:48:33 110/124 38/41 100K女40歳代


2004/4/4
鶴沼100kmウルトラマラソン
鶴沼100kmウルトラマラソン
(夢の10時間台にてゴール…やったー)

横浜中央走友会/橋本玲子

昨年のサロマ湖100kmで出した自己ベストの11時間41分を大幅に上回る夢の10時間台にてゴールする事が出来ました。
記録:10時間54分11秒
がんばれば出来るんだ!という自信がほんの少し持てたような、そんな気がする100kmでした。
でも、もしかしたら本当の理由は…前日私を襲った計り知れない食欲のせいかもしれません。
昼食:肉じゃがコロッケ弁当、ブロッコリーサラダ。
2時:アイスティー、ブルーベリーチーズケーキ。
4時:コロッケパン1個
夕食:カツ丼、スープ、八宝菜(2/3人前)
   ジャンボギョーザ、ジャンボシュウマイ各1ケ
前日に摂取したこれだけのカロリーがスタミナとなり約11時間の間足を動かし続けてくれたのかもしれません。 多分そうです。

4月4日(日)雨
午前5時、霧雨が降り、凍えるような寒さの中スタートしました。
1周5.2kmの周回コースを19周と1.2km
さて、どこまで張り詰めた気持ちを持ち続ける事が出来るのか…?
いつもなら前半は抑え気味に行くのですが、寒さのせいかペースがあがってしまう、気持ちとは反対に足だけが先行してしまう、そんな感じでした。
10km通過タイム・・1時間0002秒。
少しペースが速いかもしれない、最初からこんなペースでは後半必ずばててしまう。
ペースを落とさなくては、と思うものの足が言う事を聞かない状態。
あああ…どうしよう、とパニック状態。
それでも足は快調に前へ前へと進んで行ってしまう。こうなったら勝負!行ける所まで行ってみよう!と半分捨て身状態。
がしかし…そんな戦闘モードも長くは続きませんでした。
8周を走り終えた頃から、なんだか弱気モード。
寒いよー。早く暖かいお風呂に入りたいよー。10周でやめちゃおうかな?
そんな時思い出さなくても良い事を思い出してしまう。
そうなんです。粂さんに「自己ベスト狙います」なんてメールを入れていたんです。
あああ…後悔!こんな事なら鶴沼100kmの事も極秘にしていればよかったと。
自己ベストを狙うなんて宣言したのに半分でリタイアなんて、どう言い訳したらいいのやら。リタイアの理由を考えながら走っていたら50km通過。
50km通過タイム・・5時間23分
もしかして、もうひとがんばりすれば自己ベスト達成になるかも?
本来100kmは楽しみながら走る、という私の理想論とは全く違って、ここからは本当に苦しいレースとなりました。
寒いは膝は痛いは呼吸は苦しいはまさに3重苦です。でもそんな3重苦もしばらくすると、気持ち良い苦しみに変わっていくのですから不思議です。
そして80km通過・・8時間44
ここで新たな欲が。ここでもうふたがんばりすれば、夢の10時間台ゴールが実現するかも?そして、しばし心の葛藤。
自己ベストは確実GETしたんだから、もう欲は出さないでいいよ!ここからは少し楽に走ろうよ!…でも…・ここで諦めたらきっと後悔するよね。がんばらなかった事をきっと後悔するよね。どうする?どうする?
しばらくこんな心の葛藤が続き…・GOサインが出ました。
さあ、そうなったら必死です。足はそろそろ限界に近づいていました。
もうこうなったら、神頼みしかありません。どうか、どうか最後まで足が動き続けますように!と必死に祈っていました。
90km通過タイム・・9時間47分。
そしてラスト1周、小ぶりだった雨がここへ来て本降り状態。全身氷のように冷えきってしまい、ほとんど体の感覚がなくなってきました。でもここまでくればがんばれるから不思議不思議のウルトラです。

そして…10時間54分11秒無事ゴールテープを切る事が出来ました。

がんばった事の満足感と自己ベスト記録に酔いしれ、最高の気分で幕を閉じた鶴沼100kmウルトラマラソンでした。



2004/1/10
宮古島100kmウルトラ遠足完走記

-宮古島は今年も暑かった!-
横浜中央走友会/橋本玲子


昨年は本当に楽しく走ることが出来た宮古島。さて今年はどんな100kmに。
 宮古島は暑かったです!本当に暑かったです!
100kmは楽しい、と最近思い始めていた私にとって今回はかなり厳しく苦しい道のりとなりました。100kmそんなに甘くはないですね!!!

