2001/6/24
サロマ100kmマラソン
                 


プロローグ

 人類の起源を想起し、私達の先人は、初めて2本足で立って何を思ったのだろう。眼前に広がる原始の空と大地を見て、地面だけを見続けてきた進化と決別し、緑の地球の未来と人類の無限の可能性に向け、まさにその第1歩を踏み出す瞬間、果たして、その祖先達が、何万年かの後に100kmを走るとは、かの原始人は考えても見なかったことであろう。 人はその行動に理由付けをする。 私達はなぜ100kmを走るのであろうか?



目指せ!完走  汗・汗・焦り・・・・・

パワーの限界を越えて尚も走り続けるウルトラマラソン、走りきる手応えを掴むにはそれなりの準備が必要であった。横浜中央走友会10人のサロマランナー達は、2001サロマ完走を目指して、走力・走歴・気力・持続力・健康などそれぞれの課題を克服すべく可能な限り努力した。サロマでの完走という目指す目標が余りにも高くそびえ立つ崖の上にでもあるような気がして、ひ弱な小さな存在として自己を位置づけ対置せざるを得なかった。弱点は誰よりも自分自身が一番良く認識している。 2001サロマエントリーを決めた時点がそれぞれのスタートとなった。
練習で100kmはとても走れない。せいぜい30km前後である。サロマ経験者2人と昨年のリタイヤ3人、そして初挑戦5人を含むサロマランナーは、意識してロングランを練習メニューに入れ、西伊豆2日間100kmランや鎌倉ラン・江ノ島ラン・山トレなど仲間との遠征ランをこなし、10時間実負荷体感ウォーク、時には職場からの帰宅ランなども取り入れサロマ完走への練習と調整を行った。
 6/24サロマ湖100kmウルトラマラソンが近づくにつれ、過度な練習による故障や体調不良が続出、特に昨年リタイヤ・初チャレンジャー組に多かった。




 真夏のような2001サロマ6/24  

ギラギラした灼熱の太陽
無念のリタイヤ 

感動のゴール


不屈の闘いの中で共有した物は、時間だけではなかった。


サロマ湖100km・楽走・苦走・快走・完走
      
横浜中央走友会/橋本玲子(12:52:51完走)   

 2001年6月24日 17時52分51秒、長い長い1日のドラマが終わりました。
苦しくて苦しくて、それでも北の大地を走れる事を幸せに思い、沢山の仲間に引っ張られて、そして背中を押され、幸せいっぱいの100kmでした。
 1年間待ちに待ったサロマ。スタートラインに立った時は、胸がいっぱいになりました。 スタート3分前、目を閉じてゴールシーンを頭に描いて瞑想。 私のパーツになってしまった事に後悔しているかも知れない足は、「やるしかない」とあきらめて必ず100km動き続けてくれる事を信じて。
あとは、心  とにかくあきらめない事。 そして、何が何でもゴールするという気持ちを最後まで持ち続けようと誓いました。
 スタート後、気温はぐんぐん急上昇。 暑さとの闘い。  「ワッカであおう!」の合い言葉を、何度も心に言い聞かせました。  ワッカに行くんだ  とにかくワッカへ  とその想いのみが足を前へ前へと動かしているようにも思いました。 体力と気力がものすごく良い状態でスクラムを組んでくれたのかも知れません。
 80km 念願のワッカ突入!!  魔物登場! 「ここまで来たんだ もう楽になろう」とデビルのささやき。 そんな時、すれちがいで「もう少しでスイカがあるよ ガンバレ」と背中を押してくれた粂さん 有り難うございました。 97km 体力と気力が共に限界ぎりぎりまで来ていた私の足と心をゴールまで引っ張ってくれた巨人軍団の浜野さん本当に有り難うございました。  沢山の仲間のお陰で感動のゴールをする事が出来ました。
 ラスト500m 大声援の中のランは、きっとこの先いつまでも忘れる事は出来ないでしょう。 そして、この12時間52分51秒という長い長いドラマは、私にとって一生の宝物になると思います。
 ゴールの涙は輝いていたでしょうか?
    


