2007/6/24
第22回サロマ湖100kmウルトラマラソン



初ウルトラでウルトラセブンに変身を夢見て

                             by アランチュール/細江昌史

  昨年の春にまたまた坐骨神経痛を再発させてしまい、秋までほとんど走れない状態が続き、10月になってやっとラントレ再開。これまでウルトラなんて、歳を取ってスピードがなくなってきてから挑戦すれば十分と思っていたが、走れない日々が続く中、何事もやれる時にやっておかないといつ挑戦できなくなるかもしれないと考えが変わり、急遽、今年のサロマに初挑戦することにした。

ウルトラは今回サロマが初挑戦。どんな練習をして、レース当日はどんな走りをすれば良いのか分からず、取り敢えず、5月は走り込み月間として800キロ程度距離を踏み、5月の後半からウル練の一環として3週連続で、50キロ・フル・60キロレースに出走して、距離の長いレースに身体を慣らすよう試みた。

今回は、人生初めての100キロレースに出走しながら、ウルトラセブン(サブ8)に変身を夢見て挑戦した。自分のイメージでは、5キロ22分半〜23分で刻み、10キロを46分ぐらいのペースで走る予定であった。しかし、スタート直後から周りのランナーにつられて最初の30キロまでは10キロ約43分ペースで進んだ。しかし、いつものフルのペースより遅いペースで走っているのに、どうしたことか身体がキツい。フル地点を3時間4分で通過、中間点の50キロを3時間41分で通過し、ここまではほぼ予定通りのレース展開だった。

ところが、コース最大の難関である55キロのレスト・ステーション過ぎまでの登りで、ガクっとスピードが落ちてきた。そのうえ、道路の側道をずっと走るので、とても走りづらく、右足が踊って左足の踵に当ってしまう。登りを超えて下りに入ってからもスピードは上がらず、上がってくるのは息だけ。60キロ地点を4時間31分で何とか通過、残り40キロを5キロ25分ペースで行けば、ウルトラセブンに変身出来ると、取らぬタヌキの皮算用して進む。しかし、レースでも60キロ以降は初めてと、まさに『未知との走遇』状態で、いつ急に走れなくなるのかと不安が募る中、歩を進める。

徐々にペースが落ちて来て、5キロ25〜26分ペースに。それでも10分の貯金があるのでサブ8は行けそうと疲労で鈍った頭で計算しながら走る。ワッカ原生花園の入り口80キロを6時間16分で通過、残り20キロを1時間44分で走れば、晴れてウルトラセブンに。

しかし、80キロ以降は27分ペースまで落ち込み、折り返し後の90キロ地点を7時間10分で通過。残り10キロを50分で走らなければ、サブ8は未達。しかし、今のヘロヘロ状態で5キロを25分まで上げる気力&走力は全く残っておらず、ウルトラセブンに変身も不可能と判って、気持ちが切れてしまい、ジ・エンド状態。次の5キロは29分、最後の5キロは35分と、完全失足状態でゴールした。

今回は、ウルトラセブンに変身を夢見てウルトラ初挑戦したが、やはり世の中そんなに甘くはないですね。取り敢えず、来年、もう一度サロマ100キロ挑戦して、ウルトラセブンに変身してM78星雲に帰還したいと思っているところです(笑)。


サロマンブルーゲットラスト2  by 藤岡 哲雄

これまでに7勝1敗のサロマ100kmウルトラマラソン。
今回は、練習でも結構走り込みができて、ほぼ万全の状態で挑むことができました。今年に入ってからは毎週末に3時間〜3時間半走を入れるようにして長距離に備えてきました。しかし、以前のように50km以上の練習を一度も入れられなかったことが唯一の不安材料でした。
今年は、天気は曇りがちで気温も高くなくとても走りやすかったです。
45kmくらいまでは5km30分のペースを楽に維持することができました。それから後は徐々にペースダウンしましたが、80kmまでは歩かずに走り続けることができました。
ワッカ入り口のエイドステーションで黒砂糖を食べて、オレンジジュースをカップ1杯飲み干してからワッカに突入しました。しかし、80kmの関門を過ぎてしばらくすると猛烈な腹痛におそわれました。走るとその振動で胃が引きちぎられそうに痛みます。73kmの鶴賀リゾートでもお汁粉2杯にそう麺まで食べていたので、ついに胃に負担が来たようです。やむなく歩きで少し様子を観ることにしました。途中、腰に付けていたウエストポーチのベルトを緩めると少しずつ楽になってきました。4kmくらい歩いたところで再びゆっくりと走り出し、そのままゴールすることができました。
結果は11時間41分。ちょうど1km7分のペースで走ったことになります。期せずして目標にしていたタイムぴったりでした。ここ数年、12時間を切れなかったので、今年の結果には満足しています。
サロマンブルーまであと2回。先が見えてきた気がします。
皆さんの厚い応援に感謝します。
それから、同行の皆さんにも大変お世話になりました。