 1月10日AM5:00
296名のランナーが宮古島東急リゾートをスタート。
マイペース、マイペース。と言い聞かせながら、ゆっくりペースにて走り出しました。
まだあたりは真っ暗。なのに暑い!なんだかすごく暑い!この分だと今日はかなり暑くなるのかも…・
 25km池間大橋にて昇り始めた大きな太陽を拝む事ができました。
いつもなら強風にあおられながら走るこの池間大橋ですが、今年は追い風に背中を押され、なんだかルンルン気分。ああああ楽ちん。
そして池間島をぐるりと1周して再び池間大橋。
あれ、来た時はあんなに楽に走っていたのに????
世の中そんなに甘くありませ。行きはよいよい、帰りは怖い!とはこの事です。
行きが追い風なら、帰りは…・そう当然向かい風。
この橋こんなに長かったかしら?と思いながら必死に向かい風と戦いながらの走り。フー。
 48kmレストステーション。
そこには翌日ワイドーマラソン出場の長浜さんがいてくれました。
本当は暑さでバテバテだったのですが、ほんのちょっぴり見栄を張りピースサインなんかしっちゃったりして…精一杯の強がりでした。
預けておいたお粥とフルーツゼリーを一気に食べ、またまた精一杯の強がりで笑顔にて長浜さんに手を振り出発。

 さあ、ここからしばらくは景色も単調、眠気ポイントです。
昨年は一緒に走っていただいた女性ランナーの方と楽しくお喋りをしながら良いペースにてこの眠気ポイントを通過したのですが、今年は…
回りにランナーがいません。
前を見ても後ろを見ても、全くの一人走。孤独のランナーとなってしまいました。
眠気覚ましの必殺作戦。ランナーの方に話し掛け、お喋りに付き合って頂く。
そんな作戦も今年は実行できず、そうこうしているうちに、暑さのせいか物凄い眠気が。
こんな所で昼寝をするわけにはいかない!仕方がなくほっぺたをピシャピシャと平手打ち。痛い!ああああ…眠気が覚めた。
67km東平安名岬までは辛抱辛抱。
 無事に東平安名岬を折りかえし72km通過。ここからはアップダウンが始まります。
暑い!喉がからからです。持っていたペットボトルの水も飲み干してしまい、水!水!
何処かに水はないかな…・・
とその時75kmあたりでしょうか、長浜さん運転の車が…
同乗していた友人から水を頂き…生き返った!!!
 相変わらずの一人走。
こんな時は歌でも歌いながら走るか!今考えるとあの場はやはり島唄かな?なんて思うのですが、肉体的疲労により頭も疲れていたのか、出てくる歌は単純な「線路は続くーよーどーこまでーもー」とか「汽車汽車シュッポシュッポ…」とかなんです。
そんな童謡を歌いながら一人走を楽しんでいると、1匹の野良犬が!
「来ないでよ!お願いだから私を見ないでね!」と祈るような気持ちで野良犬の横を通ったその時…バシバシ!目が合ってしまいました。(私、犬が苦手なんです)
そしてその野良犬は震えている私に近づき、クンクンと擦り寄ってきました。
お腹が空いているのね!(私のウエストポーチには非常食の甘栗が…)でもあげるわけにはいかないのよ!だって、これからまだ20kmも走るのだから。
誰か助けて!!!!やっと後ろからランナーの姿が。
「すみませーん。犬が…犬が…犬が…」
後ろから来たランナーの方に救出して頂き、やっと野良犬から解放されました。フー助かった。ウルトラは何があるかわかりませんね。
82.7kmここのエイドで頂いたアイスキャンデーの味は最高でした。
そして何時もの様に最後の島、来間島に渡る橋では折り返してくるランナーの方たちと声を掛け合い95.3km、いよいよ最後のエイドです。
さあ、後はゴールを目指すだけです。12時間13分09秒笑顔のゴール。
あんなに苦しかった100kmが、終わってしまうと「楽しかった!」に変わるのですから不思議ですね。たくさんの仲間からパワーをもらい、無事ゴールする事が出来ました。ありがとうございました。それにしても…暑かった!!!!