サロマ湖100kmウルトラマラソン
     
横浜中央走友会 / 粂 正夫(11:13:08完走)

 6/23、京浜急行横浜駅にサロマランナー10名が集合、羽田からオホーツク紋別空港へ、眼下にはサロマンブルーのサロマ湖が我々を無言で迎えてくれた。スタート地点湧別でレース受付をする。 いよいよ明日はスタートだ。 井土ヶ谷「常盤苑」でのサロマ壮行会や仲間の顔、練習の日々が脳裏によぎる。

 午前5時静かなスタート、ハーフやフルマラソンの時のような気負いやむき出しのファイトが全くない。いままでにこんな気分で走り出したことは一度もない。初めての経験である。真夏のような太陽がランナーの体力と気力を蝕んでいく。100kmマラソンではフルの42.195kmは単なる通過点であった。フルマラソンでの35kmのカベなどどこにもなかった。体力や力の限界などと楽をする逃げ口上としていたのか? 55km地点緑館では着替えやシューズの交換などを予定していたが、体調が良かったので余り休憩を取らずに先を急ぐことにした。 75km地点東急リゾート、エイド名物のお汁粉を戴いた。走友から聞いていたあのお汁粉、そして、この75km地点を密かに自己目標に決めていたのだ。思いおこせば、私にとって初めてのウルトラマラソンになる2/10湘南マラニック75km、今までフルマラソンしか走ったことが無く、恐る恐るのウルトラ初体験であった。このときに今サロマを同行した福井さんご夫妻と知り合い、そして夜久さんともう一人の明走会の方に鎌倉材木座海岸まで引っ張って貰った。でも、お汁粉のお餅が食べられない。体力の消耗が厳しい事を感じるが、まだまだ気力は充分であった。ワッカの手前で、同年輩らしい一人のランナーが道ばたに座り込んでいた。私もその脇に座り、話しかけた。東京の八王子の方で、初ウルトラ・初サロマとの事、草の上に大の字に仰向けになり、暫しの癒しタイム。横浜中央走友会鬼伝説のワッカに入った。右にオホーツク海、左にサロマ湖、道路脇にはスカシユリやハマユウが咲き乱れており、なんでこんなところを疲労困憊で走っているのかと自問自答する。暑さ対策で前半かなり飛ばしていた夜久さんがリタイヤしたのか90k手前の沿道で声援をしてくれた。90kmの関門通過、通過時間9時間54分でこの時点で完走を確信した。遠く聞こえていたざわめきが、ゴールが近づくにつれて次第に大きくなってくる。 走友の顔が見える。応援の知人が手を振っている。 サロマ初完走!! ゴールの瞬間は何も覚えていない。 ゴール後の芝生の上でじわじわと完走の実感が湧いてきた。 でも、「もうウルトラなんて走りたくない!」と言うのが完走後の率直な気持ちであった。 初めてのサロマで完走出来るとは考えてなかった。 来年の試走と位置付け、取りあえず75kmが目標だった。
 次々とゴールしてくるランナーの顔は苦痛にゆがんでいるが、誰もが自信に満ちて神々しささえ伝わってくる。
支えてくれた家族や多くの仲間、鬼の住むワッカや100kmのサロマのコース、そして半日以上の長時間にわたってエイドやコース監察に従事してくれたスタッフや高校生ボランテァの方々、素晴らしい感動を有り難うございました。
こうして、2001サロマは終了した。


私の100km
      横浜中央走友会/斉藤 斉(11:56:47 完走)

 大会当日は朝から雲を探すのが困難なくらい晴れ渡り、最高気温約28℃とスタート直後から過酷なレースを強いられました。前半50kmまでは想定ペースをやや上回る5〜6分/kmで順調に推移し、やはり前半のオーバーペースが祟ったためか後半は7.5〜10分/kmにペースダウンを余儀なくされました。特に70〜80km間においては、疲れと睡眠不足から脱力感に襲われました。そこで睡眠時間(関門制限時間)を考えずに思い切ってコース上で寝ることにしました。実際には10分程度しか眠っていませんでしたが、さっきの眠気は吹っ飛び、集中力が復活しました。一方、その前後において膀胱の状態が異常をきたし、給水してはトイレへ駆け込むといった苦しい状態でした。ワッカ原生花園にはいってからは、鬼の存在を気にすることなく無事通過、最後はどこにそんな力が潜在していたのか感動のゴールまで全力疾走といった具合です。
 藤岡氏の180km/月ではありませんが、練習期間の月平均約160kmでも完走できることを証明した100kmでした。


ありがとう。また来年もよろしく。     横浜中央走友会/山本 稔(11:43:26 完走) 