サロマンブルーメンバーまであと4回  by 山本 稔

スタート前は長袖にしようかと迷ったほど肌寒い曇り空で、40キロ過ぎ辺りからは強い日差しが照りつけ、ワッカ原生花園の95キロ辺りからは小雨がぱらつくなど気候の変化が大きかったが、気温が低くマラニックにはとても走り易い気候であった。

4月頃から脚の故障で長い距離の練習をしていなかったため、中間点以降は筋肉疲労でかなりきつかったが、最後まで諦めずになんとか制限時間内にゴールに辿り着けてほっとしている。
紺碧のオホーツク海とサロマ湖の間に延びるワッカ原生花園には、オレンジ色のエゾスカシユリやピンク色のハマナスが一面に咲いており、何度訪れても飽きることのない素晴らしい眺めにとても満足し、疲れも一瞬にして癒される感じだった。 
サロマンブルーメンバーまであと4回、来年の参加を目指して新たな気持ちでジョギングを始めたいと思っている。サロマに参加された皆さん、お疲れ様でした。
またサロマツアーを企画していただいた卓さん、交通・宿泊を手配していただいた藤岡さん、宮崎さん、旭川空港から会場までの往復を運転していただいた小沢さん、お世話になりありがとうございました。   


<記憶に残る足跡>

    ´07.サロマ憂愁    by 山本

このレースを年間の最大目標にして、1年間なけなしの知恵を絞って持久力と気力を高めて迎えた今年のサロマは、いつもの顔ぶれに新鋭の小沢君を加え、遠く福岡からの宮崎さん、同僚の吉田さんに札幌の水野さんの総勢9名、元気に旭川空港にて合流、車2台に分乗して正午一路湧別町を目指して出発。天気うす曇、気温23度。
通い慣れた?田園地帯と原生林に覆われた山越えの後、午後4時現地着。なぜか今年はいつもより1時間ぐらい早く着いた。小沢君のdriving technicかな?
お陰で、心配した前夜祭にも間に合って一同明日の今頃は・・・と思わず緊張の色を見せながらも、あれこれのご馳走を今夜の夕食に代えて一生懸命詰め込んでいた。
宿泊は定宿の 常呂少年自然の家 。 明朝2時起床、3時出発、5時スタートでの予想気温7度、日中最高気温20度、皆何を着て走るか思案のしどころ。 あれこれ考えながらも9時には皆ベッドにも潜り込んでいた。
なぜか全く寝付けず、12時の時報を聞いて些か焦ってしまう。原因は、どうやらパーテーでのビールが少なかったためだろう!と推測。 アルコールには少量なら神経を鋭敏にする作用があり、それを過ぎると酔いの状態で神経が鈍り、眠ってしまう、と言う説を図らずも我が身で人体実験する羽目になった。 
と言うことで、うとうとしているうちに誰かがガサガサと動き出して起床時間を知る。
北国の夜明けは早い。晴れの日の2時はもう空が白んでいるが、今年は真っ暗。
皆、夫々意を固めて黙々と準備している。 3時出発、目の前のサロマ湖は未だ夜の闇の中。 晴れた日には湖岸で素晴らしい日の出を迎えるのに、今年は陰鬱な灰色に覆われたまま。 でも会場は流石に熱気に埋もれていて、嫌でもその気にさせられてしまう雰囲気。

5時 いよいよスタート。今年の参加者は3300人、 眠気から覚めきっていない体はいつものようにのろのろと走り始めた。 久しぶりに宮崎さんとおしゃべりをしながらの10キロ、タイム57分、早すぎる! 宮崎さんの11時間切りのペースに載せられている。 でも案外楽に走れているのでこのペースを維持することにした。15キロ付近、竜宮台を折り返したトップ集団とすれ違う。ややあって、なんと我が細江君が先頭から10番前後で走り去って行った。びっくり!。 その僅か後 小沢君が快調な一人旅をして行った。海宝さんの声援を受けて竜宮台を折り返す。未だペースは落ちず、キロ6分を切っている。やがて20キロ、この10キロ 58分。落とさなければ潰れる!と思いながらも、未だ宮崎さんのペースに嵌ったままの走り。あまり苦痛がなかったのが落とし穴であった。 20キロを過ぎたあたりでふと気がつくと左のハムストリングにこれまで感じたことのない違和感を感じるようになった。
暫く様子を見ながらのランであったが、用心のため宮崎さんを先行させて全神経を集中して様子を見る。 広大な牧場を風景を楽しむことも出来ず、ひたすら神経を集中させてのランを試みる。 違和感がはっきりした痛みに代わってじわじわその位置を上に上げ、ついに臀筋とその上の腰椎付近に至った不思議な痛みで、これまで経験したことのない異常事態であった。 頭の中では、走りきるべきか、知床ラン備えるべきかの葛藤が続く。 スピードを落とせば何とか完走は出来るだろうとは思いつつ、その結果の我が身を考えると悲惨な姿が浮かんでくるばかり。