(余談)1月11日23時、無事帰宅。
 重たい荷物をヒョイと肩にかけ、マンションの階段をスイスイ昇っていく私の姿を見て娘曰く「ママも強くなったね。初めて宮古島へ行った時は足を引きずりながら帰って来たのにね!」

2004/1/11
第14回沖縄宮古島ワイドーマラソン100km

長浜則夫、年代別優勝!!
-タイム:8時間47分09秒-
橋本さんには申し訳ないのですが、前日の快晴だった100km遠足と違い、曇りで暑さもほどほど。丹後、筑波に続き天気には恵まれ、我ながら運がいい。会場につき荷物を預け、スタートライン最前列へ。BGMの”ワイドーワイドー”という歌がやけに耳に残る。AM5:00、暗闇の中のスタートした。

0-10km:とにかく暗いサトウキビ畑の間を走り、来島大橋を往復。まーだまだ始まったば・か・り。あせらないあせらない、お先へどうぞ。57分くらいでの入り。

10-20km:まーだ暗いよ。主要道路なのにやっぱりサトウキビ畑?身体も温まりペースアップ。頭の中では”島歌”、”涙そうそう”の一部がヘビーローテーション。歌詞を覚えておけば良かった。。。

20-30km:明るくなり、海沿い経由で内陸へ。身体が軽く、抑えられなく”いてまえ状態”。平良港の前で沿道から”あっ、横浜中央走友会”の声。誰だったのだろう。

30-40km:池間大橋へ向かう、どうしてもサトウキビ畑。橋での眺める透き通った緑の海は最高!早くもなかだるみがちながら女性1位をかわし、ベスト10へ。

40-50km:池間島一周+折返し。すれ違うランナーと挨拶を交わし、パワーをもらう。サトウキビ畑からは物音が。。。姿は見えぬが”おばぁ”が鎌もって刈り取り中でした。50kmを4時間で通過。まだ行けそうだけど後半が不安。

50-60km:畑以外何もない、記憶もあまりない、無意識区間。エイドも高校生が2人いるだけ。西野さんの話では女子高生だと聴いていたのに。。。まぁ、それは問題じゃないけど。この辺から暑くなるし、長〜い一人旅の始まり始まり。

60-70km:コース最高高度を登りきる。前後、沿道ともに人がほとんどいない、孤独な戦いが続く。エイドでの会話がどれだけ力をくれたことか。”横浜、最高!”とも言ってくれたし。走友会ユニホーム効果はいつでも抜群!!

70-80km:登った分は下りましょう。ますます暑くなる。泣きたい、やめたい、帰りたい。でも粘りの走りで二人追いつき、8位へ。みんなも辛いのよ。"ファイト!!”と声を掛けひた走る。

80-90km:岬を走り、着替えポイントへ。橋本さん、浜野さんの応援が!!うれしいこと限りなし。着替えポイントでは横浜から来たという走友会の方々が、荷物や水、食べ物を運んでくれました。嫁さん募集という冗談(?)も交わした後、元気良く飛び出すも強い向かい風とアップダウンにへーろへろ。

90-100km:95km、予想はしていたけど女性トップに捕まりました。”頑張りましょう!”と言われ、軽くかわされました。悔しいけどついていけない。それでも結果はハナマル、自己ベストとなる8:47:09、サブ9でのゴール。最後1kmは役員さん達に”ありがとうございました”とお礼を言いつつ、ちょっと目が熱くなりました。

おまけ:ゴールに高校生排球部によるボランティアマッサージがありました(女子高生でした)。車運転し足がつると困るのでお世話になりました(言い訳です)。途中から力加減が変わったと思ったら、知らぬ間に先生らしきおばさんに交代してました。
閉会式:表彰が年代別優勝からでした。10代はいないので、一番最初に名前呼ばれ、びっくりしました。走友会入会後、初入賞に大感激!!ウルトラ、やめられなくなりそうです。

全体感想:宮古島は海がきれいさが一番印象に残りました。高い木がなく、木陰がないのは不思議でした。島の風景は、どことなく北海道の牧草地帯や高山の低木地帯と似た感じを受けました。走る方では一緒に走るランナー、応援、ボランティアのありがたさを強く感じました。特に、巨人軍団のみなさんにお世話になりました。訳がわからないことを言いますが、自分の力で走るのですが、多くの人の力で走ることができると思います。そのことを忘れず、次のレースも望みたいです。いろんなことを感じさせてくれた、宮古島の人と自然にワイドー!!