  サロマ湖ウルトラに参加された皆さんお疲れ様でした。
 とにかく真夏並の暑さにはまいってしまいましたね。給水のたびに氷水を頭からバシャバシャかけ、帽子の中にも氷を入れて走った経験なんてこれまで一度もありません。こんな暑さの中でのウルトラはもう今回限りにしてほしいです。 そんな中でも、北海道の雄大な大自然の中を思う存分に走り、歩き、時には大の字になって寝転び、清々しい空気を満喫しながら一日を過ごせたことにとても満足しています。
 月見ヶ浜から見るサロマンブルーの輝き、浜佐呂間から遥かかなたに一直線に伸びるワッカの海岸線を始め、絵のような景観が次から次に現れ、思わず立ち止まってしまったほどです。とりわけ、サロマのハイライトであるワッカ原生花園の景色はすばらしかったですね。延々と続く一本道の両側に咲き乱れるエゾスカシユリ、ハマナスなどの花々、右には大きなうねりのあるオホーツク海、左には紺碧に輝くサロマ湖。マラソンじゃなかったらどんなに楽しい旅だろうと思いました。
 サロマ湖畔のすがすがしい新緑の木々、何処からともなく聞こえてくる小鳥のさえずり、ボランティアの女子高生の笑顔、ワッカのカラフルな花々、そして、オホーツクの潮騒。
すべてが私に元気を与えてくれました。ありがとう。また来年もよろしく。


昨年55km、今年80km・・・・
 
横浜中央走友会/芥川 光正(80km無念のリタイヤ)

      

 昨年55km、今年80kmでの挫折・・・・。
ウルトラマラソンは、私の力では無理なような気がしてきました。
汗っかきの私は、気温が上がるとどうしても無理が有るのです。 2.5km毎に水分は補給したのですが、私の身体には足らなかったようです。 55km地点緑館での休憩では、テントの中や日陰に空きスペースが無かったので駐車場の車止めの石に腰を下ろし休んでいました。 この間にも私の身体からは水分がどんどん蒸発していたようです。
 あと少し、もう少しの我慢が限りになく続けられる根性と忍耐力がないとこのサロマ湖100kmウルトラマラソンの完走は無理なようです。 この点も私には大不足だったと思います。

 橋本玲子さん!!  貴女は立派だった。  70kmで置いていかれたときは、練習量の差を感じました。  本当におめでとう。


サロマ・・・その後
   横浜中央走友会/坂本浩敬(42.195km無念のリタイヤ)

2001年6月24日午前9時47分19秒、42.195K地点、やっと視界に入って来たブルーに輝くサロマ湖を傍目に、歩道に両手を突いて腕立て伏せ状態で両太腿の筋肉をピクピクさせながら後続ランナーの進路を塞いでいる哀れな自分の姿にあっさりリタイアを決めてしまいました。これがその時点での私の走る力のすべてだったのです。サロマは嘘はつきません。本当にそこから先には何も見えませんでした。全く未知の世界のままです。せめて、ワッカの鬼の眼を掻い潜ってゴールするランナー達の姿からその一端でも見出せないかと制限時間ぎりぎりまで声援を続けましたが、過酷な戦いに変わり果ててはいても、その誇らしげで謎めいた微笑からはやはり何も読み取れませんでした。自分の力でサロマに残してきた8時間、58Kを取り戻しに行くしかありません。
 関門制限を気にし過ぎました。それだけ自分の走力に自信が持てなかったという事です。普段の練習ではキロ・6分半位で楽に走っていますが、調整段階でどうしてもキロ・6分で走らないとという気持ちが起こった事が全てだったような気がします。きっと、自分のままで走れれば良かったのでしょうね。
直前にサロマ用に購入したシューズ・・・自分のイメージではスピードは程々、楽に走れるのだろうと思ったのが大間違い、ソールの構造がハイヒールのようで歩くのさえ違和感があります。速く走るように作られているようです。走法のまずさに気が付き、ただいまウォーキングでこのシューズの命ずるままを感じるよう矯正中です。

2001年6月24日午前9時47分19秒、42.195K地点、そう、そこからまた次の一歩が始まりました。今度は自分のままで力尽きないよう、普段着の自分でゴールできるよう、程々に、を肝に銘じて・・・。


今年のサロマも暑かった
       横浜TMクラブ/福井義喜(10:56:39完走)

当日のサロマは事前の予報に反して2年続きの猛暑。午前5時、100km参加者2,100名余がスタートする時には既に太陽の光は肌を刺し、エイドでは頭から水をかぶり、氷をかじりながらただひたすら前へ。前半飛ばしていった者は次々と脱落し、80kmからのワッカもオホーツクの風が生暖かく、折返して来る者も皆身体中から汗が噴出し真赤な顔をしている。上岡竜太郎なら「みんな天国に来たような幸福な顔をしている。」というだろうが、現実はそんな楽なものじゃない。どちらかというと鬼のような形相で駆けて来る。

道の両側に咲く“はまなす”や“えぞすかしゆり”の花が目に染み、慰めてくれるがここが我慢のしどころだ、ゴールまではすぐそこだ。

 午後6時、一日の戦いは終わりゴールテープを切った者は47%に過ぎなかった


16回サロマウルトラマラソンを走って
横浜TMクラブ/福井牧子(50km無念のリタイヤ)