よ〜し 止めよう! 25キロ付近であった。 悔しさと安堵感の入り混じった複雑な気持ちであった。 25キロのstation 、係員にリタイアの申し入れをしたが、びっくりした様子。 当然だよね、100キロ完走を目指す屈強なランナーが20キロでリタイアするはずがない! と言う設定のためか、“ 収容車は40キロ以降にしか無いので、其処まで行ってください!” との非情なお言葉。 仕方なしに、とぼとぼ走っての40キロまでは長かった〜!。 広大な牧場地帯を抜けて、これから待望の丘陵地帯に入る37キロ付近で追いかけてきた伴さん夫妻に会う。 彼が持っていたサロマチールをたっぷり塗ってもらい先行してもらった。 すると僅かその先で、走路監視員が待っていてくれて、“ランナーの方から事情を聞いたので、私の車で収容車まで送ります” との事。 伴さん ありがとうございました!
収容者の中、皆 無念と言う衣を被った僧侶のように押し黙って焦点の合わない虚ろな目で走り去るランナーの背中を追っていた。 自分もこの中の一人なのだと思うと伴さんに貰ったサロメチールのしみこんだ手で汗をぬぐって、目に触れてその痛さに倍加した悔し涙がドットあふれ出る思いがした。 緑館を目指して懸命に登るランナーの後姿は、収容車の窓から見るにはあまりにも過酷な情景であった。
サロマを目指すものはあの坂を上りきることで我が身の偉大さを知るのではないだろうか。 その後姿は修行僧のように確固たる信念の化身のように見えた。
バスは無情にも我が身を常呂町のゴールに下ろしてしまった。
悔しい しかし何故か知床ランへの切符を手にしたことの安心感も味わっていた。

やがて、トップランナーがゴールして、これから始まる6時までのゴールシーンに感動の瞬間を迎える。 我が細江、小沢君が素晴らしいタイムと順位で初サロマを走りきった。 石井さんも素晴らしい走りで会心のゴールの笑顔だった。 宮崎さんは今年もsub-11、、稔さんも後1分でsub-11,惜しかった〜。 藤岡、二宮の常連も去年を大幅に上回っての会心のレース。 伴妻さんは伴夫にサポートされてついに念願のワッカを走り抜けて、氷雨の中会心のゴールを果たした。   みんな おめでとう!! 

100キロを走りぬいたあのゴールの笑顔にサロマの持つ底知れぬロマンを感じた今年のサロマだった。
さあ! 明日からの知床ラン240キロ、 未知への挑戦が楽しみだ。



第22回サロマ湖100kmウルトラマラソン
氏   名 グロスタイム ネットタイム 種目順位 個 別 種 目
宮崎 豊子 10:52:53 10:52:05 52/214 100K一般総合女子
英子 12:38:14 12:36:80 173/214 100K一般総合女子
細江 昌史 08:14:35 08:14:23 12/1450 100K一般総合男子
小沢 和彦 08:33:18 08:33:04 28/1450 100K一般総合男子
河島 稔 10:41:22 10:41:06 351/1450 100K一般総合男子
山本 稔 11:01:31 10:59:29 459/1450 100K一般総合男子
伴 和幸 12:38:14 12:36:08 1207/1450 100K一般総合男子
二宮 徳長 12:41:07 12:39:01 1239/1450 100K一般総合男子




2006/6/25
第21回サロマ湖100kmウルトラマラソン


サロマンブルーまで後5回 / 山本 稔

6月に入ってから風邪を引き全く練習ができない状態での参加になってしまいましたが、ボランティアの方々のサポートのお陰で何とか5回目の完走を果たすことができました。前日まで雨が降ったり止んだりの安定しない天候で心配でしたが、当日は快晴になりこれまでで一番涼しい天候に恵まれました。中間点付近(56K)のホテル緑館までは1K6分ペースで順調でしたが、残りの距離は大腿部の筋肉痛に苦しみながら1K8分の大幅なペースダウンとなってしまいました。練習不足にも拘らず11時間30分を切って完走できたことにとても満足しています。ワッカ原生花園は例年より開花が遅れていたようでしたが、折り返し地点手前だけはオレンジ色のエゾスカシユリやピンク色のハマナスが沢山咲いておりとても綺麗でした。
翌日は、藤岡さん、宮崎さんに層雲峡まで車で送ってもらい、全身が筋肉痛でおぼつかない足取りながら、卓さんと大雪山黒岳7合目までロープウェイとリフトを乗り継いで登りましたが、残雪を被った雄大な大雪山脈の絶景には圧倒されてしまいました。下山してからは層雲峡温泉街から3K先の「銀河の滝」「流星の滝」までの往復を川沿いにのんびり散策し、とても楽しいひとときを過ごすことができました。今回参加された皆さんにはたいへんお世話になりありがとうございました。来年はもう少し練習をして万全な体調で参加したいと思っています。
 