私事:愛用のゲルフェザー、恐らく最後のレースとなります。長い間どうもありがとう(洗濯もしなかったけど)。

2003/9/28・北緯40度 秋田内陸リゾートカップ
100kmチャレンジマラソン
                             
横浜中央走友会/橋本玲子

 秋田の100kmは本当に素晴らしい大会だから、1度は走ってみるといいよ!といろいろな方から薦められていた大会でした。

そんな事も有り、今回はワクワクしながらの参加となりました。

その言葉どおりコース上の景色の素晴らしさ、エイドの食べ物の美味しさ、そして、地元の方の温かい声援、これが何よりものおもてなしでした。

本当にたくさんの方からの「がんばれ!がんばれ!」の声援を頂きました。

そんな中苦しそうな顔をして走るのは申し訳なく、今回は最後まで笑顔で走り続けました。

(発見)苦しい時に苦しそうな顔をして走ると何倍も苦しくなるけれども、苦しい時でも笑顔で走ると、自然と楽しくなる。そんな発見をした100kmでした。

9月28日(日)AM5:00秋田県角館町スタート

まだ薄暗い角館の武家屋敷の街並みの中をスタートしました。

朝早いと言うのに沿道ではたくさんの応援の方が声援を送ってくださいました。

鷹巣のゴールを目指して、皆とても楽しそうでした。

全部で20箇所あるエイドではたくさんの果物、梅干、漬物、なによりものご馳走は秋田こまちのおにぎり、そして暖かい飲み物。

これから長い長い坂道の始まりという37kmのエイドでは暖かいきのこ汁が私達にパワーを注いでくれました。

そのおかげで、最大の難所の山越えもなんとかクリアー。

スタート6時間後、50km地点を通過。丁度50kmの部のスタートと一緒になりました。

すでに50kmを走ってきた私達とはパワーが違います。

皆元気一杯に走って行ってしまいました。がんばれ…・

65km北緯40度地点通過。記念撮影ポイント。思わずピースサイン。

う…ん。まだまだ元気です。

70km突然のスコール。土砂降りの雨に全身びっしょり。

約5km、土砂降りの中のランとなりました。この時だけは笑顔を忘れてしまいました。

そして再び太陽が。
そして私の笑顔も戻り、なんだかとても不思議な感じで、ふだんならそろそろ体も心も辛くなってくる80kmなのに体も心もとても元気で、楽しくて楽しくてしかたないんです。そうなるとほんの少し欲が出て12時間ぎりを狙おうかな?なんて気持ちになってしまいました。

さあ、そこからが大変です。

景色は楽しまなくてはいけないし、エイドは楽しまなくてはいけないし、タイムは気にしなくてはいけないし。

巨人軍団走友の浜野氏と2人で80km過ぎ、ひたすら田んぼの景色が続く約10km近い直線道路をゼエゼエと心拍数を上げながら走り続けました。

なんで、ここまで来てこんな勢いで走らなくてはいけないの?なんて思いながら、そして回りのランナーの方々は、そんな私たちの勢いに?????なんて顔をしたりしていました。

だって楽しいんですもの、本当に楽しいんですもの。

そしてラスト1km、鷹巣の長い長い商店街の入り口に入ると…

「ゼッケン172 神奈川県の橋本玲子さん」というアナウンスが聞こえてきました。

そして商店街のお店からはたくさんの方が応援に出てくださり、「がんばれ!がんばれ!」の声援ラッシュ。

せっかくここまで笑顔でがんばってきたのに、もうだめです、目からは涙がぼろぼろ、ぼろぼろ、こんな所で泣かせないで…・

涙をながしながら、一生懸命ひきつった笑顔をつくり、ありがとうございます。ありがとうございます。とお礼を言いながらのラストランとなりました。

11時間51分、ゴール。

本当に心温まる素敵な大会でした。

そして今回の大会の感想は…ありがとうございました。その一言につきるような気がします。

秋田の皆様、お世話になりました。素敵な時間をありがとうございました。

(番外編)