昨年より暑いということは絶対にないとおもっていたのですが、前日より急に暑くなり、当日朝、紋別のホテルよりオホーツクに登る朝日とともにスタート地点へ向かいました。 

5時のスタートから太陽の光りを浴びながら走る100キロなんて初めてでしたが、楽しく走れたのは25キロまででした。35キロの農道の折返しは本当に嫌になり、のんびり草を食む牛がうらやましく思いました。街に入り、自販機を見つけコーラを飲んで気合を入れなおしてサロマ湖畔のフル地点は気持ち良く通過することが出来ました。その後、2.5キロおきのたっぷりの氷にうれしくなり、帽子やスパッツに入れたり、ポリポリかじりながら50キロ地点に着きますとナント2分オーバーで待機していた収容車に乗せられてしまいました。早々とゴールに着き、シャワー後、男子高校生達の入念なマッサージを受けてから、ゴールする人々を拍手で出迎えました。

2年続きの暑い大会で、結果的に自分の弱さと妥協しましたが、暑さを嫌だなあと思わずに、太陽とも友達になって楽しく走らなければ...。

とにもかくにも、大変お世話になった横浜中央走友会の皆様ありがとうございました。


ヤッター!! サブテン 
    横浜中央走友会/高嶋威男(9:59:16完走

私にとって2回目のサロマです。目標は前回より1秒でも早くゴールが出来ること,もしかしたらサブテンをねらえるかもしれない。これが申し込み前の思いでした。
ところが、サロマについた前日東京より気温が高いではありませんか。おまけにレースのある翌日はさらに気温が高くなる。との予報に前夜祭は好きなビールをセーブ(おかげで寝付きがわるかった)してしまいました。大会当日スタートからカンカン照り、タイムよりは完走と出来たら、年代別で10位以内を目標に変更しました。
太陽が低い朝のうちは5キロペースを27分に設定、太陽が上にくる時間からはゆっくりペースの5キロ30分をイメ-ジしスタートラインに立ちました。あとは自分との戦いと割り切りました。30キロからは急に足が重く感じはじめ、完走はムリかな?と内心思っていました。42.195キロも前回より5分ほど遅れて通過したほどです。丁度、長久保ご夫妻が応援の声をかけてくれて、それから少し身体が軽くなりました。その先で山本稔さんの背中が見え皆このへんが辛いところなんだと考えたら元気が出てきました。山本さんに声をかけると,斎藤さんは速いね。やっぱり若さだね。と簡単な会話を交わしマイペースで先に行きました。50キロ手前で斎藤さんを見つけました。前半のハイペースのせいかかなりダメージを受けられているようでした。中間の緑館では、おにぎりで腹ごしらえをし、エアーサロンパスを吹き付け気分転換をし同じペースで再び路上へ飛び出ていきました。55キロ過ぎで「200位以内」にいるよなんて声をかけられました。少し自信がわいてきました。前回膝の痛みを感じた60キロ地点で痙攣予防のため靴紐を調整しました、最後ののぼりを無事通過しどこにも痛みがなく順調です。このへんから、ペースが落ちてくるランナーを次々に抜くことが出来ますます気分爽快です。お汁粉も2杯予定通り食べワッカへイーブンペース。途中50キロのトップランナーに追い越されタイミングが一時狂ってしまいました。鬼のいるワッカに入り、前回かなりアップダウンで足にダメージを受けたことを思い出し、少しスピードをセーブしました。折り返しまでは一番の正念場でした。いつ歩こうかとそればかり頭のなかをかけずりまわっていました。どこにも痛みがないから止まっていけないと自分に言ってきかせました。折り返しまでとても長く感じました。おりかえしてから楽になりました。ワッカで仲間に会える、その時はカッコ良く走ろうと気持ちを引き締めました。最初に会ったのは粂さんではないですか、はっきり言ってビックリしました。次は福井さんのご主人、山本さん、斎藤さん、その後宮崎さん、そしてワッカに入ってくる橋本さん、あとの3人にはワッカであえないけど完走はするだろうと思いながらワッカを出て一般道路へ、あと2キロ地点で前を走っていたランナーが急にスピードをあげました。時計を見たら10時間まで残りなんと9分50秒もあるではありませんか、もしかするとサブテンを達成できるかも・・・私もスピードをアップし最後の力を振り絞りゴールの時計がなんと9時間59分00秒、をさしていました。ヤッターまたもやさらに弾みがつき、9時間59分16秒でゴールできました。昨年藤岡さんしか完走できなかったプレッシャーからやっと開放された瞬間でした。一緒に行った皆さんの支えがあり最後まで走りきれました。どうもありがとうございます。ツアーを企画してくれた粂さんおつかれさんでした。