いつかは次こそ!!! / 江花 逸人・早苗

春前から今年は”こっそり”サロマに挑戦しようと二人で決めていました。が、諸方面に事前に知られてしまいましたが果敢にチャレンジしてきました。卓さんや、芥川さん、橋本さんから事前に情報を仕入れていたのでツアー会社に連絡をし、ゴール地点にレンタカーを置いてマラソンバスで移動するプランを選択しました。金曜日に帯広空港に到着しレンタカー”パッソ”を借りて一路、然別湖を目指します。ここではカワイイ鳴き声のウグイスや天然記念物の赤い頭のクマゲラに出会うことが出来ました。しかし北海道のいたるところに咲いている赤いフキの葉は何と言うのでしょう?然別湖からは層雲峡を抜けて湧別を目指しました。14時頃には受付会場に付き、おいしいホタテ貝を焼いて食べました!そこで何と卓さん、藤岡さん、そして久しぶりの宮崎さんに会うことが出来ました。お互いの健闘を誓いあいながら別れ、宿を目指します。サロマ湖沿いに翌日のコースの下見を兼ねレンタカーを走らせます。予想以上にアップダウンがあることに驚きました。サロマ湖の道の駅では伴さん夫妻に会うことが出来ました。宿は網走湖畔です。前夜祭には出ずに市街でハンバー
グ定食の夕飯を済ませ早めに床に着きます。翌朝(?)1時に起床しパンやオニギリをムシャムシャ食べてスタート地点へ。走友会の皆と合流しました。気温は低め、肌寒いくらいだったので長袖ロングスパッツのいで立ち。ただし後ろにツバのあるキャップにネッククーラーと熱中症対策は万全、サングラスも忘れていません。目標は完走、無理せず前半は6分/kmより遅いペースを刻むことにしました。二人の誤算(?)はレーススタートが早いので生活のリズムが狂いトイレ(大)がスタート前に出来なかったことが挙げられます。これは後々かなりひびきました。涼しいなか、周りの風景を楽しむ余裕もあり二人仲良く進みます。ただし先程あげたように途中、混雑のトイレに幾度となく立ち止まり、時間のロス&余分な休養となりリズムがとれなくなっていきました。30km迄は何事もなく給水、給食、首もとを冷やすのを忘れず淡々と。40km前後になると脚の各所に痛みも出てきて55kmのルートインが遠くに感じられ二人励ましながらの走り。上りもキツイがそれ以上に後の下りが堪える厳しさとなってきました。何とかレストステーションに辿り着き、事前に聞いていたので余り休息しないように心がけましたが、トイレに食事に、シューズの履き替えと30分は経過してしまったようです。再開後の坂道が上がれないこと…徐々に動けるようになってきましたが、少しずつ完走に向けての気持ちにも揺らぎが入って来ました。とにもかくにも60kmの関門は無事に通過、次の70km迄も普通に走る分には余裕有り、しかし自分は両膝外側の痛みに負け始め、さなえちゃんは極度の疲労からか走りながら眠い眠いの繰り返し。歩き走りの交互で騙し騙し、二人励ましながらは変わらずに頑張り続けましたが62km付近より取りあえず歩き続けようと決めました。中には走り通している方もいましたが、関門間に合わないのがわかっているのに走っているんです、とのこと、こと時点で自分達は歩くこともままならずの感で、やるだけはやっている充実感でいっぱいでしたが、やはり完走出来ずの悔しさはチラホラ。66km地点で立ち止まり、タイムオーバーで収容車を待ちました。皆より先にゴール地点となりましたが15時前に着いたのでサブ10でゴールしてくる方々の足取りは力強かった。お腹が空いた時に食べたカルビ丼はおいしかった。暫く休養し宮崎さん、伴さん、卓さん、橋本さん、藤岡さんとゴールを見届けました。17時過ぎにゴールしてくる方々はあがらない脚を必死に動かし端から見ればペンギンのヨチヨチ歩きの様でしたがゴール目指して頑張る姿に打たれました。いつかは次こその思いです。皆さんから労いの言葉を頂き、お別れパーティではたらふく美味しいものを食べました。練習不足、直前の貧血症状、トイレの問題等々、原因をあげれば数限りなくあると思いますが、走るときも立ち止まるときも二人で頑張り通したことは大きく、次のチャレンジの際も同じように力を付けて戻ってきたいと思います。網走の宿に戻り休息、翌日はサロマ湖特産の南瓜のお土産を買いました。旭川にてラーメンを食べ、旭山動物園見学、美瑛(4年前の縦断駅伝で皆と別れた美瑛駅も見学)にラベンダーには未だ早かった富良野。”江花パノラマロード”なる道路がありました。さらに日高でサラブレッドの故郷を走らせ、4年前に行けなかった襟裳岬にも辿り着けました。吉田さんに聞いていた豚丼は食べられませんでしたが、名物ツブ貝弁当を食し、
長かった北海道の旅を終えました。また二人で新たな目標を見据えて楽しく、頑張ります。
byはやと&さなえ