今回は金曜日に横浜を出発して、田沢湖町乳頭温泉、秘湯で有名な鶴の湯に1泊してきました。

囲炉裏を囲んでの夕飯。そして星空を見ながらの露天風呂は最高の贅沢でした。

ここだけの話ですが…混浴風呂、楽しんじゃいました。     お・わ・り


2003年1月11日 宮古島100km遠足


2003年宮古島100km遠足
エメラルド色の海、
そして真っ赤なハイビスカス、
宮古島万歳!


       横浜中央走友会/橋本玲子

 「宮古島100km遠足」も今年で3回目の参加となります。
2001年この宮古島が初めて100kmを完走したレースでした。
膝と股関節の痛みに苦しみながら、そして途中眠気との戦い、苦しい苦しい100kmでした。(14時間07分にてゴール)
2002年 暑さに苦しめられたレースでした。
後半は歩いたり、走ったりのそんなバテバテの100kmでした。(12時間46分にてゴール)
そして2003年、今年はどんな100kmになるのでしょうか?…・
2003年1月11日 晴れ 風強し
AM5:00スタート
いつもなら前半は快調にとばしていくはずなのに…・???おかしい。
何かおかしい。

足は軽いのに、何故?
胃薬だってちゃんと飲んできたのに、この胃のむかつきは何?
スタート直後からこの調子でこの先長い長い道のりどうなるの????
頭の中は不安でいっぱいでした。
前日からの食べ過ぎ、そして朝食バイキングでの食べ過ぎでとにかくお腹が重たいんです。
そんなわけで、あせる気持ちを押さえて、まずはゆっくり、ゆっくり。
 20km通過タイム、2時間18分。
昨年より18分近く遅いタイム。(あせり)
このまま何時もの様に後半ペースダウンしたら…・頭の中は大パニック。
もう、こうなったら気持ちをきりかえて、今日はゆっくり楽しく走りましょう。
そうこうしているうちに、少しずつ体が軽くなり、あれだけ食べたのにお腹が空き始めてきました。

48km、レストステーションにて預けておいたお粥とピーチゼリーを一気に食べ、トマトジュースをグイット。10分の休憩にてスタート。
快調、快調。
海がエメラルドグリーンに輝き、最高のスチュエーションでした。
何故か鼻歌なんかが出てきて、あれ?これってランナーズハイ?
さとうきび畑の中を全くの一人走。
なのに何故こんなにハイになってしまうの????
東平名岬の折り返しにてビールを頂き、グイット一気に飲んで…美味い!
その勢いで70km通過。(8時間21分)
歩道脇には真っ赤なハイビスカスが…美しい!

80kmドイツ村通過の時には、翌日のワイドーマラソン参加のランナーの方々からたくさんの声援を頂き、パワー全開。
90km、10時間56分にて通過。
もしかして自己ベスト狙っちゃう?ガンバルゾー…・
ラストの来間大橋全長1690m、強風にあおられながら、笑顔のラン。
それにしても長い長い橋でした。

下り返して再び橋を渡っていると、遠くにゴールの宮古東急ホテルが見えました。
帰ってきました。

ラスト1kmの横断幕をくぐり、東急ホテルの敷地内へと突入。

最後の1kmはがんばった人に神様が与えてくれた最高のプレゼント、そんな気がします。
最高の笑顔と最高の走りで1kmを力走。
PM5:17 ゴール!(12時間17分)
こんなにも楽しく、こんなにもハイな気分で100kmを完走したのは初めてではないでしょうか?
本当に楽しい1日を過ごす事が出来ました。

宮古島 万歳!!!!
(帰宅後体重計に乗ってみると、何故?何故?100km走って体重増加????)