サロマンブルーの誘惑 / 末安 誼典

従前より、サロマ湖を走りたいとずっと考えていたが、まず、実践に移さなければ始まらないと、年初に50kmへのチャレンジを無謀にも計画した。コンビニから参加料10,500円振込み現実的になってきた。
24日、東京羽田発12時40分のJALで、女満別14時20分着。網走までバスでいき、再びバスに乗り換え佐呂間町までの小旅行である。途中車窓にはずっと、雄武町から斜里町まで続くという延べ212kmの「オホーツクサイクリングロード」が見えている。
ウルトラマラソンは、@オホーツク海と佐呂間湖の恵まれた環境で生産されるホタやカキ、北海シマエビなどで有名な湧別町、Aサロマ湖の中央部に位置する森と湖の町、佐呂間町、B300種もの花々が競宴する日本最大の「ワッカ原生花園」を有する、常呂町の3町村の連携大会である。常呂町は、今年3月5日に市町村合併し「北見市」となった。
50kmの参加のため、スタート地点に近い、佐呂間町の「モリタ旅館」に着いたのは夕刻6時であった。佐呂間町には、この1軒しか旅館はなくお好み焼屋さんが旅館を兼営している「きさくな旅館」で、1泊2食で6,000円とリーズナブルである。
早朝、スタート地点の「佐呂間町100年広場」から青空に向かって空砲があがった。気持ちが高ぶり少し早めにスタート地点へと向かった。佐呂間町は人を余り見かけず、広々としたきれいな町で塵なんか落ちてない。公園も立派で手入れが行き届いている。誰が手入れしているのだろう。町の財政は大丈夫だろうかなどと余計なことを考え、一人黙々と歩いた。50KMコースは、牧場の続く舗装の広い通りをほぼまっすぐ走り、20km地点で100kmの人達と合流、30km頃は、ワッカ原生花園に入り、40km手前が折り返地点である。ゴールは、常呂町営業ポーツセンターである。今回は413名のエントリーで、参加者には「長袖ランシャツ」「参加記念タオル」「スポーツドリンク」「食券」が付与された。ポシェットに携帯電話、ティッシュ、小銭入れ、キズテープ等をいれスタートした。
サロマ湖・オホーツク海の「青」と大空の「青」とがブレンドされた雄大な自然を眺め、エイドでは、バナナ、レモン、飴、梅干、おにぎり、おしるこ、蕎麦、スイカ、他にも黒砂糖、チョコレート、水、スポーツドリンク、氷など飲んだり食べたりして楽しみ、頭から水をかぶり、足に水をかけ靴はグジュグジュになり、子供の頃の自分に戻った「新鮮さ」があった。制限時間は20kmが3時間45分、30kmが5時間、40kmが6時間30分、50kmが8時間であるがあまり気にしなくて通過できた。
「お疲れさま」笑顔と共に【CONGRATULATIONS】と刻印された「FINISHERメダル」を架けて貰った。「やった」。達成感でいっぱいになった。氷袋を貰い木陰で座り込みアイシングをした後で、荷物受け取りにカーリングホールへと向かった。このカーリングホールは、日本で初めての屋内専用ホールであり、今年の「トリノオリンピック」に選手を輩出し、そして、カーリング人気を全国的に広めた場所である。
少々休憩し、バスで宿泊先「北見東急イン」へと向かった。北見市は「薄荷の町」として有名である。「ハッカ記念館」「ピアソン記念館」「図書館」に行きたかったが、月曜日はいずれも休館で諦めた。26日、女満別20時15分発のJALに乗り、東京羽田着は22時となった。
50KM完走でき、大会運営の方、ボランティアの方々に感謝いたします。
お陰でよい思い出ができ、ありがとうございました。来年も参加します。


2006サロマ湖100km完走記 / 山本 卓  

今年は現地合流組を含めて走友会からは9名の参加だった。例年、前夜祭のご馳走が売切れてしまうのが口惜しくて今年は旭川着9時半の飛行機で山本稔さん、藤岡さんの3名で出発、旭川空港で宮崎さん(福岡)と合流一路湧別町へ。今年は余裕! のんびり石北峠を越えて2時ごろ現地着。受付を済ませ、名物の焼きホタテを食べている頃いろいろな人に会い旧交を温める。
今年は前夜祭一番乗り。どれもこれも美味しかった!
さて、今年は最高のサポーターだった山崎さんの都合がつかず、我々の中で車の面倒を見る羽目になったが名案が浮かばず、結局、一番早くゴールした者が連絡バスで出発地点に車を取りに戻り、ゴール後の仲間を拾う と言うことになった。さて誰が一番に帰ってくるんだろうか?これが今年の最大の焦点となった。事前の風評では山本稔さんだろう と思っていたが・・・。

定宿の“常呂青少年の家”は12名部屋に3名、というガラガラ状態。勿体ない!
1時起床 3時出発となった。前夜となれば矢張り不安と緊張で寝つかれずうとうと状態で無情にも誰かの目覚まし時計に起こされてしまった。
みんなものも言わず黙々と最後の点検、あれこれおなかに詰めてイザ出発。

今年も快晴、サロマの湖上が薄桃色に浮かんで日の出を迎える。
緯度が高いので夜明けが早い。4時前スタート地点到着。既に日が昇って日中の暑さを予知させる快晴。でも、以外に空気が冷たく、気温は20度ぐらい。
いつもながら、軽くストレッチぐらいでアップは終わり。


5時 スタート! 今年は100キロの部に約2700名が参加している。
体が重い。今日は苦労するぞ〜 と思いつつ慎重に体調をチェックしながら折り返し点の竜宮台を目指す。空気が冷たいのが有難い。折り返し点で海宝さんから小分けした塩を貰ったので給水所で水に溶かして飲む。
30キロ地点、名古屋の井上さんが追い付いて来て久しぶりのお喋りをしながら40キロ地点。タイム4時間01分57秒。ピッタリキロ6分。走り始めの頃重たく感じていた体が次第に軽くなっていくのが有難い。これから緑館までは内陸の丘陵コース、北海道らしく大きなうねりの山道が続いて遥かに見えている緑館がなかなか近づいてこない。この坂道が第一の難関。気温が上がって暑い。帽子に氷を入れて被る。冷たくて気持ちがいい。50キロ、5時間13分 ようやく緑館着。思ったほど疲れていない。小さなおにぎりを水で流し込み、梅干と飴玉で糖分と塩分を補給して直ぐ出発。しかしこれから70キロ地点までがいつもの最難関、イメージしていた距離感が狂ってしまいキロ7分を越えてしまった。
コース中唯一の木陰道。涼しいことのなんと有難いことか。70キロタイム8時間00分28秒。 さあ、間もなくワッカに入るぞ。 これまでのタイムは想定外。こんなに早いはずがない と何度も時計を見直したが間違いない。
ひょっとしたらとんでもない時間で帰れるかもしれない と思ったら、そのことが逆にすごいプレッシャーになって、どうしても早いタイムで走り切らなくては・・・と自分を苦しめることとなった。 80キロ 9時間25分、ワッカを3時間半の貯金ではいるのは久しぶり。 余程のことがなければ完走は出来るだろうと思いつつも、ワッカの20キロを走り終えて戻ってくるランナーとすれ違うたびに、その先の折り返しまでの距離が無限に長いものに感じられた。ゴールを目指すランナーとは逆に 既に西に傾きかけた太陽に向ってひたすら折り返し点を目指す。85キロ付近で折り返してきた宮崎さんとすれ違う。
早い! 続いて 稔さん、伴さん・・・みんないい調子ですれ違って行った。
そうか! 車の引き取り役は宮崎さんだ!  90キロ、10時間49分 エイドのスイカがうまかった。 ようやく折り返し、最後の10キロ、既に西に大きく傾いている太陽を背中に受けて起伏の道を一路ゴールを目指す。 70キロ付近よりも体がよく対応して気持ちの中では会心のランであった。ワッカを走り終えて再び国道に出た。後2キロ、完走はとても無理だろう と思いながら臨んだ今年のサロマ、思いは外れてむしろ会心の100キロランであった。最後の2キロはまさにVictory Run、 只一人道の真ん中をゴールに向う自分が誇らしかった。 アナウンサーが名前を呼んでくれて歓喜のゴール。 今年は思いっきりのガッツポーズでゴールゲートをくぐった。

タイム12時間17分21秒、去年より約10分早かった。この歳で去年を上回れたことがうれしい。 後日の記録発表によれば、70歳以上は18名中4位だった。完走者6名中72歳台が4名でいたが、自分が72歳360日(誕生日6月30日)であるため限りなく73歳に近いということで、とりあえず今年度の最高齢完走者でもあり、このことも長年の目標が叶ったということで大変嬉しい今年のサロマであった。

翌日、藤岡さん宮崎さんと層雲峡で別れ、稔さんと二人ユースホステルに泊まっての温泉リハビリ。 ケーブルカーとリフトを乗り継いで大雪連峰・黒岳の七合目まで登り、広大な山並みにどっぷり漬かっての大自然の癒しを存分に受けて下山、その後層雲峡の滝を見ようと銀河の滝、流星の滝 までの3キロのリハビリ・ウヲーク、温泉とビールが効いたのか、足の痛みは1日だけ、帰京の日は何事もなかったように又都会の人込み埋もれてしまった。
層雲峡への山越は来年予定している北海道横断ランの最難関ゾーンでもあり、その厳しさを確認できたのは有難かった。                                             2006.7.5.          
            

 


サロマ湖道中膝栗毛(ダイジェスト版)/伴 英子

去る6月24日から26日まで、サロマ湖100キロウルトラマラソンに、横浜教職員走友会のメンバー6人で、参加してきました。結果は、3人完走、3人リタイア。完走率50%。伴夫は11時間30分で完走。伴妻は70キロ手前で、まさかの時間切れを喫しました。敗因は、完全なる練習不足と、制限時間の厳しさでした。また次回再挑戦することを決し、今回の報告をさせていただきます。

 

 当日は朝7時50分の羽田発。前日もばたばたと過ごしていたため、家を出るのがぎりぎりとなった。横浜のシベリア、瀬谷では、まだ始発のバスはない時間。三ツ境駅まで荷物を背負って歩くが、予定の電車に間に合うか?という状況に陥ってしまった。「やばい!」と走り始め、ぎりぎりセーフ。なんだか、関門に間に合った気分である。これが今回の象徴にならなければよいが・・・と不安が胸をよぎる伴妻であった。横浜駅で同じ電車に乗ろうとしている卓さんと藤岡さんにお会いした。お二人は旭川周りで行かれるとのこと。「天気が良いと気温が上がり、きつくなる」という励まし(脅し?)をいただく。羽田空港駅までは順調。走友会のメンバーと落ち合い、手続きをする。しかし、何となくゆっくりしてしまい、手荷物検査にやけに時間がかかってしまう。側の空港係員の人に「チケット見せて下さい」と言われ、無線で連絡する様子から、かなりヤバイ状況であることが伺える。リムジンバスを待たせてようやく駆け込み、またしても、制限時間切れの不安が重くのしかかる。