トランスエゾ感動を頂きました。TM CLUB/福井義喜
 8月4日(日)午前5時、537km先の襟裳岬に向かって宗谷岬を曇天、温度16度の肌寒い中をスタートしました。
メンバーはアルテメイト(宗谷〜襟裳〜宗谷)の7名(内女性7名)、toえりも組の7名(内女性1名)に自転車参加の中学生、高校生兄弟の2名です。
 コースは7Stage7日間、宗谷岬〜幌延〜羽幌〜北竜〜栗山〜富川〜三石〜襟裳岬となりますが、晴れは最初の2日間のみ、残り5日間は雨時々曇りの向かい風という絶好の?コンディションでした。
特に最終日の襟裳岬に向かっては荒れ狂う風雨の中、喘ぎながら岬を目指しました。
 2日目までは天候もよく、途中でのビールもまた美味かったのですが、後はウイイドブレーカーを着てても走り続けなければ寒く、ビールより熱燗が欲しくなるような状態でした。
 
 8月11日(日)午前5時、toそうや組37名(内女性5名)とともに、激しい風雨の中、寒さに震えながら宗谷岬に向かってスタートしました。
コースは7Stage7日間、襟裳岬〜忠類〜新得〜富良野〜旭川大学〜美深〜浜頓別〜宗谷岬までの553.8kmとなります。
 初日、午前中は海岸に沿って黄金道路では雨しぶきに遭いましたが、11時ごろにはそれも収まり、曇り空の中快調に歩を運びましたが、今日が初日のtoそうや組は最初からガンガン飛ばしていきました。
 8日目の私と兵庫の石原氏とで体が慣れてきたこともあり、残り17〜8kmから追撃体勢に入り、彼らを次々にごぼう抜きにしていきましたが、これはジャニーランなのだから明日からはもっとのんびり楽しくランしょうと走りながら反省していました。
 
 初日は1名の脱落者でしたが、2日目あたりから初日の飛ばしすぎやその他の原因からリタイアが続出していきましたが、テーピングをしたり、象のようになった足を引きずりながらも翌日のステージに殆どの者が参加してきました。
 
 いよいよ最終日の8月17日(土)第14Stage浜頓別から宗谷岬まで全Stage最短距離の60.7kmに1名の故障者を除き全員が参加しました。
 スタートして間もなく、広々とした原野や牧場の間を感嘆の声をあげながらランナーが疾駆していきます。やがてオホーツクの海にぶつかり、その砂浜を2kmばかり、砂に足を取られながらも健康な体と家族、その他多くの人達に感謝しつつ走る喜びをかみしめます。
 
 ランは私にとって遊びの世界、数多くの100kmやさくら道、甲州夢街道といった200km超のレースにでても少しの感動はあったとしても涙とは無縁のものでした。
 最終日1人の若いランナーが飛び出し、その次に私が抜け出し、1人だけのランを満喫していましたが、残り10kmに達した時、いきなり、オホーツク海が目に飛び込んできました。
 なんとも言えない感動に包まれウルルン状態に陥り、思わず「戻ってきたぞー」と叫んでいました。
 
 宗谷岬への最後の角を曲がり、両側に広がる緑の牧場の間の路、岬まで1.5kmまさに私のウイニングロード、今度はオホーツクの海が前面に広がります。感動を抑えつつ、
途中でカメラを構えるクルーに左手を軽く上げ、どうってことないよというような仕草をし、
坂を下り、間宮林蔵の像の前を通り、日本最北端のモニュメントを一回りをし、出迎える見知らぬ旅人とタッチを交わしながらゴールに入り、呼びかけ人である御園生氏と抱き合いました。
 椅子に座った途端、感動が全身を駆け巡り腕で顔を覆ってしまいました。
 
 8月4日午前5時に始まった私のトランスエゾは8月17日午後1時16分に感動を頂いて終了しました。
 皆様ありがとうございました。
                                        by fukui 

鶴沼ウルトラマラソン10回完走!!
横浜中央走友会 沢田 初美   

 鶴沼ウルトラマラソン〈土浦市〉の10回完走を果たしました。
中央走友会とは春〈総会〉,秋(クロカン)の年2回の行事と重なる相性の良くない?大会です。 今回も総会に背を向けての参加なので絶対に完走を目標にド根性で頑張りました。(^^ゞ
 雨も上がり暑くも寒くもなく筑波の風もないベストコンディションで何度も速いランナーに追い越されながらも52キロを6時間24分でゴールしました。
 95年4月の初参加からなんと7年かかりました。

レース後のビアパーティのビールの味は格別でした(^o^)。
10回完走賞‘銀’は主催者特製の賞状とフランクショターのシャツで、なにより嬉しかったのはあこがれの‘さくら道’の女王の加村さんに続く女子の完走者になれたことです。(^o^)(ただし、彼女は‘金’です)



   
 *第41回鶴沼ウルトラマラソンの概要**

  開催日  2002年4月7日    (春、秋年2回開催)
  
会場   土浦市神立

   種目   100キロ制限時間12時間30分 参加費4,000円
        52キロ  ‘’  8時間30分 参加費2,000円
   コース  1周5.207キロの周回
   エイド  ドリンク、果物、おにぎり、ほか多種多量あり
   表彰   銅   本大会に10回以上参加、最低1回は50キロ以上走破
        銀   本大会を10回以上完走
        金   走破距離が1000キロに達し、10回以上完走し、
            100キロ以上の種目を完走した者
       帝王   走破距離が2000キロに達し、100キロ以上の種目
            を10回以上完走した者
   コメント   参加人数は52キロ、100キロの部を合わせて150人
          前後です。シリアスなウルトラランナーが多い。
         歴史があり暖かい手作りの楽しいの大会です。
    
     今回はコンディションが良かったせいか好記録がいっぱい

          でした。遅い組は横目でビアパーティを見ながらコースに
          出て行くのがなかなか辛いです。(^_^;)次なる目標の‘金’
          は私にとって最短でも後3年かかります。


2002年春、東京湾1周ジャーニーラン房総編
                         TM・CLUB/福井義喜
3月21日(木)〜24日(日)にかけて東京湾1周遠足ジャーニーラン(房総編)を楽しんできました。その行程は次の通りで、決められたルートに沿ってチェックポイントを通過し、毎日制限時間内に目的地に着かなければなりません。チェックポイントは1日10ヶ所ほどで、例えば、(鈴が森【】場跡)の【】の中にを入れ通過タイムを記入していくやり方です。この鈴が森刑場跡には八百屋お七を火炙りにした鉄の棒や由井正雪の乱で獄門になった丸橋忠也の磔の跡が残っておりちょっとした歴史散策も出来るようになっています。
1日目:日本橋〜千葉駅前44km
2日目:千葉駅前〜勝浦〜安房小港83km
3日目:安房小港〜横須賀78km
4日目:横須賀〜四谷外濠公園62km
 
今回は1名の視覚障害者の方が参加し、昨年袋井のフルで伴走した人なので1日くらいは協力しなくてはと思っていたのですが、他に伴走の希望者はおらず3泊4日267kmの行動を全て共にすることになりました。最悪そういうこともあるのではと危惧はしていたのですが...。 ^_^;
 
1日目はこれが春の嵐で横殴りの風に悩まされ、2日目は午前10時半ごろから降り出した雨に体を冷やされ、そのうえ途中で道に迷い40〜50分のタイムロス。
3日目も強風でフェリーが欠航するのではと心配し、また、歩道の無いトンネルでは危険を避けるため、疲れている体に鞭打ってダッシュを繰り返し、スピード練習をやる為に来たのではないと愚痴り、ようやく最終日に絶好のランニング日和になりました。 (^。^)
 
今回の伴走でロープよりも白い杖を使用することが多かったのですが、私が杖の先を持ち先導するのですが、杖の先に感情が伝わってくるのが分かり、速く走りたがるのを意識的に抑えたり、それでも催促すると相手が音を上げるまでスピードをあげたりチョッピリ意地悪もしました。 (^_^)v
 
今回は相手がいたのでビールも控えめにしたのですが、100mlの小缶がいいですね。
金谷のフェリー乗り場の手前では食堂に入り【くじらのたれ】をつまみに大瓶を1本半も飲んでしまいました。最終日、ゴール後銭湯に入り懇親会に参加しましたが、最後まで意地汚く飲んでしまい翌日の午前中は2日酔いでした。 (*_*; 

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