 しかしそこはうちのメンバーのいいところ、すっかり忘れたかの様子、伴夫に至っては、座席の目の前にキャビンアテンダントさんが向かい合わせに座るというベストポジション、目のやり場に困ってにやにやしている。お気楽なやつである。女満別は「気温11度、雨模様。」この天気が続くといいなと思ったのもつかの間、1時間半をかけて着いた受付ではすっかり晴れ上がり日差しの暑さが肌を焦がす。目の前でお目当てのホタテ焼きが。エントリーよりまずホタテである。一つの貝殻に二つ乗ったホタテを自分で炭火で焼いて食べのである、なんと贅沢な。前回参加したときは遅い時間の飛行機だったので、すっかりホタテはなくなっており悲しい思いをしたが、今回はまず始めに堪能でき、もうすっかり満足である。その後エントリーをしたり買い物をしたりと思い思いに時間を過ごし、目指すは宿舎グランティアサロマ湖(旧緑館)である。レストステーションの準備がすでに整っているその横を通り、明日に思いをはせる。

 荷物の整理をして、ちょっとそのあたりを散歩。のはずが、遊歩道に入り、さらに展望台のある山の上まで昇る気配となって伴夫婦は別行動。「道の駅」でおみやげ探しに変更する。そこで見つけたのが、心の恋人「カメ湖」(かめのぬいぐるみ)である。抱き心地の良さにうっとりしていると江花夫妻が通りかかり「何を抱いているんですか」と怪訝な顔をされてしまった。江花夫妻は網走に昨日から泊まり、レンタカーで移動してきたそうである。 緑館から見る夕陽はみるみるうちに湖に沈み、残光をとともに夕闇が広がる。いよいよまた日が昇ったときはスタートだ。7時半にはベッドに入った。

スタート地点までバスで30分の長い道のりであったが、体育館でしばらく過ごす。刻一刻とスタートの時は近づいてくる。写真撮影を済ませてスタートを待つころには、あたりはすっかり晴れ渡っている。いい一日になりそうだ。

スタートしてからしばらくは伴夫が併走している。順調なペースである。「ちょっとトイレに行くから」と言われても、今回はいずれ別れるつもりなので、待たずに進めるところがありがたい。いつまでも追いついてこないので、このままはぐれてしまうかと思ったほど。10キロ手前のトイレに立ち寄ると列ができており、女性達が口々に「男性は外でできていい」と言っている。八ヶ岳では山の中なので、女性もちょっと藪の中に入って・・・ということがあるそうだ。

 このあとしばらく給水所に食べ物が見あたらない。ウエストバックにいれていった食料が役に立つ。給水を確実にとりながら、一人旅は続く。竜宮台の太鼓の響きを感じつつ、折り返してくる人たちと挨拶を交わした。次に会えるのは、ワッカの折り返しである(はずだった)。

ここからはとにかく35キロを目指した。35キロから先がサロマ湖を回る本当のスタートなのだ。暑さがじりじりと肌を焼く。風が涼しいので汗はあっという間に乾き、肌に塩がざらつく。2.5キロごとのかぶり水で時折腕や顔を洗いながら、ひたすら前に進む。どこまでも青空は続き、緑に広がる牧草地とサイロの赤い屋根。まさしくここは北海道である。フルを超えた頃から、足の疲れが感じられるようになってきた。給水所でのストレッチは欠かさず行うようにしている。と、左腕に痛みが走り、足を持ち上げるストレッチができない状態になっていることに気付いた。初めての経験である。「あらま、困ったね」と、とりあえず足だけでできるストレッチを続けていたら、赤いヘルメットを被ったマウンテンバイクのおじさんが止まり、声をかけてくれた。けいれんで動けないかと思ったようである。「大丈夫です」と答えたが、「スプレーとか、持ってんの?」と聞いて下さり「ありません」と答えると、親切に貸してくれた。なんて優しい人だろう。腕のけいれんは治まらなかったが、足全体はひんやりと痛みが和らぐ。本当にありがたいことである。この調子なら行けそうだ。いよいよ最大の難所のアップダウンにさしかかる。もうすぐ緑館だと思う坂の途中で仲間を発見した。かなりよれよれしている。声をかけて追い抜くと、「待ってぇ」と追いすがる声がするが、「すみません待てません、待ったら倒れます、」とつぶやいて坂を上る。そこで待ちに待ったレストステーションでの休憩である。少し時間がオーバー気味だがなんとか予定の範囲内。ここですることは食料の補充とトイレ、と決め、大急ぎで済ますべく頑張る。しかし!トイレはホテルの中にしかなく、おまけに大混雑。さらに個室の中ではき続ける女性の声が響き渡る。とりあえず自分の用を済ませたあと救護所に行って、「トイレではいている人がいるので行ってあげて下さい」と声をかけるまでしていたため、思いの外時計は進んでしまっていた。あとから来た仲間の姿はすでにない。これはやばいと思ったところでふと気がついた。制限時間である。とりあえず、60キロの関門は通過できたとしても、もしかしたら、80キロ10時間は難しいのではないか。60キロを目指して、別の仲間とともに走り出すが、気が気ではない。ついオーバーペースになり、それまでの5キロより、よいペースで入れたが、足にかなり来てしまった。ここでつい甘い考えを起こしたことが今回の大きな敗因といえる。すでに諦めてリタイアを考えてしまったのである。今から収容車に乗ればゴール地点からワッカに行き、そこを走る人たちを応援できるかもしれない。しかし仲間は私の言葉を振り切って走り抜けていく。仕方がない行けるところまで行こう。しかしすでに気力が切れており、足は動かなくなっていた。

早歩きで進んでいくと、声をかけてくれたのが、サロマンブルー54番、札幌WINGSの須藤さんであった。「あなたならまだ行ける」と励まして下さり、併走してくれたのである。その気持ちに励まされ、かろうじて足を動かし始めた。73歳の須藤さんは14回の完走歴を持つ。しかも走り始めたのは50歳を過ぎてからということだった。須藤さんとのひと時は、澄み渡る6月の青空の下、爽やかな気持ちをもたらしてくれた。須藤さんとずっと併走していたが、木立を抜ける頃とうとう足が動かなくなってしまった。須藤さんに先に行ってもらう。ここまで来たのに、あと少しなのに、きちんと練習してこなかった自分が恨めしかった。68.5キロの私設エイドでは、キュウリの漬け物や新鮮なミニトマトを振る舞ってくれた。「最後の人のために、取って置いたんだよ」と山盛りミニトマトを手に乗せてくれる。「(制限まで)あと8分だから、十分休んでいきな」と声をかけてくれたおじさんにすがって、図らずも「悔しいよ〜」と声を上げて泣き出してしまった。おろおろするおじさんが、「その気持ちがあればいいんだ、来年待ってるから」と必死に慰めてくれる。涙はますますあふれてくる。でも、ぐいっとぬぐって、「ありがとうございました」とエイドをあとにした。70キロの関門までは行こうと思っていた。追い抜かした人に声をかけられた。1411番さんである。「ずっとあなたとデッドヒートしてたんですよ。僕も62キロで泣きました。」来年またお互いに来られるといいね、と言い合った。須藤さんのことを教えてくれた2177番さんにも励まされた。69キロのエイドで関門切れを通告され、そこで収容バスに乗った。ワッカの入り口までも行けなかった。

全身が疲れていた。ゴールに向かって走る人々の列をバスで追いかけていく。これが2度目、サロマには嫌われている。悲しくて悔しかった。涙が止まらなかった。こんなに明るいうちにゴール地点にいる。そうして今となってはまだ足が動く。ゴールで伴夫をはじめとする仲間達を待ち続けた。このときはまだ、来年も、という気持ちはわいてこなかった。終わったなぁと青空を見上げて無心で寝ころんでいるだけだった。

翌日は、みんなでホテルのテラスでビールを飲んだ。一晩がたったなんてうそみたいだった。まだまだ走っていたい気がした。サロマ湖は青く、広がっていた。

空港で会ったサロマンブルー1番の丹代正俊さんは額に一直線に日焼けをしていた。「一文字焼きというのです。」とおどけて見せてくれた。「今回は涼しかった」とも言っていた。暑いときはもっと暑い。暑さを理由にはできない。やるとしたら、やはり自分の力をつけることだけだ。いつかまた来よう。このサロマ湖を臨みに。そして必ずゴールテープを切ろう。100キロも、50キロもやろう。言い訳はしない、自分に負けない。そのためには、体調管理に気をつけて、どんなことがあっても練習を第一に考えて、トイレ時間を削って、給水時間を効率的にして・・・と、やっと前向きに(?)考えられるようになった今日この頃である。

サロマに参加したみなさん、本当にお疲れ様でした。レースを応援してくれたみなさん、エイドをはじめとするボランティアのみなさん、本当にありがとうございました。また、サロマで会いましょう。






第21回サロマ湖100kmウルトラマラソン
氏   名 グロスタイム ネットタイム 総合順位 種目順位 個 別 種 目
末安 誼典 06:30:30 06:30:01 133/235 29/43 50K男55〜64
宮崎 豊子 10:57:37 10:57:10 44/335 12/92 100K女55〜64
橋本 玲子 12:28:49 12:28:06 149/335 66/120 100K女45〜54
長島 孝 09:52:13 09:52:10 60/184 60/184 100K登録男子
山本 稔 11:21:46 11:21:18 414/1838 92/406 100K男55〜64
伴 和幸 11:32:13 11:31:00 477/1838 128/462 100K男35〜44
山本 卓 12:17:21 12:16:24 784/1838 32/87 100K男65歳以上
藤岡 哲雄 12:32:42 12:31:45 918/1838  298/560 100K男45〜54